十善法語 / 巻第六・不惡口戒
大人ノ大人タル所ハ。意氣揚揚ノ處ニハナクテ。志性溫良ノ處ニアルシヤ。其樂放逸歡樂ノ處ニハナクテ。謹愼篤實ノ處ニアルシヤ。一度ノ麁言。一度ノ傲慢。ミナ灾害ノ兆ト知ヘシ。其平日家ニ處スル。志同ケレハ四海同一身トナル。其心戾レハ兄弟妻妾モ皆怨賊トナル。經中ニ善生子長者ノ六方ヲ禮スル。東方コレ父母。南方コレ師位。西方コレ妻女。北方コレ朋友。下方コレ僕從。上方コレ福田。身ヲ以テ拜スルノミニハ非ス。心ニ敬フ所アル趣シヤ。孝養勤メサレハ其災東方ヨリ起ル。師承ヲ敬セサレハ其災南方ヨリ起ル。閨門ニ禮ヲ失スレハ其災西方ヨリ起ル。交友信ナケレハ其灾北門ヨリ入ル。使令法ナケレハ其災下方ヨリ來ル。三寶ニ憍慢ヲ生スレハ其災天ヨリ下ル。唯謹慎篤實ノ人ノミ有テ。今世後世ノ樂事ヲ全クスルシヤ。
新字:大人ノ大人タル所ハ。意気揚揚ノ処ニハナクテ。志性温良ノ処ニアルシヤ。其楽放逸歓楽ノ処ニハナクテ。謹慎篤実ノ処ニアルシヤ。一度ノ麁言。一度ノ傲慢。ミナ災害ノ兆ト知ヘシ。其平日家ニ処スル。志同ケレハ四海同一身トナル。其心戻レハ兄弟妻妾モ皆怨賊トナル。経中ニ善生子長者ノ六方ヲ礼スル。東方コレ父母。南方コレ師位。西方コレ妻女。北方コレ朋友。下方コレ僕従。上方コレ福田。身ヲ以テ拝スルノミニハ非ス。心ニ敬フ所アル趣シヤ。孝養勤メサレハ其災東方ヨリ起ル。師承ヲ敬セサレハ其災南方ヨリ起ル。閨門ニ礼ヲ失スレハ其災西方ヨリ起ル。交友信ナケレハ其災北門ヨリ入ル。使令法ナケレハ其災下方ヨリ来ル。三宝ニ憍慢ヲ生スレハ其災天ヨリ下ル。唯謹慎篤実ノ人ノミ有テ。今世後世ノ楽事ヲ全クスルシヤ。
書き下し
大人ノ大人タル所ハ。意気揚揚ノ処ニハナクテ。志性温良ノ処ニアルシヤ。其楽放逸歓楽ノ処ニハナクテ。謹慎篤実ノ処ニアルシヤ。一度ノ麁言。一度ノ傲慢。ミナ灾害ノ兆ト知ヘシ。其平日家ニ処スル。志同ケレハ四海同一身トナル。其心戻レハ兄弟妻妾モ皆怨賊トナル。経中ニ善生子長者ノ六方ヲ礼スル。東方コレ父母。南方コレ師位。西方コレ妻女。北方コレ朋友。下方コレ僕従。上方コレ福田。身ヲ以テ拝スルノミニハ非ス。心ニ敬フ所アル趣シヤ。孝養勤メサレハ其災東方ヨリ起ル。師承ヲ敬セサレハ其災南方ヨリ起ル。閨門ニ礼ヲ失スレハ其災西方ヨリ起ル。交友信ナケレハ其灾北門ヨリ入ル。使令法ナケレハ其災下方ヨリ来ル。三宝ニ憍慢ヲ生スレハ其災天ヨリ下ル。唯謹慎篤実ノ人ノミ有テ。今世後世ノ楽事ヲ全クスルシヤ。
現代語訳
大人が大人である所以は、意気揚々としたところにはなく、志と性質が温和で善良なところにあるのである。その楽しみは、ほしいままに歓楽するところにはなく、謹み深く誠実なところにあるのである。一度の荒い言葉、一度の傲慢は、みな災害の兆しと知るべきである。平日に家にいる時、志が同じであれば四海も一つの身となる。その心がねじれれば、兄弟や妻妾もみな仇となる。経の中に、善生子長者が六方を礼拝する。東方はこれ父母、南方はこれ師、西方はこれ妻、北方はこれ友人、下方はこれ召使い、上方はこれ福田(僧)である。身で拝むだけではなく、心に敬うところがある趣である。孝養に努めなければその災いは東方から起こる。師の教えを敬わなければその災いは南方から起こる。夫婦の間に礼を失えばその災いは西方から起こる。友との交わりに信がなければその災いは北の門から入る。召使いの使い方に法がなければその災いは下方から来る。三宝に驕りを生じればその災いは天から降る。ただ謹み深く誠実な人だけが、今世と後世の楽しみを全うするのである。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『慎思録』巻之三孔子の大人を畏るとは、其の爵位有るを尊びて、君上を敬するの意にして、其の勢を畏るるに非ず。是れ驕らざるなり。孟子の大人を藐るとは、其の富貴を畏れて屈辱せざるの意にして、其の人を藐るに非ず。是れ諂はざるなり。蓋し大人を畏ると富貴を藐るとは、道並び行はれて悖らざるなり。大凡礼の用は、和を貴しと為す。太だ促縮して、気をして屈辱せしむべからず。故に大人に説くには、則ち須らく志意をして舒展せしめ、言語をして尽くすを得しむべきなり。
