十善法語 / 巻第四・不妄語戒
現今此世間モ。佛世尊ノ無漏大定ノ中ニ安住シテ在モノシヤ。現今此言音モ諸佛ノ妙法藏シヤ。此世間ノ無漏大定ノ中ニ在コトハ。初心ナル者ハ信解カ生シ難キ歟。看ヨ。法華經ノ中ニハ。常在靈鷲山。我此土安穩ト有ル。華嚴經ノ中ニハ。二十重ノ華藏莊嚴世界ヲ說テ。此娑婆國カ中央ニ住シテ。第十三重ニ居スルシヤ。唯業障深重ナル者カ常寂光國土ノ中ニ無常敗壞ノ相ヲ見ル。三界無安。猶如火宅シヤ。妄想分別ノモノカ蓮華臺藏世界ノ中ニ暗冥雜穢ノ相ヲ見ル。世界皆暗冥シヤ。此言音ノ諸佛ノ妙法藏ナルコトハ。初心ナル者信解生シ難キカ。看ヨ。近クハ國ヲ治メ家ヲ治ル六經諸子ノ書カ是シヤ。遠クハ業障ヲ淨除シ。善功德ヲ成立シ。佛果ヲ成就スル一切經律論諸眞言明咒カ是シヤ。
新字:現今此世間モ。仏世尊ノ無漏大定ノ中ニ安住シテ在モノシヤ。現今此言音モ諸仏ノ妙法蔵シヤ。此世間ノ無漏大定ノ中ニ在コトハ。初心ナル者ハ信解カ生シ難キ歟。看ヨ。法華経ノ中ニハ。常在霊鷲山。我此土安穏ト有ル。華厳経ノ中ニハ。二十重ノ華蔵荘厳世界ヲ説テ。此娑婆国カ中央ニ住シテ。第十三重ニ居スルシヤ。唯業障深重ナル者カ常寂光国土ノ中ニ無常敗壊ノ相ヲ見ル。三界無安。猶如火宅シヤ。妄想分別ノモノカ蓮華台蔵世界ノ中ニ暗冥雑穢ノ相ヲ見ル。世界皆暗冥シヤ。此言音ノ諸仏ノ妙法蔵ナルコトハ。初心ナル者信解生シ難キカ。看ヨ。近クハ国ヲ治メ家ヲ治ル六経諸子ノ書カ是シヤ。遠クハ業障ヲ浄除シ。善功徳ヲ成立シ。仏果ヲ成就スル一切経律論諸真言明咒カ是シヤ。
書き下し
現今此世間モ。仏世尊ノ無漏大定ノ中ニ安住シテ在モノシヤ。現今此言音モ諸仏ノ妙法蔵シヤ。此世間ノ無漏大定ノ中ニ在コトハ。初心ナル者ハ信解カ生シ難キ歟。看ヨ。法華経ノ中ニハ。常在霊鷲山。我此土安穏ト有ル。華厳経ノ中ニハ。二十重ノ華蔵荘厳世界ヲ説テ。此娑婆国カ中央ニ住シテ。第十三重ニ居スルシヤ。唯業障深重ナル者カ常寂光国土ノ中ニ無常敗壊ノ相ヲ見ル。三界無安。猶如火宅シヤ。妄想分別ノモノカ蓮華台蔵世界ノ中ニ暗冥雑穢ノ相ヲ見ル。世界皆暗冥シヤ。此言音ノ諸仏ノ妙法蔵ナルコトハ。初心ナル者信解生シ難キカ。看ヨ。近クハ国ヲ治メ家ヲ治ル六経諸子ノ書カ是シヤ。遠クハ業障ヲ浄除シ。善功徳ヲ成立シ。仏果ヲ成就スル一切経律論諸真言明咒カ是シヤ。
現代語訳
現在のこの世間も、仏世尊の無漏の大いなる禅定の中に安住しているものである。現在のこの言葉の響きも、諸仏の妙なる法の蔵である。この世間が無漏の大いなる禅定の中にあることは、初心の者には信じ理解することが生じにくいか。見なさい。法華経の中には、常に霊鷲山にあり、我がこの国土は安穏である、とある。華厳経の中には、二十重の華蔵荘厳世界を説いて、この娑婆国がその中央にあって第十三重に位置するのである。ただ業障の深く重い者が、常寂光の国土の中に無常や壊れていく相を見る。三界は安らかでなく、なお火宅のようだ、というのである。妄想分別の者が、蓮華蔵世界の中に暗く雑多で穢れた相を見る。世界はみな暗い、というのである。この言葉の響きが諸仏の妙なる法の蔵であることは、初心の者には信じ理解することが生じにくいか。見なさい。近くは国を治め家を治める六経や諸子の書がこれである。遠くは業障を清め除き、善い功徳を成し遂げ、仏果を成就させる一切の経・律・論、諸々の真言や明呪がこれである。
解説
この章句が説くこと
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