十善法語 / 巻第十・不邪見戒之上
凡夫ト云者ガ。妄想分別ヲ以テ思惟スルハ。イツクマデモ妄想ノミシヤ。誠ノ道ニハ遠キコトシヤ。ソノ者カ。一ノ譬ヲ擧テ云。清夜盤ニ水ヲ湛ヘ置ケハ此中ヘ月影カヤドル。此月影ハ天ヨリ下リテ盤ノ中ニ入ルニアラズ。水アレバ其處ニウツル。其水ヲコボシ了レハ月影ハナクナル。先ニウツリシ月影カ天ヘ飛揚リ。本ノ月中ニ歸ルニハアラズ。當處ニ生シ。當處ニ滅スル。若此盤ノ水ヲ彼甕ニ瀉ストキ。此盤ノ月影カ水ト共ニ彼甕ニ入ニハアラス。當處ニ滅シテ當處ニ生スル。人ト云者モ其コトク。皮肉虛空ヲ圍テ。氣カ內ニ籠リ。其心ト成ル故。姿形カナクナレハ心モ隨テ滅ス。善ヲ作シテ善ノ報有ヘキナラス。惡ヲ作シテ惡ノ報有ルヘキナラス。佛者カ愚癡ナル故ニ。此器ノ水ヲ彼器ヘウツストキ。此許ノ月影カ彼許ヘウツリ往クヤウニ思テ。因果報應ヲ怖ルルト云。此等ノ解了ヲ。驪龍ノ珠ヲ得タルカ如ク思テ。書籍ニカキノコシ置ク者モ有ル。
新字:凡夫ト云者ガ。妄想分別ヲ以テ思惟スルハ。イツクマデモ妄想ノミシヤ。誠ノ道ニハ遠キコトシヤ。ソノ者カ。一ノ譬ヲ挙テ云。清夜盤ニ水ヲ湛ヘ置ケハ此中ヘ月影カヤドル。此月影ハ天ヨリ下リテ盤ノ中ニ入ルニアラズ。水アレバ其処ニウツル。其水ヲコボシ了レハ月影ハナクナル。先ニウツリシ月影カ天ヘ飛揚リ。本ノ月中ニ帰ルニハアラズ。当処ニ生シ。当処ニ滅スル。若此盤ノ水ヲ彼甕ニ瀉ストキ。此盤ノ月影カ水ト共ニ彼甕ニ入ニハアラス。当処ニ滅シテ当処ニ生スル。人ト云者モ其コトク。皮肉虚空ヲ囲テ。気カ内ニ籠リ。其心ト成ル故。姿形カナクナレハ心モ随テ滅ス。善ヲ作シテ善ノ報有ヘキナラス。悪ヲ作シテ悪ノ報有ルヘキナラス。仏者カ愚痴ナル故ニ。此器ノ水ヲ彼器ヘウツストキ。此許ノ月影カ彼許ヘウツリ往クヤウニ思テ。因果報応ヲ怖ルルト云。此等ノ解了ヲ。驪竜ノ珠ヲ得タルカ如ク思テ。書籍ニカキノコシ置ク者モ有ル。
書き下し
凡夫ト云者ガ。妄想分別ヲ以テ思惟スルハ。イツクマデモ妄想ノミシヤ。誠ノ道ニハ遠キコトシヤ。ソノ者カ。一ノ譬ヲ挙テ云。清夜盤ニ水ヲ湛ヘ置ケハ此中ヘ月影カヤドル。此月影ハ天ヨリ下リテ盤ノ中ニ入ルニアラズ。水アレバ其処ニウツル。其水ヲコボシ了レハ月影ハナクナル。先ニウツリシ月影カ天ヘ飛揚リ。本ノ月中ニ帰ルニハアラズ。当処ニ生シ。当処ニ滅スル。若此盤ノ水ヲ彼甕ニ瀉ストキ。此盤ノ月影カ水ト共ニ彼甕ニ入ニハアラス。当処ニ滅シテ当処ニ生スル。人ト云者モ其コトク。皮肉虚空ヲ囲テ。気カ内ニ籠リ。其心ト成ル故。姿形カナクナレハ心モ随テ滅ス。善ヲ作シテ善ノ報有ヘキナラス。悪ヲ作シテ悪ノ報有ルヘキナラス。仏者カ愚痴ナル故ニ。此器ノ水ヲ彼器ヘウツストキ。此許ノ月影カ彼許ヘウツリ往クヤウニ思テ。因果報応ヲ怖ルルト云。此等ノ解了ヲ。驪竜ノ珠ヲ得タルカ如ク思テ。書籍ニカキノコシ置ク者モ有ル。
現代語訳
凡夫という者が妄想分別によって思惟することは、どこまでも妄想ばかりである。まことの道には遠いことである。その者が一つのたとえを挙げて言う。清らかな夜に盆に水を湛えておけば、その中へ月影が宿る。この月影は天から下りて盆の中に入るのではない。水があればそこに映る。その水をこぼしてしまえば月影はなくなる。先に映った月影が天へ飛び上がって、もとの月の中に帰るのではない。その場で生じ、その場で滅する。もしこの盆の水をあの甕に注ぐ時にも、この盆の月影が水とともにあの甕に入るのではない。その場で滅してその場で生じる。人というものもそのように、皮と肉で虚空を囲い、気が内にこもってその心となるのだから、姿形がなくなれば心もそれに従って滅びる。善を行って善の報いがあるはずはなく、悪を行って悪の報いがあるはずはない。仏教者は愚かであるから、この器の水をあの器へ移す時に、こちらの月影があちらへ移ってゆくように思って、因果の報いを恐れるのだ、と言う。これらの理解を、驪龍(黒い龍)の顎の下の珠を得たかのように思って、書物に書き残しておく者もいる。
