十善法語 / 巻第二・不偸盜戒
又或者カ云。佛者ノ身ヲ潔クシテ。肉食婬事ナトヲ斷絕スルハ。齋戒法ニテ。祭祀ナトニ用フヘシ。常人通途ノ道ニ非ス。但シ聖人ノ巫祝ヲ用フルヲ以テ見レハ。今ノ僧家モ棄ヘキナラスト。是ハ近代ノ加持祈禱ヲ主トスル。眞言天台等ノ中。一類ノ弊儀ヲ見テ。一種ザツト思ヒウカベタ言葉シヤ。眞ノ密教修行ノ者ハ。有爲ノ福業ハ祈ラヌ。巫祝ノ類トハ大ニ違フ。肉食婬事ヲ斷スルハ。別ニ其道ノ有ルコトシヤ。
新字:又或者カ云。仏者ノ身ヲ潔クシテ。肉食婬事ナトヲ断絶スルハ。斎戒法ニテ。祭祀ナトニ用フヘシ。常人通途ノ道ニ非ス。但シ聖人ノ巫祝ヲ用フルヲ以テ見レハ。今ノ僧家モ棄ヘキナラスト。是ハ近代ノ加持祈祷ヲ主トスル。真言天台等ノ中。一類ノ弊儀ヲ見テ。一種ザツト思ヒウカベタ言葉シヤ。真ノ密教修行ノ者ハ。有為ノ福業ハ祈ラヌ。巫祝ノ類トハ大ニ違フ。肉食婬事ヲ断スルハ。別ニ其道ノ有ルコトシヤ。
書き下し
又或者カ云。仏者ノ身ヲ潔クシテ。肉食婬事ナトヲ断絶スルハ。斎戒法ニテ。祭祀ナトニ用フヘシ。常人通途ノ道ニ非ス。但シ聖人ノ巫祝ヲ用フルヲ以テ見レハ。今ノ僧家モ棄ヘキナラスト。是ハ近代ノ加持祈祷ヲ主トスル。真言天台等ノ中。一類ノ弊儀ヲ見テ。一種ザツト思ヒウカベタ言葉シヤ。真ノ密教修行ノ者ハ。有為ノ福業ハ祈ラヌ。巫祝ノ類トハ大ニ違フ。肉食婬事ヲ断スルハ。別ニ其道ノ有ルコトシヤ。
現代語訳
またある者が言う。「仏者が身を潔くして、肉食や婬事などを断つのは、斎戒の法であって、祭祀などに用いるべきものである。常人の一般の道ではない。ただし聖人が巫祝を用いたことから見れば、今の僧家も捨てるべきではない」と。これは近代の加持祈祷を主とする真言や天台などの中の、ある類の弊害ある風儀を見て、ざっと思い浮かべた言葉である。真の密教修行の者は、世俗の福を求める業は祈らない。巫祝の類とは大いに違う。肉食や婬事を断つのは、別にその道があることである。
解説
この章句が説くこと
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