十善法語 / 巻第一・不殺生戒
三界ノ當相。トリモ直サス法性ノ姿シヤ。山ニ在テハ高ク。海ニ在テハ深キシヤ。竹ニ在テハ直ク。棘ニ在テハ曲ル。天ニ在テハ覆ヒ。地ニ在テハ載ル。衆生ニ在テハ種種差別シ。虛空ニ在テハ豁然タルシヤ。言ニモ及ハヌ。若言ヘハ必眞實語シヤ。總シテ妄語ト云モノハ下劣ナルコトテ。人ヲ欺カヌ已前ニ。早ク自己ヲ欺ク。天地ニモ背ク。神祇ニモソムク。纔ニ一二人ヲ欺ントシテ。天神地祇ノ冥助ヲ失フシヤ。二六時中。道ヲ以テ樂トスルニ由テ。綺語ヲ離ルシヤ。世人ノ樂ヲモ邪ニ求メ。心ノ散亂ヲ樂トスルハ。愚癡ノ至リシヤ。自己タニ明了ナレハ。其樂身心ニ備リテ。外ノ樂ヲカルコトテハナイ。王公ナレハ其國土人民カ我樂トナリ來ル。士農工商ナレハソレソレノ作業カ我樂トナリ來ル。出家ナレハ其禪定智慧カ我樂トナリ來ルシヤ。
新字:三界ノ当相。トリモ直サス法性ノ姿シヤ。山ニ在テハ高ク。海ニ在テハ深キシヤ。竹ニ在テハ直ク。棘ニ在テハ曲ル。天ニ在テハ覆ヒ。地ニ在テハ載ル。衆生ニ在テハ種種差別シ。虚空ニ在テハ豁然タルシヤ。言ニモ及ハヌ。若言ヘハ必真実語シヤ。総シテ妄語ト云モノハ下劣ナルコトテ。人ヲ欺カヌ已前ニ。早ク自己ヲ欺ク。天地ニモ背ク。神祇ニモソムク。纔ニ一二人ヲ欺ントシテ。天神地祇ノ冥助ヲ失フシヤ。二六時中。道ヲ以テ楽トスルニ由テ。綺語ヲ離ルシヤ。世人ノ楽ヲモ邪ニ求メ。心ノ散乱ヲ楽トスルハ。愚痴ノ至リシヤ。自己タニ明了ナレハ。其楽身心ニ備リテ。外ノ楽ヲカルコトテハナイ。王公ナレハ其国土人民カ我楽トナリ来ル。士農工商ナレハソレソレノ作業カ我楽トナリ来ル。出家ナレハ其禅定智慧カ我楽トナリ来ルシヤ。
書き下し
三界ノ当相。トリモ直サス法性ノ姿シヤ。山ニ在テハ高ク。海ニ在テハ深キシヤ。竹ニ在テハ直ク。棘ニ在テハ曲ル。天ニ在テハ覆ヒ。地ニ在テハ載ル。衆生ニ在テハ種種差別シ。虚空ニ在テハ豁然タルシヤ。言ニモ及ハヌ。若言ヘハ必真実語シヤ。総シテ妄語ト云モノハ下劣ナルコトテ。人ヲ欺カヌ已前ニ。早ク自己ヲ欺ク。天地ニモ背ク。神祇ニモソムク。纔ニ一二人ヲ欺ントシテ。天神地祇ノ冥助ヲ失フシヤ。二六時中。道ヲ以テ楽トスルニ由テ。綺語ヲ離ルシヤ。世人ノ楽ヲモ邪ニ求メ。心ノ散乱ヲ楽トスルハ。愚痴ノ至リシヤ。自己タニ明了ナレハ。其楽身心ニ備リテ。外ノ楽ヲカルコトテハナイ。王公ナレハ其国土人民カ我楽トナリ来ル。士農工商ナレハソレソレノ作業カ我楽トナリ来ル。出家ナレハ其禅定智慧カ我楽トナリ来ルシヤ。
現代語訳
三界のありのままのすがたは、とりもなおさず法性の姿である。山にあっては高く、海にあっては深い。竹にあってはまっすぐで、いばらにあっては曲がる。天にあっては覆い、地にあっては載せる。衆生にあってはさまざまに差別し、虚空にあってはからりと開けている。言葉にも及ばない。もし言うなら必ず真実の言葉である。総じて妄語というものは下劣なことで、人を欺く前に、早くも自分を欺く。天地にも背き、神々にも背く。わずかに一人二人を欺こうとして、天の神地の神の目に見えない助けを失うのである。一日中、道を楽しみとするから、綺語を離れるのである。世の人が楽しみをも邪に求め、心の散り乱れを楽しみとするのは、愚かさの極みである。自己さえ明らかであれば、その楽しみは身心に具わって、外の楽しみを借りることではない。王公であればその国土と人民が自分の楽しみとなって来る。士農工商であれば、それぞれの仕事が自分の楽しみとなって来る。出家であれば、その禅定と智慧が自分の楽しみとなって来るのである。
解説

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