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十善法語 / 巻第五・不綺語戒

又世中一類ノ者アリ。好テ小兒ヲ戯弄シ恐怖セシメ。或ハ好テ愚昧ノ者ヲ戯弄シ。或ハ怪談ヲ設ケ。怪事ヲ構造シテ。世ヲ惑ハシ民ヲ誣ル類。ミナ灾ノ兆ト知ヘシ。綺語ノ體ヲ云ハ。語業ニ屬シテ。口四ノ中ノ一種ナレドモ。上ニモ云シ如ク。身口意ノ三業ハ。元來合一ナルモノニテ。身業ニモ此犯アルシヤ。ソレ故律ニ此戒ヲ身口綺戒ト名ク。口業ノ綺ハ次上ニ略指セル如シヤ。身業ノ綺ト云ハ。下ナル者カ上ノ衣冠ヲ着シ。上ノ威儀ヲマ子スル。春秋ノ時。季氏カ八佾舞於庭ノ類。三家カ以雍ヲ徹スル類。漢ノ時南越王佗カ黃屋左纛ヲ作シ類。總シテ身ノ作業ノ禮式ヲ踰ルハ。身綺ノ甚シキシヤ。

新字:又世中一類ノ者アリ。好テ小児ヲ戯弄シ恐怖セシメ。或ハ好テ愚昧ノ者ヲ戯弄シ。或ハ怪談ヲ設ケ。怪事ヲ構造シテ。世ヲ惑ハシ民ヲ誣ル類。ミナ災ノ兆ト知ヘシ。綺語ノ体ヲ云ハ。語業ニ属シテ。口四ノ中ノ一種ナレドモ。上ニモ云シ如ク。身口意ノ三業ハ。元来合一ナルモノニテ。身業ニモ此犯アルシヤ。ソレ故律ニ此戒ヲ身口綺戒ト名ク。口業ノ綺ハ次上ニ略指セル如シヤ。身業ノ綺ト云ハ。下ナル者カ上ノ衣冠ヲ着シ。上ノ威儀ヲマ子スル。春秋ノ時。季氏カ八佾舞於庭ノ類。三家カ以雍ヲ徹スル類。漢ノ時南越王佗カ黄屋左纛ヲ作シ類。総シテ身ノ作業ノ礼式ヲ踰ルハ。身綺ノ甚シキシヤ。

書き下し

又世中一類ノ者アリ。好テ小児ヲ戯弄シ恐怖セシメ。或ハ好テ愚昧ノ者ヲ戯弄シ。或ハ怪談ヲ設ケ。怪事ヲ構造シテ。世ヲ惑ハシ民ヲ誣ル類。ミナ灾ノ兆ト知ヘシ。綺語ノ体ヲ云ハ。語業ニ属シテ。口四ノ中ノ一種ナレドモ。上ニモ云シ如ク。身口意ノ三業ハ。元来合一ナルモノニテ。身業ニモ此犯アルシヤ。ソレ故律ニ此戒ヲ身口綺戒ト名ク。口業ノ綺ハ次上ニ略指セル如シヤ。身業ノ綺ト云ハ。下ナル者カ上ノ衣冠ヲ着シ。上ノ威儀ヲマ子スル。春秋ノ時。季氏カ八佾舞於庭ノ類。三家カ以雍ヲ徹スル類。漢ノ時南越王佗カ黄屋左纛ヲ作シ類。総シテ身ノ作業ノ礼式ヲ踰ルハ。身綺ノ甚シキシヤ。

現代語訳

また世の中に一種の者がいる。好んで幼い子どもをからかって怖がらせ、あるいは好んで愚かな者をからかい、あるいは怪談をこしらえ、怪しい出来事をでっち上げて、世を惑わし民を欺く類である。みな災いの兆しと知りなさい。綺語の本体を言えば、言葉の行いに属して、口の四つの戒のうちの一つであるが、前にも言ったように、身口意の三業はもともと一つに合わさったものであって、身の行いにもこの犯しがあるのである。それゆえ律ではこの戒を身口綺戒と名づける。口の行いの綺は、すぐ上にあらまし示したとおりである。身の行いの綺と言うのは、下の者が上の者の衣冠を着け、上の者の威儀を真似ることである。春秋時代、季氏が八佾(天子の舞)を自分の庭で舞わせた類、三家(魯の三桓氏)が雍(天子の祭の歌)で供物を下げた類、漢の時代に南越王の趙佗が黄屋左纛(天子の車の飾り)を作った類である。総じて、身の行いの礼式を越えるのは、身綺の甚だしいものである。

解説

綺語は口だけの問題ではない、と尊者は範囲を広げる。人をからかう、怪談をこしらえて世を惑わすことも災いの兆しとされ、さらに身の綺として、分を越えて上の者の服装や儀礼を真似ることが挙げられる。季氏の八佾の舞は『論語』八佾篇で孔子が「是れをも忍ぶべくんば、孰れをか忍ぶべからざらん」と憤った話として知られる。身口意は一つだという十善法語全体の考え方がここにも生きている。肩書きや見た目を実力以上に飾ることも、身の綺語と言えるだろう。

この章句が説くこと

身口意身綺礼式季氏八佾

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