十善法語 / 巻第十二・不邪見戒之下
法有テ自心トナリ來ル。自心ヲ離レテ法ハナキシヤ。法全ケレハ自心全。自心全ケレハ法全キシヤ。諸佛世尊因地ノ所行。何事ヲ踐行フコトソ。三乘ノ賢聖國城ヲ棄捨シ。王位ヲ棄捨シ。樹下ニ春秋ヲ送リ。石座上ニ身命ヲ終ル。何ヲ明了ニナサン爲ソ。唯今日衆生現今ノ一念心ノミシヤ。此心中ニ三世アル。三世元來自心ニ相違セヌシヤ。此心中ニ十方アル。十方元來自心ニ相違セヌシヤ。此ニ由テ斷見ハ外道ニ屬スル。說似一物卽不中シヤ。修證有テ染汚ナシ。此ニ由テ常見ハ外道ニ屬スルシヤ。斷常ノ二途ヲ超過シテ唯是平常心シヤ。一切智解ヲ超過シテ了了ト常ニ自ラ知ルシヤ。一切諸惡見趣。適然トシテ依リ處ナクナルシヤ。生ヲ他方ニ轉シテ。來處モナク亦去處モナク。富萬國ヲ有シテ。我モナク我所モナク。分別構造シテ。誠ニ斷見ヲ起スニ起シ得ラレヌ時節ソ。分別構造シテ。誠ニ常見ヲ起スニ起シ得ラレヌ時節ソ。
新字:法有テ自心トナリ来ル。自心ヲ離レテ法ハナキシヤ。法全ケレハ自心全。自心全ケレハ法全キシヤ。諸仏世尊因地ノ所行。何事ヲ践行フコトソ。三乗ノ賢聖国城ヲ棄捨シ。王位ヲ棄捨シ。樹下ニ春秋ヲ送リ。石座上ニ身命ヲ終ル。何ヲ明了ニナサン為ソ。唯今日衆生現今ノ一念心ノミシヤ。此心中ニ三世アル。三世元来自心ニ相違セヌシヤ。此心中ニ十方アル。十方元来自心ニ相違セヌシヤ。此ニ由テ断見ハ外道ニ属スル。説似一物即不中シヤ。修証有テ染汚ナシ。此ニ由テ常見ハ外道ニ属スルシヤ。断常ノ二途ヲ超過シテ唯是平常心シヤ。一切智解ヲ超過シテ了了ト常ニ自ラ知ルシヤ。一切諸悪見趣。適然トシテ依リ処ナクナルシヤ。生ヲ他方ニ転シテ。来処モナク亦去処モナク。富万国ヲ有シテ。我モナク我所モナク。分別構造シテ。誠ニ断見ヲ起スニ起シ得ラレヌ時節ソ。分別構造シテ。誠ニ常見ヲ起スニ起シ得ラレヌ時節ソ。
書き下し
法有テ自心トナリ来ル。自心ヲ離レテ法ハナキシヤ。法全ケレハ自心全。自心全ケレハ法全キシヤ。諸仏世尊因地ノ所行。何事ヲ践行フコトソ。三乗ノ賢聖国城ヲ棄捨シ。王位ヲ棄捨シ。樹下ニ春秋ヲ送リ。石座上ニ身命ヲ終ル。何ヲ明了ニナサン為ソ。唯今日衆生現今ノ一念心ノミシヤ。此心中ニ三世アル。三世元来自心ニ相違セヌシヤ。此心中ニ十方アル。十方元来自心ニ相違セヌシヤ。此ニ由テ断見ハ外道ニ属スル。説似一物即不中シヤ。修証有テ染汚ナシ。此ニ由テ常見ハ外道ニ属スルシヤ。断常ノ二途ヲ超過シテ唯是平常心シヤ。一切智解ヲ超過シテ了了ト常ニ自ラ知ルシヤ。一切諸悪見趣。適然トシテ依リ処ナクナルシヤ。生ヲ他方ニ転シテ。来処モナク亦去処モナク。富万国ヲ有シテ。我モナク我所モナク。分別構造シテ。誠ニ断見ヲ起スニ起シ得ラレヌ時節ソ。分別構造シテ。誠ニ常見ヲ起スニ起シ得ラレヌ時節ソ。
現代語訳
法があって自分の心となって来る。自分の心を離れて法は無いのである。法が完全であれば自分の心も完全であり、自分の心が完全であれば法も完全である。諸仏世尊が修行の時に行われたことは、何を踏み行うことであったか。三乗の賢聖が国や城を捨て、王位を捨て、樹の下に春秋を送り、石の座の上で身命を終える。何を明らかにするためか。ただ今日の衆生の、今この一念の心だけなのである。この心の中に三世がある。三世はもともと自分の心に背かないのである。この心の中に十方がある。十方はもともと自分の心に背かないのである。これによって断見は外道に属する。一物に似せて説いても、たちまち当たらないのである。修行と証りはあっても、汚れはない。これによって常見は外道に属するのである。断と常の二つの道を超えて、ただこれ平常心である。一切の知的な理解を超えて、はっきりと常に自ら知るのである。一切の諸々の悪い見方が、たちまち拠り所がなくなるのである。生を他の世界に転じても、来る所もなく、また去る所もない。富は万国を保っても、我もなく、我が物もない。分別して組み立てても、まことに断見を起こそうとして起こせない時である。分別して組み立てても、まことに常見を起こそうとして起こせない時である。
解説

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