十善法語 / 巻第一・不殺生戒
上來ハ犯相シヤ。次ニ持相ヲ憶念セヨ。此殺生ノ。人道ニ背キ。天命ニ背キ。正道理ニ違フコトヲ知テ。憶念シ護持シテ。妄リニ殺サス。妄リニ惱サヌカ。世間相應ノ持戒者シヤ。此殺生ノ業果空シカラヌヲ信シ。自他共ニ繫累シ。生生ノ處ニ沈淪スルヲ恐レテ。殺サス惱サス。憎ミ恚マヌカ。出世間少分相應ノ淨持戒者シヤ。若衆生ノ當相全ク法性ノ在ル處ナルコトヲ信シ。法性ノ當相全ク衆生ノ差別ナルコトヲ知レハ。自己法性ノ衆生我戒相トナリ來ル。我慈悲心トナリ來ル。我戒體コノ衆生有テ倍增スル。我慈悲コノ衆生有テ增上スル。此濁世ニ忍ヒ難キヲ能忍フ。此難事此恚惱ノ事アツテ我忍力ヲ成就スルシヤ。賢者善人ト共ニ交テ其慈忍ノ心アルハ珍シカラヌシヤ。背恩ノ人ヲ見テ我忍力ヲ成スル。暴惡ノ人ニ對シテ我忍力ヲ成スル。憍慢ノ人ヲ見テ我忍力ヲ成スル。一衆生ノ有ル處ニ一切衆生ノ慈悲心ヲ生スル。爰許ニ至テ眞正持戒者ト云ヘシ。
新字:上来ハ犯相シヤ。次ニ持相ヲ憶念セヨ。此殺生ノ。人道ニ背キ。天命ニ背キ。正道理ニ違フコトヲ知テ。憶念シ護持シテ。妄リニ殺サス。妄リニ悩サヌカ。世間相応ノ持戒者シヤ。此殺生ノ業果空シカラヌヲ信シ。自他共ニ繋累シ。生生ノ処ニ沈淪スルヲ恐レテ。殺サス悩サス。憎ミ恚マヌカ。出世間少分相応ノ浄持戒者シヤ。若衆生ノ当相全ク法性ノ在ル処ナルコトヲ信シ。法性ノ当相全ク衆生ノ差別ナルコトヲ知レハ。自己法性ノ衆生我戒相トナリ来ル。我慈悲心トナリ来ル。我戒体コノ衆生有テ倍增スル。我慈悲コノ衆生有テ增上スル。此濁世ニ忍ヒ難キヲ能忍フ。此難事此恚悩ノ事アツテ我忍力ヲ成就スルシヤ。賢者善人ト共ニ交テ其慈忍ノ心アルハ珍シカラヌシヤ。背恩ノ人ヲ見テ我忍力ヲ成スル。暴悪ノ人ニ対シテ我忍力ヲ成スル。憍慢ノ人ヲ見テ我忍力ヲ成スル。一衆生ノ有ル処ニ一切衆生ノ慈悲心ヲ生スル。爰許ニ至テ真正持戒者ト云ヘシ。
書き下し
上来ハ犯相シヤ。次ニ持相ヲ憶念セヨ。此殺生ノ。人道ニ背キ。天命ニ背キ。正道理ニ違フコトヲ知テ。憶念シ護持シテ。妄リニ殺サス。妄リニ悩サヌカ。世間相応ノ持戒者シヤ。此殺生ノ業果空シカラヌヲ信シ。自他共ニ繋累シ。生生ノ処ニ沈淪スルヲ恐レテ。殺サス悩サス。憎ミ恚マヌカ。出世間少分相応ノ浄持戒者シヤ。若衆生ノ当相全ク法性ノ在ル処ナルコトヲ信シ。法性ノ当相全ク衆生ノ差別ナルコトヲ知レハ。自己法性ノ衆生我戒相トナリ来ル。我慈悲心トナリ来ル。我戒体コノ衆生有テ倍增スル。我慈悲コノ衆生有テ增上スル。此濁世ニ忍ヒ難キヲ能忍フ。此難事此恚悩ノ事アツテ我忍力ヲ成就スルシヤ。賢者善人ト共ニ交テ其慈忍ノ心アルハ珍シカラヌシヤ。背恩ノ人ヲ見テ我忍力ヲ成スル。暴悪ノ人ニ対シテ我忍力ヲ成スル。憍慢ノ人ヲ見テ我忍力ヲ成スル。一衆生ノ有ル処ニ一切衆生ノ慈悲心ヲ生スル。爰許ニ至テ真正持戒者ト云ヘシ。
現代語訳
ここまでは戒を犯すありさまである。次に戒を持つありさまを思いめぐらしなさい。この殺生が人の道に背き、天命に背き、正しい道理に違うことを知って、心にとどめ護持して、みだりに殺さず、みだりに悩まさないのが、世間相応の持戒者である。この殺生の業の果報がむなしくないことを信じ、自他ともに縛られ、生まれ変わる所ごとに沈み込むことを恐れて、殺さず悩まさず、憎まず怒らないのが、出世間の少分相応の清らかな持戒者である。