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十善法語 / 巻第十二・不邪見戒之下

光初十一年。劉曜自ラ軍兵ヲ引率シテ洛陽ヲ攻ム。石勒自ラ往テ拒戰セントス。諸ノ僚佐劉曜ノ軍威ヲ恐テ。悉ク諫メ止ム。コノ時石勒佛圖澄ニ問フ。佛圖澄相論ノ鈴ノ音ヲ聞テ告。鈴音此羯語ヲナス。秀支替戾岡僕谷劬禿當ト。秀支ハ軍也。替戾岡ハ出也。僕谷ハ劉曜胡位也。劬禿當ハ捉也。此ハ軍出捉得曜ト云コトソト。其時徐光此旨ヲ聞テ。石勒ニ出馬アルヘシト告ク。石勒此言ヲ用テ。自ラ中軍歩騎ヲ率テ。直ニ洛陽城ニ詣テ。兩陣相接ル。果シテ此日劉曜カ軍大ニ潰ユ。曜馬ニ乘ナカラ水中ヘ陷ル。石堪ト云者生擒ストアル。

新字:光初十一年。劉曜自ラ軍兵ヲ引率シテ洛陽ヲ攻ム。石勒自ラ往テ拒戦セントス。諸ノ僚佐劉曜ノ軍威ヲ恐テ。悉ク諫メ止ム。コノ時石勒仏図澄ニ問フ。仏図澄相論ノ鈴ノ音ヲ聞テ告。鈴音此羯語ヲナス。秀支替戻岡僕谷劬禿当ト。秀支ハ軍也。替戻岡ハ出也。僕谷ハ劉曜胡位也。劬禿当ハ捉也。此ハ軍出捉得曜ト云コトソト。其時徐光此旨ヲ聞テ。石勒ニ出馬アルヘシト告ク。石勒此言ヲ用テ。自ラ中軍歩騎ヲ率テ。直ニ洛陽城ニ詣テ。両陣相接ル。果シテ此日劉曜カ軍大ニ潰ユ。曜馬ニ乗ナカラ水中ヘ陥ル。石堪ト云者生擒ストアル。

書き下し

光初十一年。劉曜自ラ軍兵ヲ引率シテ洛陽ヲ攻ム。石勒自ラ往テ拒戦セントス。諸ノ僚佐劉曜ノ軍威ヲ恐テ。悉ク諫メ止ム。コノ時石勒仏図澄ニ問フ。仏図澄相論ノ鈴ノ音ヲ聞テ告。鈴音此羯語ヲナス。秀支替戻岡僕谷劬禿当ト。秀支ハ軍也。替戻岡ハ出也。僕谷ハ劉曜胡位也。劬禿当ハ捉也。此ハ軍出捉得曜ト云コトソト。其時徐光此旨ヲ聞テ。石勒ニ出馬アルヘシト告ク。石勒此言ヲ用テ。自ラ中軍歩騎ヲ率テ。直ニ洛陽城ニ詣テ。両陣相接ル。果シテ此日劉曜カ軍大ニ潰ユ。曜馬ニ乗ナカラ水中ヘ陥ル。石堪ト云者生擒ストアル。

現代語訳

光初十一年、劉曜が自ら軍兵を率いて洛陽を攻めた。石勒は自ら行って防ぎ戦おうとした。諸々の側近は劉曜の軍の威勢を恐れて、みな諫めて止めた。この時、石勒は仏図澄に問うた。仏図澄は塔の相輪の鈴の音を聞いて告げた。鈴の音はこの羯の言葉を語っている。秀支替戾岡、僕谷劬禿当、と。秀支は軍である。替戾岡は出るである。僕谷は劉曜の胡語での位である。劬禿当は捕らえるである。これは、軍が出れば曜を捕らえる、ということである、と。その時、徐光がこの趣旨を聞いて、石勒に出陣なさるべきだと告げた。石勒はこの言葉を用いて、自ら中軍の歩兵と騎兵を率いて、ただちに洛陽城に至り、両陣が接した。はたしてこの日、劉曜の軍は大いに崩れた。劉曜は馬に乗ったまま水中へ落ち、石堪という者が生け捕りにした、とある。

解説

晋書の仏図澄伝などに伝わる有名な話である。劉曜の大軍に側近が皆おびえる中、仏図澄は塔の鈴の音を羯族の言葉として聞き取り、出陣すれば劉曜を捕らえると告げた。羯は石勒の出身の部族である。結果はその通りになった。尊者はこれを、鈴の音にさえ千里先の勝敗が現れる例として引く。真偽の判定はここではしない。ただ、皆が恐れて止める時に、よく聞き、よく見て判断する者が流れを変えるという点は、今日の意思決定にも通じる。

この章句が説くこと

神通決断兆し仏図澄石勒劉曜

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