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十善法語 / 巻第一・不殺生戒

通途ノ者ハ。我手ニ取ラス我眼ニ見ネハ我所領トモ云レヌ。我物トモ云レヌ樣ニ思フヘケレドモ。手ニ取ル物ハカリカ我物ト云コトテハナイ。眼ニ常ニ見テ居ル物ハカリカ我物ト云フコトテハナイ。千金ノ家翁モ常ニ千金ヲ懷ニシ居ハセヌシヤ。家僮ナトニマカセテオキテ。千金ノ主シヤ。一邑一郡ノ主モ自ラ其田穀ノ多少ヲ檢スルテハナイ。僕從家長ナトニマカセオキテ。一邑一郡ノ主シヤ。大君ノ一天萬乘ノ主タルモ。山海ノ廣狹。土地ノ產物。人民百姓ノ田穀財寶ノ員數マテ。コトコトク知コトテハナイ。民百姓ノ田地財寶ハ。ヤハリ民百姓ノ田地財寶ニシテ。直ニ我有シヤ。功臣諸侯ニハ一國二國ヲ與ヘ。此ヲ子孫遠裔ニ傳ヘ領セサセオキテ。ヤハリ我有地シヤ。此譬喩ニテ知レ。眞修行ノ人ハ。梵天ヘ上テ見ネトモ。十八梵天ニハ靜慮ノ樂ヲ得サセ置テ。我有シヤ。我子シヤ。無色界ハ見ストモ。又自身無色定ヲ得ストモ。彼衆生ニ深禪定ニ入ラセオキテ。我有シヤ。我子シヤ。勇者ハ勇者。智者ハ智者。タトヒ我腕力智慧ハ彼ニ及ハストモ。ミナ我有シヤ。我子シヤ。面白キシヤ。富貴ノ者ハ富貴ナカラ我有シヤ。我子シヤ。貧賤ナル者ハ貧賤ナカラ我有シヤ。我子シヤ。面白キコトシヤ。

新字:通途ノ者ハ。我手ニ取ラス我眼ニ見ネハ我所領トモ云レヌ。我物トモ云レヌ様ニ思フヘケレドモ。手ニ取ル物ハカリカ我物ト云コトテハナイ。眼ニ常ニ見テ居ル物ハカリカ我物ト云フコトテハナイ。千金ノ家翁モ常ニ千金ヲ懐ニシ居ハセヌシヤ。家僮ナトニマカセテオキテ。千金ノ主シヤ。一邑一郡ノ主モ自ラ其田穀ノ多少ヲ検スルテハナイ。僕従家長ナトニマカセオキテ。一邑一郡ノ主シヤ。大君ノ一天万乗ノ主タルモ。山海ノ広狭。土地ノ産物。人民百姓ノ田穀財宝ノ員数マテ。コトコトク知コトテハナイ。民百姓ノ田地財宝ハ。ヤハリ民百姓ノ田地財宝ニシテ。直ニ我有シヤ。功臣諸侯ニハ一国二国ヲ与ヘ。此ヲ子孫遠裔ニ伝ヘ領セサセオキテ。ヤハリ我有地シヤ。此譬喩ニテ知レ。真修行ノ人ハ。梵天ヘ上テ見ネトモ。十八梵天ニハ静慮ノ楽ヲ得サセ置テ。我有シヤ。我子シヤ。無色界ハ見ストモ。又自身無色定ヲ得ストモ。彼衆生ニ深禅定ニ入ラセオキテ。我有シヤ。我子シヤ。勇者ハ勇者。智者ハ智者。タトヒ我腕力智慧ハ彼ニ及ハストモ。ミナ我有シヤ。我子シヤ。面白キシヤ。富貴ノ者ハ富貴ナカラ我有シヤ。我子シヤ。貧賤ナル者ハ貧賤ナカラ我有シヤ。我子シヤ。面白キコトシヤ。

