十善法語 / 巻第十・不邪見戒之上
又此說ヲナス。中古禪宗ノ達磨ト云人モ。實事ナラス。付法藏傳ニモ師子尊者ニ至テ法斷絕スト有ル。後人婆舍斯多尊者已下ヲ加テ。達磨ニ及ス。梁武ノ問答モ。魏ノ宋雲カ流沙ニ逢フモ。皆年代相違アリ。歷史ニ通セサル者ノ所作ナリ。慧可僧璨ノ類カ。列子莊子ニ附會シテ思ヒ寄シコトヲ。世ニ信ヲ取ン爲ニ。一箇ノ俊邁活饑底ノ人ヲ假設シコトナリ。此ヨリ降テ諸宗ノ佛法ハ。皆夢ニ託シテ說キ出ス。顯密ノ祖師多ハ夢中ニ夢ヲ說ク人ト。
新字:又此説ヲナス。中古禅宗ノ達磨ト云人モ。実事ナラス。付法蔵伝ニモ師子尊者ニ至テ法断絶スト有ル。後人婆舎斯多尊者已下ヲ加テ。達磨ニ及ス。梁武ノ問答モ。魏ノ宋雲カ流沙ニ逢フモ。皆年代相違アリ。歴史ニ通セサル者ノ所作ナリ。慧可僧璨ノ類カ。列子荘子ニ附会シテ思ヒ寄シコトヲ。世ニ信ヲ取ン為ニ。一箇ノ俊邁活饑底ノ人ヲ仮設シコトナリ。此ヨリ降テ諸宗ノ仏法ハ。皆夢ニ託シテ説キ出ス。顕密ノ祖師多ハ夢中ニ夢ヲ説ク人ト。
書き下し
又此説ヲナス。中古禅宗ノ達磨ト云人モ。実事ナラス。付法蔵伝ニモ師子尊者ニ至テ法断絶スト有ル。後人婆舎斯多尊者已下ヲ加テ。達磨ニ及ス。梁武ノ問答モ。魏ノ宋雲カ流沙ニ逢フモ。皆年代相違アリ。歴史ニ通セサル者ノ所作ナリ。慧可僧璨ノ類カ。列子荘子ニ附会シテ思ヒ寄シコトヲ。世ニ信ヲ取ン為ニ。一箇ノ俊邁活饑底ノ人ヲ仮設シコトナリ。此ヨリ降テ諸宗ノ仏法ハ。皆夢ニ託シテ説キ出ス。顕密ノ祖師多ハ夢中ニ夢ヲ説ク人ト。
現代語訳
またこの説をなす者は言う。中古の禅宗の達磨という人も、実在の事ではない。付法蔵伝にも、師子尊者に至って法が断絶したとある。後の人が婆舎斯多尊者以下を加えて達磨にまで及ぼしたのである。梁の武帝との問答も、魏の宋雲が流沙で(西へ帰る達磨に)会ったというのも、みな年代に食い違いがある。歴史に通じていない者のしわざである。慧可や僧璨の類が、列子や荘子にこじつけて思いついたことを、世に信を得るために、一人の優れて生き生きとした人物を仮に設けたのである。これ以後の諸宗の仏法は、みな夢に託して説き出したものである。顕教・密教の祖師の多くは、夢の中で夢を説く人である、と。
解説

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