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十善法語 / 巻第十・不邪見戒之上

此煩惱カ人間天上等ノ生死輪廻トナル。淺間シキコトナレトモ。一切凡夫ノ當リマヘナレハ。惡趣ニハ堕セヌト云コトシヤ。生レシ後。成長シ智慧ツキタル時。或ハ邪教邪師ニ從テ其法ヲ受ケ。或ハ自ラ邪思惟分別シテ。斷常ノ二見ヲ起シ。甚シキハ殺生偸盜等ニ怖ナキヤウニナル。父母師僧ノ教ニ違背スルヤウニモナル。神祇ヲモ畏レヌヤウニナル。聖賢德者ヲモ蔑ニスルヤウニナル。因果ヲモ信セヌヤウニナル。義理ヲモ廢スルヤウニナル。是ハ生レママノ凡夫分際ヨリハ。一段長セシ煩惱ナルニ因テ。此ヲ分別起ノ惑ト云。此類ノ者カ惡趣ニ墮スルト云コトシヤ。

新字:此煩悩カ人間天上等ノ生死輪廻トナル。浅間シキコトナレトモ。一切凡夫ノ当リマヘナレハ。悪趣ニハ堕セヌト云コトシヤ。生レシ後。成長シ智慧ツキタル時。或ハ邪教邪師ニ従テ其法ヲ受ケ。或ハ自ラ邪思惟分別シテ。断常ノ二見ヲ起シ。甚シキハ殺生偸盗等ニ怖ナキヤウニナル。父母師僧ノ教ニ違背スルヤウニモナル。神祇ヲモ畏レヌヤウニナル。聖賢徳者ヲモ蔑ニスルヤウニナル。因果ヲモ信セヌヤウニナル。義理ヲモ廃スルヤウニナル。是ハ生レママノ凡夫分際ヨリハ。一段長セシ煩悩ナルニ因テ。此ヲ分別起ノ惑ト云。此類ノ者カ悪趣ニ堕スルト云コトシヤ。

書き下し

此煩悩カ人間天上等ノ生死輪廻トナル。浅間シキコトナレトモ。一切凡夫ノ当リマヘナレハ。悪趣ニハ堕セヌト云コトシヤ。生レシ後。成長シ智慧ツキタル時。或ハ邪教邪師ニ従テ其法ヲ受ケ。或ハ自ラ邪思惟分別シテ。断常ノ二見ヲ起シ。甚シキハ殺生偸盗等ニ怖ナキヤウニナル。父母師僧ノ教ニ違背スルヤウニモナル。神祇ヲモ畏レヌヤウニナル。聖賢徳者ヲモ蔑ニスルヤウニナル。因果ヲモ信セヌヤウニナル。義理ヲモ廃スルヤウニナル。是ハ生レママノ凡夫分際ヨリハ。一段長セシ煩悩ナルニ因テ。此ヲ分別起ノ惑ト云。此類ノ者カ悪趣ニ堕スルト云コトシヤ。

現代語訳

この煩悩が人間界や天上界などでの生死の輪廻となる。情けないことではあるが、一切の凡夫にとって当たり前のことなので、悪趣(地獄・餓鬼・畜生などの苦しい境涯)には堕ちない、ということである。生まれた後、成長して知恵がついた時に、あるいは邪な教えや邪な師に従ってその法を受け、あるいは自分で邪な思惟分別をして、断見・常見の二つの見方を起こし、甚だしい者は殺生や盗みなどにも恐れがなくなる。父母や師僧の教えに背くようにもなる。神々をも畏れないようになる。聖人・賢人や徳のある人をも侮るようになる。因果をも信じないようになる。義理をも捨てるようになる。これは生まれたままの凡夫の分際よりも一段増長した煩悩であるから、これを分別起の惑(考え出した迷い)と言う。この類の者が悪趣に堕ちる、ということである。

解説

生まれつきの煩悩である倶生の惑と、成長してから知恵によって作り出す分別起の惑とを分ける段である。尊者によれば、前者は凡夫の当たり前として輪廻の因にはなっても悪趣には堕ちないが、後者は邪な教えや自分の理屈で断見・常見を固め、殺生を恐れず、親や師の教えに背き、因果を信じなくなるので悪趣に堕ちると説かれる。知恵がつくほど、自分の悪を正当化する理屈も巧みになるという指摘は、今日にもそのまま通じる。生まれつきの弱さより、理屈で固めた誤りのほうが根が深いのである。

この章句が説くこと

分別起煩悩輪廻悪趣邪見因果

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