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十善法語 / 巻第一・不殺生戒

安永二年癸巳十一月二十三日示衆。師云。人ノ人タル道ハ。此十善ニ在シヤ。人タル道ヲ全クシテ。賢聖ノ地位ニモ到ルヘク。高ク佛果ヲモ期スヘキト云コトシヤ。經ノ中ニ。此道ヲ失ヘハ。鳥獸ニモ異ナラス。木頭ニモ異ナラスト有シヤ。阿含經。正法念處經。婆沙論。成實論等。大般若經。梵網經。瑜伽論。智度論等。諸ノ大小乘經論ノ通說シヤ。

新字:安永二年癸巳十一月二十三日示衆。師云。人ノ人タル道ハ。此十善ニ在シヤ。人タル道ヲ全クシテ。賢聖ノ地位ニモ到ルヘク。高ク仏果ヲモ期スヘキト云コトシヤ。経ノ中ニ。此道ヲ失ヘハ。鳥獣ニモ異ナラス。木頭ニモ異ナラスト有シヤ。阿含経。正法念処経。婆沙論。成実論等。大般若経。梵網経。瑜伽論。智度論等。諸ノ大小乗経論ノ通説シヤ。

書き下し

安永二年癸巳十一月二十三日示衆。師云。人ノ人タル道ハ。此十善ニ在シヤ。人タル道ヲ全クシテ。賢聖ノ地位ニモ到ルヘク。高ク仏果ヲモ期スヘキト云コトシヤ。経ノ中ニ。此道ヲ失ヘハ。鳥獣ニモ異ナラス。木頭ニモ異ナラスト有シヤ。阿含経。正法念処経。婆沙論。成実論等。大般若経。梵網経。瑜伽論。智度論等。諸ノ大小乗経論ノ通説シヤ。

現代語訳

安永二年(一七七三)十一月二十三日、大衆に示された。師は言われた。人が人である道は、この十善にあるのだ。人である道を全うしてこそ、賢者や聖者の境地にも到ることができ、高くは仏の悟りをも期することができる、ということである。経の中に、この道を失えば鳥や獣とも異ならず、木切れとも異ならない、とある。阿含経・正法念処経・婆沙論・成実論など、大般若経・梵網経・瑜伽論・大智度論など、大乗小乗のあらゆる経論に共通する説である。

解説

慈雲尊者飲光(一七一八〜一八〇四)が、京都の阿弥陀寺で月に二度、在家の人々に十善戒を説いた講話の第一声である。十善とは殺さない・盗まない・邪淫しない・嘘をつかない・飾った言葉を使わない・悪口を言わない・二枚舌を使わない・貪らない・怒らない・誤った見方をしない、の十である。尊者はこれを出家者の特別な戒ではなく、まず人が人であるための道として置いた。高い悟りはその延長にしかない、という順序がこの書全体を貫いている。

この章句が説くこと

十善人の道慈雲示衆仏果

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