十善法語 / 巻第五・不綺語戒
執政大臣ノ樂ハ。上一人ヲ輔ケテ自ラ專ニセヌ。中百官ヲ率テ心常ニ謙遜ス。下萬民ヲ保ンシテ共ニ太平ヲ樂ム。此位ハ人臣ノ極リ。此威勢ハ大君ニ等シ。一タヒ回顧スレハ萬國色ヲ變ス。一タヒ言ヘハ率土奉行スル。德海內ニ加ツテ自ラ其功ニ居ラス。恩禽獸ニ及ンテ其能ニホコラス。餘ハ大君ノ樂ニ同スルシヤ。其樂絲竹管絃ノ及フ所ナラス。マシテ狂言綺語酒宴遊興ニ比スヘキコトテハナキシヤ。總シテ上ニ命ヲ受ル所アルヲ一ノ樂トス。天命ニ順スルシヤ。下ニ惠ム民有ヲ一ノ樂トス。人道行ハルルシヤ。天命ニ順スル故家門永ク其福ヲ受ク。人道ヲ行フ故子孫常ニ賢才德者ヲ得ト云コトシヤ。
新字:執政大臣ノ楽ハ。上一人ヲ輔ケテ自ラ専ニセヌ。中百官ヲ率テ心常ニ謙遜ス。下万民ヲ保ンシテ共ニ太平ヲ楽ム。此位ハ人臣ノ極リ。此威勢ハ大君ニ等シ。一タヒ回顧スレハ万国色ヲ変ス。一タヒ言ヘハ率土奉行スル。徳海内ニ加ツテ自ラ其功ニ居ラス。恩禽獣ニ及ンテ其能ニホコラス。余ハ大君ノ楽ニ同スルシヤ。其楽糸竹管絃ノ及フ所ナラス。マシテ狂言綺語酒宴遊興ニ比スヘキコトテハナキシヤ。総シテ上ニ命ヲ受ル所アルヲ一ノ楽トス。天命ニ順スルシヤ。下ニ恵ム民有ヲ一ノ楽トス。人道行ハルルシヤ。天命ニ順スル故家門永ク其福ヲ受ク。人道ヲ行フ故子孫常ニ賢才徳者ヲ得ト云コトシヤ。
書き下し
執政大臣ノ楽ハ。上一人ヲ輔ケテ自ラ専ニセヌ。中百官ヲ率テ心常ニ謙遜ス。下万民ヲ保ンシテ共ニ太平ヲ楽ム。此位ハ人臣ノ極リ。此威勢ハ大君ニ等シ。一タヒ回顧スレハ万国色ヲ変ス。一タヒ言ヘハ率土奉行スル。徳海内ニ加ツテ自ラ其功ニ居ラス。恩禽獣ニ及ンテ其能ニホコラス。余ハ大君ノ楽ニ同スルシヤ。其楽糸竹管絃ノ及フ所ナラス。マシテ狂言綺語酒宴遊興ニ比スヘキコトテハナキシヤ。総シテ上ニ命ヲ受ル所アルヲ一ノ楽トス。天命ニ順スルシヤ。下ニ恵ム民有ヲ一ノ楽トス。人道行ハルルシヤ。天命ニ順スル故家門永ク其福ヲ受ク。人道ヲ行フ故子孫常ニ賢才徳者ヲ得ト云コトシヤ。
現代語訳
執政大臣の楽しみは、上は一人(君主)を補佐して自分勝手にしない。中は百官を率いて心は常に謙遜である。下は万民を安んじてともに太平を楽しむ。この位は臣下の極みであり、この威勢は大君に等しい。一たび振り返れば万国が顔色を変え、一たび言えば国中が奉じて行う。徳が天下に行き渡っても自らその功に居座らず、恩が鳥獣にまで及んでもその能を誇らない。そのほかは大君の楽しみと同じである。その楽しみは糸竹管絃の及ぶところではない。まして狂言綺語や酒宴遊興に比べるべきことではないのである。総じて、上に命を受けるところがあるのを一つの楽しみとする。天命に従うのである。下に恵む民があるのを一つの楽しみとする。人の道が行われるのである。天命に従うゆえに、家は永くその福を受ける。人の道を行うゆえに、子孫は常に賢く才と徳ある者を得るということである。
解説
この章句が説くこと
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