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十善法語 / 巻第一・不殺生戒

華嚴經ノ中ニ。佛子。菩薩摩訶薩如是護持十善業道。常無間斷。復作是念。一切衆生墮惡趣者。莫不皆以十不善業。是故我當自修正行。亦勸於他令修正行。何以故。若自不能修行正行令他修者。無有是處トアル。コレハ離垢地菩薩ノ行スル處シヤ。菩薩ハ衆生ヲ以テ自心トスルシヤ。菩薩ハ善事ヲ以テ自ノ作業トスルシヤ。衆生ヲ以テ心トスルニ由テ。衆生ノ有リ通リヲ全クシテ。常ニ世間ニ在ルシヤ。此衆生ノ惡業ヲ行シテ惡趣ニ墮スルヲ見ルコト。父母ノ愛子ノ家法ニソムキテ流浪スルヲ見ル如ク。嬰孩ノ乳母ノ手ヲ離レテ。水火ニ入ルヲ見ル如クシヤ。作業必ス善事ナルニ由テ。身ニ行スル所ハ不殺生不偸盜不邪婬シヤ。口ニ行スル所ハ不妄語不綺語不惡口不兩舌シヤ。意ニ行スル所ハ不貪欲不瞋恚不邪見シヤ。此ヲ自ラ正行ヲ修スト名クル。此次ノ文ニ。十善業道是人天乃至有頂處受生因トアル。十善ヲ上品ニ護持スレハ諸天及金輪王ノ位ヲ得ル。中品ニ護持スレハ人中諸ノ王位ヲ得ル。下品ニ護持スルハ人中ノ豪貴トナルシヤ。乃至分受護持ノ者モ人中ニ在テ其果報ムナシカラヌシヤ。是ニハ異說モ有。又此上中下品ト云ニ。各淺深ノ有コトナレトモ。先ツ大抵ハ上ノ如クニ憶念スヘキシヤ。

新字:華厳経ノ中ニ。仏子。菩薩摩訶薩如是護持十善業道。常無間断。復作是念。一切衆生堕悪趣者。莫不皆以十不善業。是故我当自修正行。亦勧於他令修正行。何以故。若自不能修行正行令他修者。無有是処トアル。コレハ離垢地菩薩ノ行スル処シヤ。菩薩ハ衆生ヲ以テ自心トスルシヤ。菩薩ハ善事ヲ以テ自ノ作業トスルシヤ。衆生ヲ以テ心トスルニ由テ。衆生ノ有リ通リヲ全クシテ。常ニ世間ニ在ルシヤ。此衆生ノ悪業ヲ行シテ悪趣ニ堕スルヲ見ルコト。父母ノ愛子ノ家法ニソムキテ流浪スルヲ見ル如ク。嬰孩ノ乳母ノ手ヲ離レテ。水火ニ入ルヲ見ル如クシヤ。作業必ス善事ナルニ由テ。身ニ行スル所ハ不殺生不偸盗不邪婬シヤ。口ニ行スル所ハ不妄語不綺語不悪口不両舌シヤ。意ニ行スル所ハ不貪欲不瞋恚不邪見シヤ。此ヲ自ラ正行ヲ修スト名クル。此次ノ文ニ。十善業道是人天乃至有頂処受生因トアル。十善ヲ上品ニ護持スレハ諸天及金輪王ノ位ヲ得ル。中品ニ護持スレハ人中諸ノ王位ヲ得ル。下品ニ護持スルハ人中ノ豪貴トナルシヤ。乃至分受護持ノ者モ人中ニ在テ其果報ムナシカラヌシヤ。是ニハ異説モ有。又此上中下品ト云ニ。各浅深ノ有コトナレトモ。先ツ大抵ハ上ノ如クニ憶念スヘキシヤ。