書き下し

通途ノ者ハ。我手ニ取ラス我眼ニ見ネハ我所領トモ云レヌ。我物トモ云レヌ様ニ思フヘケレドモ。手ニ取ル物ハカリカ我物ト云コトテハナイ。眼ニ常ニ見テ居ル物ハカリカ我物ト云フコトテハナイ。千金ノ家翁モ常ニ千金ヲ懐ニシ居ハセヌシヤ。家僮ナトニマカセテオキテ。千金ノ主シヤ。一邑一郡ノ主モ自ラ其田穀ノ多少ヲ検スルテハナイ。僕従家長ナトニマカセオキテ。一邑一郡ノ主シヤ。大君ノ一天万乗ノ主タルモ。山海ノ広狭。土地ノ産物。人民百姓ノ田穀財宝ノ員数マテ。コトコトク知コトテハナイ。民百姓ノ田地財宝ハ。ヤハリ民百姓ノ田地財宝ニシテ。直ニ我有シヤ。功臣諸侯ニハ一国二国ヲ与ヘ。此ヲ子孫遠裔ニ伝ヘ領セサセオキテ。ヤハリ我有地シヤ。此譬喩ニテ知レ。真修行ノ人ハ。梵天ヘ上テ見ネトモ。十八梵天ニハ静慮ノ楽ヲ得サセ置テ。我有シヤ。我子シヤ。無色界ハ見ストモ。又自身無色定ヲ得ストモ。彼衆生ニ深禅定ニ入ラセオキテ。我有シヤ。我子シヤ。勇者ハ勇者。智者ハ智者。タトヒ我腕力智慧ハ彼ニ及ハストモ。ミナ我有シヤ。我子シヤ。面白キシヤ。富貴ノ者ハ富貴ナカラ我有シヤ。我子シヤ。貧賤ナル者ハ貧賤ナカラ我有シヤ。我子シヤ。面白キコトシヤ。

現代語訳

世間一般の者は、自分の手に取らず自分の眼で見なければ、自分の領分とも言えず自分の物とも言えないように思うだろうけれども、手に取る物だけが自分の物だということではない。眼で常に見ている物だけが自分の物だということではない。千金を持つ家の主人も、常に千金を懐に入れているわけではない。召使いなどに任せておいて千金の主である。一村一郡の主も、自らその田の穀物の多少を調べるわけではない。家来や番頭などに任せておいて一村一郡の主である。大君が天下万乗の主であるのも、山海の広さ狭さ、土地の産物、人民百姓の田の穀物や財宝の数まで、ことごとく知っているわけではない。民百姓の田地財宝は、やはり民百姓の田地財宝でありながら、そのまま自らのものである。功臣や諸侯には一国二国を与え、これを子孫末裔に伝えて治めさせておいて、やはり自らの土地である。この譬えで知りなさい。真に修行する人は、梵天へ上って見なくとも、十八の梵天には禅定の楽を得させておいて、自分のものであり、わが子である。無色界は見なくとも、また自身が無色界の禅定を得なくとも、その衆生に深い禅定に入らせておいて、自分のものであり、わが子である。勇者は勇者、智者は智者、たとえ自分の腕力や智慧が彼らに及ばなくとも、みな自分のものであり、わが子である。面白いことである。富貴の者は富貴のままで自分のものであり、わが子である。貧賤の者は貧賤のままで自分のものであり、わが子である。面白いことである。

解説

「三界皆是我有」を、所有の常識から説き明かす段である。資産家は金を懐に入れていなくても千金の主であり、君主は国中の産物の数を知らなくても天下の主である。同じように修行者は、天界を見たこともなく自分がその禅定を得ていなくても、そこに住む者を自分のもの、わが子とする。勇者や智者が自分より優れていても、それはそれでわが子だという。自分より有能な人を妬まず、その力を喜べる心の広さである。人に任せて信じる器量は、組織を率いる者の要でもある。

この章句が説くこと

我有任せる器量慈悲富貴貧賤

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