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十善法語 / 巻第三・不邪婬戒

法性ノ等流シ來ル。此人事ノ中。十善具足スルシヤ。人タルノ道思フテ達スヘク。天命ノ施ス所思テ至ルヘキシヤ。今時外典ヲ學フ者。佛法ノ廣大ナルコトヲ知ラス。知ラヌ故ソシル。佛法ト云ハ。自ラ其身ヲ潔セント欲シテ。大倫ヲ亂ル類ト。此等ハ麁相ナルコトシヤ。タマタマ法ノ尊尙ナルコトヲ信スル者モ。刈萱道心西行法師カ風ヲ見テ。君臣父子夫婦ヲモ棄テ。山林幽谷ニ入ラサレハ。佛法內ノ人ニアラスト思フ。此等取違タルコトシヤ。彼類ハ佛法中ニ在テ。憒閙ヲ避ケ名聞ヲ厭フ一端ト云ヘキシヤ。此一端ヲ以テ法ヲ窺フハ非シヤ。

新字:法性ノ等流シ来ル。此人事ノ中。十善具足スルシヤ。人タルノ道思フテ達スヘク。天命ノ施ス所思テ至ルヘキシヤ。今時外典ヲ学フ者。仏法ノ広大ナルコトヲ知ラス。知ラヌ故ソシル。仏法ト云ハ。自ラ其身ヲ潔セント欲シテ。大倫ヲ乱ル類ト。此等ハ麁相ナルコトシヤ。タマタマ法ノ尊尚ナルコトヲ信スル者モ。刈萱道心西行法師カ風ヲ見テ。君臣父子夫婦ヲモ棄テ。山林幽谷ニ入ラサレハ。仏法内ノ人ニアラスト思フ。此等取違タルコトシヤ。彼類ハ仏法中ニ在テ。憒閙ヲ避ケ名聞ヲ厭フ一端ト云ヘキシヤ。此一端ヲ以テ法ヲ窺フハ非シヤ。

書き下し

法性ノ等流シ来ル。此人事ノ中。十善具足スルシヤ。人タルノ道思フテ達スヘク。天命ノ施ス所思テ至ルヘキシヤ。今時外典ヲ学フ者。仏法ノ広大ナルコトヲ知ラス。知ラヌ故ソシル。仏法ト云ハ。自ラ其身ヲ潔セント欲シテ。大倫ヲ乱ル類ト。此等ハ麁相ナルコトシヤ。タマタマ法ノ尊尚ナルコトヲ信スル者モ。刈萱道心西行法師カ風ヲ見テ。君臣父子夫婦ヲモ棄テ。山林幽谷ニ入ラサレハ。仏法内ノ人ニアラスト思フ。此等取違タルコトシヤ。彼類ハ仏法中ニ在テ。憒閙ヲ避ケ名聞ヲ厭フ一端ト云ヘキシヤ。此一端ヲ以テ法ヲ窺フハ非シヤ。

現代語訳

法性が等しく流れ出てきたこの人の世の営みの中に、十善は具わっているのである。人である道は思えば達することができ、天命の施すところは思えば至ることができるのである。今どき外典(仏典以外の書)を学ぶ者は、仏法が広大であることを知らない。知らないから謗る。仏法というのは、自分の身だけを潔くしようとして大いなる人倫を乱す類だ、と。これらは粗雑な見方である。たまたま法の尊さを信じる者も、刈萱道心や西行法師の風を見て、君臣・父子・夫婦をも捨てて山林や奥深い谷に入らなければ、仏法の内の人ではないと思う。これらは取り違えたことである。彼らは仏法の中にあって、騒がしさを避け名聞を厭う一端と言うべきものである。この一端によって法の全体をうかがうのは誤りである。

解説

儒学などを学ぶ者は、出家は自分だけ清くなろうとして君臣や親子の人倫を乱すと仏教を批判した。一方で仏教を信じる側にも、刈萱道心や西行のように家族や主君を捨てて山に入らなければ本物ではないと思う者がいる。刈萱道心は妻子を捨てて出家したと伝わる説話の人物、西行は武士の身分を捨てて出家した歌人である。慈雲は、それらは仏法の一端にすぎないと両方の誤解を正す。一つの例で全体を決めつけないこと、日常の役割の中にこそ道があることを示す一節である。

この章句が説くこと

人倫十善遁世西行一端

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