書き下し

華厳経ノ中ニ。仏子。菩薩摩訶薩如是護持十善業道。常無間断。復作是念。一切衆生堕悪趣者。莫不皆以十不善業。是故我当自修正行。亦勧於他令修正行。何以故。若自不能修行正行令他修者。無有是処トアル。コレハ離垢地菩薩ノ行スル処シヤ。菩薩ハ衆生ヲ以テ自心トスルシヤ。菩薩ハ善事ヲ以テ自ノ作業トスルシヤ。衆生ヲ以テ心トスルニ由テ。衆生ノ有リ通リヲ全クシテ。常ニ世間ニ在ルシヤ。此衆生ノ悪業ヲ行シテ悪趣ニ堕スルヲ見ルコト。父母ノ愛子ノ家法ニソムキテ流浪スルヲ見ル如ク。嬰孩ノ乳母ノ手ヲ離レテ。水火ニ入ルヲ見ル如クシヤ。作業必ス善事ナルニ由テ。身ニ行スル所ハ不殺生不偸盗不邪婬シヤ。口ニ行スル所ハ不妄語不綺語不悪口不両舌シヤ。意ニ行スル所ハ不貪欲不瞋恚不邪見シヤ。此ヲ自ラ正行ヲ修スト名クル。此次ノ文ニ。十善業道是人天乃至有頂処受生因トアル。十善ヲ上品ニ護持スレハ諸天及金輪王ノ位ヲ得ル。中品ニ護持スレハ人中諸ノ王位ヲ得ル。下品ニ護持スルハ人中ノ豪貴トナルシヤ。乃至分受護持ノ者モ人中ニ在テ其果報ムナシカラヌシヤ。是ニハ異説モ有。又此上中下品ト云ニ。各浅深ノ有コトナレトモ。先ツ大抵ハ上ノ如クニ憶念スヘキシヤ。

現代語訳

華厳経の中に、「仏子よ、菩薩摩訶薩はこのように十善業道を護持して、常に途切れることがない。またこう念じる。一切衆生で悪趣に落ちる者は、みな十不善業によらない者はない。それゆえ私は自ら正しい行いを修め、また他の人にも勧めて正しい行いを修めさせよう。なぜなら、もし自ら正しい行いを修めることができずに他人に修めさせるということは、ありえないからである」とある。これは離垢地の菩薩の行う所である。菩薩は衆生を自分の心とするのである。菩薩は善い事を自分の仕事とするのである。衆生を心とするから、衆生のありのままを全うして、常に世間にいるのである。この衆生が悪業を行って悪趣に落ちるのを見ることは、父母が愛する子が家のきまりに背いてさまよい歩くのを見るように、幼子が乳母の手を離れて水や火に入るのを見るようなものである。仕事が必ず善い事であるから、身に行う所は不殺生・不偸盗・不邪婬である。口に行う所は不妄語・不綺語・不悪口・不両舌である。意に行う所は不貪欲・不瞋恚・不邪見である。これを自ら正しい行いを修めると名づける。この次の文に、「十善業道は人・天から有頂天に至るまでの所に生を受ける因である」とある。十善を上品に護持すれば、諸天や金輪王の位を得る。中品に護持すれば、人の中の諸々の王位を得る。下品に護持すれば、人の中の豪族貴人となる。乃至、部分的に受けて護持する者も、人の中にあってその果報はむなしくない。これには異説もある。またこの上中下品と言うのにも、それぞれ浅い深いがあるけれども、まず大体は上のように心にとどめておくがよい。

解説

華厳経十地品の離垢地の一節を引いて、菩薩の十善を説く。自分が正しく行わずに他人に行わせることはできない、という経文は、人を導く者の心得そのものである。菩薩は衆生の心を自分の心とし、悪に落ちる人を見ることを、家を飛び出したわが子や火に近づく幼子を見るように感じる。続いて、十善を守る深さに応じて天の王、人の王、豪族として生まれるという果報の段階が示される。尊者は異説もあると断ったうえで、大筋として心得よと言う。

この章句が説くこと

華厳経菩薩正行離垢地果報十善業

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