-
『大和俗訓』巻之三・心術上一敬はつつしむと訓ず。つつしむとは、心に戒めおそるるを云ふ。和語の意はつつむなり。しはやすめ字なり。内につつんで、みだりに外に出さざるなり。敬めば本心をたもちて失はず、行ひなす事理にかなひてあやまりなし。ここを以て、敬は一心のまもり、万善の根本なり。故に敬めば身修り、敬まざれば乱る。万のこと、敬まざることなかれ。万善皆つつしみによつて行はれ、万悪皆不敬よりおこる。故に五常の徳是によつて立ち、五倫の道是によつて行はる。ここを以て、聖学は敬を以て要とす。故に聖学の始終、皆敬を以て宗とす。古来聖賢の心法、皆敬の一字を要とす。学者の尤つとむべき所なり。又よくつつしめば福あり。つつしまざれば禍あり。白楽天も、禍と福とは慎むと慎まざるとに在りといへり。身のわざはひは、皆つつしまざるによれり。故につつしみは禍にかつといへり。
-
『慎思録』巻之一敬とは、戒慎恐懼の謂なり。把捉強持の謂に非ざるなり。若し心を操りて強ひて把捉を為さば、是れ助長の病と為す。所謂拘捉すれば、則ち久しくし難きなり。其の弊或いは流れて色荘の人と為る者多し。敬と為すべからざるなり。今の敬を執るの人、動もすれば敬を以て束縛強持の事と為す。聖賢の敬を言ふの本旨に非ず。然れども一に和して、安排布置し、之を節するに礼を以てせざる者も、亦敬を去ること弥遠し。
-
『不動智神妙録』敬の字敬の字をは主一無適と致す程も、心を一所に定めて余所へ心をやらず、後に抜いて切るとも切る方へ心をやらぬが肝要の事にて候、殊に主君抔に御意を承る事、敬の字の心眼たるべし、仏法にも敬の字の心有り、敬白鐘を鳴らすとて鐘を三つ鳴して手を合せ敬白す、先つ仏と唱へ上る此敬白の心、主一無適、一心不乱、同義にて候、
-
言志四録・言志晩録 第八十条 震艮の工夫は一に帰す「其の背に艮まりて其の身を獲ず。其の庭に行きて其の人を見ず」とは、敬以て誠を存するなり。「震は百里を驚かせども、匕鬯を喪はず」とは、誠以て敬を行ふなり。震と艮とは正倒なれども、工夫は一に帰す。
-
『山鹿語類』士道・毋不敬師嘗て曰。格致を明にし、天地の大徳に比し、聖学の源流を正さんとならば、敬身ざるときは、何を以て其要を可得。身を敬するの術、先威儀の則を正しくするにありぬべし。許文正公曰。威儀正于外。則敬身之大体得矣といへり。爰に威儀の則何をか先にせんとならば、身にをいて視聴言動を非礼のために感動せしめざる、是威儀の要と可謂也。而威儀いかんして正しきとならば、曲礼曰、毋不敬と云、此三字を能く工夫するに可有也。凡そ礼は其本人心の不得止の処より出生して、事物の上に自然の節あつて、其文章厳然としておかすべからず、斐然としてあやあるべき、是を礼といふ。身上の動静悉く礼を用たれば、一動一静一語一黙、各礼節あり。礼節の本毋不敬の三字にきはまれり。其ゆへいかんとなれば、語黙動静の間に詳に思て、其節にあたらん事を計らば、不中と云とも不遠のことわり也。何の思ひはかる処なく、唯当座にまかせて是をいたし、情欲に従て発せしむるを以て、非礼の用多く、威儀こゝに廃しこゝに絶す。事物の間にをいて常に思を深くし詳に慮らば、各当然の則りに近かるべし。是を毋不敬と教ゆる也。