十善法語 / 巻第八・不貪欲戒
孟子ニ。葛伯獵ス。童子餉ヲ餽ル。葛伯見テ。童子ヲ殺シテ其餉ヲ奪フ。此ニ由テ湯初テ征スル葛ヨリ始トアル。民家ノ餉ハ。國君ノ口ニ適フベキデハナケレドモ。畢竟シテ戲レト慢心トノ長セルヨリ起タコトシヤ。民庶嬰孩ヲモ侮ラヌガ十善ノ心シヤ。又左傳ニ。齊ノ懿公庸織カ妻ヲ奪フ。是ニ由テ終ニ身ヲ亡シタシヤ。人ノ妻ヲ奪フマシキハ知レタコトナレドモ。臣僕ヲ侮ル故ニ出來ツタコトシヤ。臣僕ノ類ニモ謹ヲ失ハヌカ十善ノ心シヤ。不貪欲戒ハカウシヤ。
新字:孟子ニ。葛伯猟ス。童子餉ヲ餽ル。葛伯見テ。童子ヲ殺シテ其餉ヲ奪フ。此ニ由テ湯初テ征スル葛ヨリ始トアル。民家ノ餉ハ。国君ノ口ニ適フベキデハナケレドモ。畢竟シテ戯レト慢心トノ長セルヨリ起タコトシヤ。民庶嬰孩ヲモ侮ラヌガ十善ノ心シヤ。又左伝ニ。斉ノ懿公庸織カ妻ヲ奪フ。是ニ由テ終ニ身ヲ亡シタシヤ。人ノ妻ヲ奪フマシキハ知レタコトナレドモ。臣僕ヲ侮ル故ニ出来ツタコトシヤ。臣僕ノ類ニモ謹ヲ失ハヌカ十善ノ心シヤ。不貪欲戒ハカウシヤ。
書き下し
孟子ニ。葛伯猟ス。童子餉ヲ餽ル。葛伯見テ。童子ヲ殺シテ其餉ヲ奪フ。此ニ由テ湯初テ征スル葛ヨリ始トアル。民家ノ餉ハ。国君ノ口ニ適フベキデハナケレドモ。畢竟シテ戯レト慢心トノ長セルヨリ起タコトシヤ。民庶嬰孩ヲモ侮ラヌガ十善ノ心シヤ。又左伝ニ。斉ノ懿公庸織カ妻ヲ奪フ。是ニ由テ終ニ身ヲ亡シタシヤ。人ノ妻ヲ奪フマシキハ知レタコトナレドモ。臣僕ヲ侮ル故ニ出来ツタコトシヤ。臣僕ノ類ニモ謹ヲ失ハヌカ十善ノ心シヤ。不貪欲戒ハカウシヤ。
現代語訳
孟子に、「葛伯が狩りをした。童子が(農夫に)食べ物を届けていた。葛伯はそれを見て、童子を殺してその食べ物を奪った。これによって、湯王の征伐は葛から始まった」とある。民家の弁当は国君の口に合うはずのものではないけれども、つまるところ、戯れと慢心とが長じたことから起こったことである。民庶や幼子をも侮らないのが、十善の心である。また左伝に、斉の懿公が庸織の妻を奪った。これによって、ついに身を滅ぼしたのである。人の妻を奪ってはならないことは知れたことであるけれども、臣下や召使いを侮るために起こったことである。臣下や召使いの類にも謹みを失わないのが、十善の心である。不貪欲戒はこういうものである。
解説
この章句が説くこと
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