解説
この章句が説くこと
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説苑・說叢夫れ水は山に出でて海に入り、稼は田に生じて廩に藏す。聖人は生ずる所を見れば則ち歸する所を知る。
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『墨子』法儀昔の聖王、禹・湯・文・武は、兼ねて天下の百姓を愛し、率いて以て天を尊び鬼に事う。其の人を利すること多し、故に天、之を福し、立てて天子と為さしめ、天下の諸侯、皆な賓として之に事う。暴王、桀・紂・幽・厲は、兼ねて天下の百姓を惡み、率いて以て天を詬り鬼を侮る。其の人を賊うこと多し、故に天、之を禍し、遂に其の國家を失わしめ、身死して天下に僇と為り、後世の子孫、之を毁り、今に至るまで息まず。故に不善を為して以て禍を得る者は、桀・紂・幽・厲是れなり。人を愛し人を利して以て福を得る者は、禹・湯・文・武是れなり。人を愛し人を利して以て福を得る者は有り、人を惡み人を賊うて以て禍を得る者も亦た有り。
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説苑・權謀孔子齊景公と坐す。左右白して曰く、「周使來りて廟燔くと言ふ」と。齊景公出でて問ひて曰く、「何の廟ぞや」と。孔子曰く、「是れ釐王の廟なり」と。景公曰く、「何を以て之を知る」と。孔子曰く、「詩に云ふ、『皇皇たる上帝、其の命忒はず』と。天の人に與するや、必ず徳有るに報ゆ。禍も亦た之の如し。夫れ釐王は文武の制を變じて玄黃の宮室を作り、輿馬奢侈にして振ふべからず。故に天其の廟に殃す。是を以て之を知る」と。景公曰く、「天何ぞ其の身に殃せずして其の廟に殃するや」と。子曰く、「天は文王の故を以てなり。若し其の身に殃せば、文王の祀、無乃ち絶えんか。故に其の廟に殃して以て其の過を章かにす」と。左右入りて報じて曰く、「周の釐王の廟なり」と。景公大いに驚き、起ちて拜して曰く、「善き哉、聖人の智、豈に大ならざらんや」と。
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荀子・大略篇凡そ物は乗じて来たる有り。其の出づるに乗ずる者は、是れ其の反(かへ)りなり。
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『墨子』節葬下以て刑政を治めんと欲するは、意う者、可なるか。其の説、又た不可なり。今、惟だ厚葬久喪を以て政を為す無し。國家、必ず貧しく、人民、必ず寡なく、刑政、必ず亂る。若の法、若の言のごとくし、若の道を行いて、上為る者をして此を行わしめば、則ち聴治する能わず、下為る者をして此を行わしめば、則ち事に從う能わず。上、聴治せざれば、刑政、必ず亂れ、下、事に從わざれば、衣食の財、必ず足らず。若し茍くも足らざれば、人の弟為る者は其の兄に求めて得ず、弟ならざる弟は必ず將に其の兄を怨まんとす。人の子為る者は其の親に求めて得ず、孝ならざる子は必ず且つ其の親を怨まんとす。人の臣為る者は之を君に求めて得ず、忠ならざる臣は必ず且つ其の上を亂さんとす。是を以て僻淫邪行の民、出づれば則ち衣無く、入れば則ち食無く、内に潰えて奚若んぞ並びに淫暴を為して、勝げて禁ず可からず。是の故に盜賊、衆くして治まる者、寡なし。盜賊を衆くして治まるを寡なくして、此を以て治を求むるは、譬うるに猶お人をして衆からしめて已に負わしむる毋きがごときなり。治の説、得可き無し。是の故に以て刑政を治めんことを求むるも、既已に不可なり。