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十善法語 / 巻第十二・不邪見戒之下

此眼アレハ色カ分ルル。全ク不邪見戒ノ姿シヤ。此耳アレハ聲カ分ルル。全ク不邪見戒ノ姿シヤ。此鼻アレハ香カ分ルル。此舌アレハ味カ分ルル。此身アレハ觸カワカルル。此意アレハ善惡邪正是非得失ヲ知ル。全ク不邪見戒ノ姿シヤ。此等ノ事ヲ具ニ憶念セヨ。聖道ヲ得ル基本シヤ。一切ノ色ハ眼ニ對シテ其光彩ヲアラハス。眼根ハ色ヲ得テ其力用アル。此業有テ生盲トナル。色ノ光彩。コノ人ノ爲ニハ龜毛兎角ノ如シヤ。此業有テ明目ヲ得ル。離婁カ如キモ世世其人アルシヤ。色ノ光彩。此人ノ爲ニハ麁細分明シヤ。此色眼ヲ助テ。此明更ニ增上スル。此眼神靈ノ顯ルル處。法性ノ顯ハルル處シヤ。法華經ノ中ニ父母所生ノ眼悉見三千界ト云モ。其時節ノ有コトソ。

新字:此眼アレハ色カ分ルル。全ク不邪見戒ノ姿シヤ。此耳アレハ声カ分ルル。全ク不邪見戒ノ姿シヤ。此鼻アレハ香カ分ルル。此舌アレハ味カ分ルル。此身アレハ触カワカルル。此意アレハ善悪邪正是非得失ヲ知ル。全ク不邪見戒ノ姿シヤ。此等ノ事ヲ具ニ憶念セヨ。聖道ヲ得ル基本シヤ。一切ノ色ハ眼ニ対シテ其光彩ヲアラハス。眼根ハ色ヲ得テ其力用アル。此業有テ生盲トナル。色ノ光彩。コノ人ノ為ニハ亀毛兎角ノ如シヤ。此業有テ明目ヲ得ル。離婁カ如キモ世世其人アルシヤ。色ノ光彩。此人ノ為ニハ麁細分明シヤ。此色眼ヲ助テ。此明更ニ增上スル。此眼神霊ノ顕ルル処。法性ノ顕ハルル処シヤ。法華経ノ中ニ父母所生ノ眼悉見三千界ト云モ。其時節ノ有コトソ。

書き下し

此眼アレハ色カ分ルル。全ク不邪見戒ノ姿シヤ。此耳アレハ声カ分ルル。全ク不邪見戒ノ姿シヤ。此鼻アレハ香カ分ルル。此舌アレハ味カ分ルル。此身アレハ触カワカルル。此意アレハ善悪邪正是非得失ヲ知ル。全ク不邪見戒ノ姿シヤ。此等ノ事ヲ具ニ憶念セヨ。聖道ヲ得ル基本シヤ。一切ノ色ハ眼ニ対シテ其光彩ヲアラハス。眼根ハ色ヲ得テ其力用アル。此業有テ生盲トナル。色ノ光彩。コノ人ノ為ニハ亀毛兎角ノ如シヤ。此業有テ明目ヲ得ル。離婁カ如キモ世世其人アルシヤ。色ノ光彩。此人ノ為ニハ麁細分明シヤ。此色眼ヲ助テ。此明更ニ增上スル。此眼神霊ノ顕ルル処。法性ノ顕ハルル処シヤ。法華経ノ中ニ父母所生ノ眼悉見三千界ト云モ。其時節ノ有コトソ。

現代語訳

この眼があれば色が見分けられる。まったく不邪見戒の姿である。この耳があれば声が聞き分けられる。まったく不邪見戒の姿である。この鼻があれば香が分かる。この舌があれば味が分かる。この身があれば触れるものが分かる。この意があれば善悪・邪正・是非・得失を知る。まったく不邪見戒の姿である。これらのことを詳しく思いめぐらしなさい。聖なる道を得る基本である。一切の色は眼に向かってその光や彩りを現す。眼根は色を得てその働きがある。ある業があって生まれつき目が見えない。色の光や彩りは、この人にとっては亀の毛や兎の角のように無いものである。ある業があって明らかな目を得る。離婁のような人も世々にいるのである。色の光や彩りは、この人にとっては粗いも細かいも明らかである。この色が眼を助けて、この明らかさはさらに増す。この眼は神霊の現れる所、法性の現れる所である。法華経の中に、父母から生まれたままの眼で三千世界をことごとく見る、と言うのも、その時があることである。

解説

眼が色を、耳が声を見分け、意が善悪を知る。その当たり前の働きそのものが不邪見戒の姿だ、と尊者は言う。正しい見方は特別な教義ではなく、感覚がありのままに働くことにある。続いて六根を一つずつ取り上げ、まず眼について、見えない人も目のよい人もそれぞれの業によると説く。当時の教えとしてはこう説かれた。離婁は遠くの毛先まで見たという伝説の人物で、法華経法師功徳品には六根清浄の功徳が説かれる。見る働きを大事にし、磨けば深まるという視点が今にも生きる。

この章句が説くこと

不邪見戒六根法性法華経離婁

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