もし衆生のありのままがすべて法性の在り所であることを信じ、法性のありのままがすべて衆生の差別の姿であることを知れば、自己の法性である衆生が、わが戒のすがたとなって来る。わが慈悲の心となって来る。わが戒の本体はこの衆生があって倍増する。わが慈悲はこの衆生があって増上する。この濁った世に忍びがたいことをよく忍ぶ。この難事、この怒り悩む事があって、わが忍耐の力を成就するのである。賢者や善人とともに交わって、その慈しみ忍ぶ心があるのは珍しくないのである。恩に背く人を見て、わが忍耐の力を成就する。暴悪な人に対して、わが忍耐の力を成就する。驕り高ぶる人を見て、わが忍耐の力を成就する。一人の衆生のいる所に、一切衆生への慈悲の心を生じる。ここに至って真正の持戒者と言うべきである。
解説
この章句が説くこと
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『十善法語』巻第一・不殺生戒広大ノ慈悲心カ直ニコレ賢聖ノ心業シヤ。此賢聖ノ心業ヲ戒ト名ツクルシヤ。大人ノ持戒ハ民庶ノ知ヘキナラス。菩薩ノ志ハ小根劣機ノ者ノ知トコロテハナキシヤ。大抵ハ十善ノ世ニハ。乱臣賊子ハ其名タモ聞ヌト云。乱法ノ民不孝ノ子弟モ自ラ耻テ自ラ改ムト云。乃至禽獣マテ馴ナツイテ搏攫セヌト云コトシヤ。在家戒ノ中。慈悲心ヲ以テ下虫蟻ニ至マテ救フ。又慈悲心ヲ以テ悪人ヲ誅スル。姑息ノ仁怯弱ノ心ヲ以テ。一二人ヲ宥テ大乱ニ及フコトハセヌシヤ。十善ノ道其理面白キシヤ。出家戒ノ中ハ一向ニ殺生セヌ。心ヲ寄スル処唯道ノミシヤ。身ヲ託スル処唯賢聖ノ威儀シヤ。世間ノ師トハナルヘク。世間ノ交リニハヨラヌ者シヤ。凡ソ戒法ニ持犯開遮有テ。一途ニカタヨルコトテハナイト云コトシヤ。涅槃経ニヨク一字ヲ解スルヲ律師ト名ツクトアル。此一字ト云コト。古今解シ難キト云コトシヤ。
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『十善法語』巻第一・不殺生戒此中非理ノ殺害。若ハ尊尚ノ境。有恩ノ境ハ。殊ニ深重ノ極苦ヲ受ヘキ理シヤ。心ナケレハ止ネ。少モ心アレハ。残忍ヲ逞シクハナラヌ。若且クモ残忍ノ宜カラヌコトヲ知レハ。生トシ生ル物ニ慈愛ノ心相応ス。此慈愛增長スレハ必仏法ニ信ヲ生スル。此信心增長スレハ必平等性ナルコトヲ知ル。此本性ヲ知レハ業果ノ空シカラヌコトヲ知ル。此業果ノ空カラヌコトヲ知レハ業相ノ增長スルコトヲ知ル。
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『十善法語』巻第二・不偸盜戒不殺生戒ハ。人間ハ大切ナルモノソ。貴ムヘキモノソ。殺シテハ大罪ニナル。ミタリニ打ナ。タタクナ。キツツケルナト云ハ。上ハ王公大人ヨリ。下ハ士農工商。傭夫奴婢マテモ。教ヘ導キテ。身ニ行ヒ心ニ得サセラルルシヤ。生トシ生ル者ハ皆人間ニ縁有者ソ。此モミタリニ殺スナ。打ナ痛メルナト云ヘハ。上ハ王公大人ヨリ。下傭夫船頭馬子。奴婢小児ニ至ルマテ。教ヘ導キテ身ニ行ヒ心ニ得サセラルルシヤ。一日此戒ヲ守レハ。其日カ賢聖ノ行慈悲者ノ儀シヤ。一年行スレハ。其年カ賢聖ノ行慈悲者ノ儀ヒシヤ。終身守レハ。一生賢聖ノ行慈悲者ノ儀ヒシヤ。一生如是ナレハ。当来世モ賢聖ノ行慈悲者ノ儀シヤ。生生ノ処。生レ儘ニ賢聖ノ行慈悲者ノ儀ヒナラハ。菩薩ト云名モ外ニ有マシキシヤ。一人守レハ其人カ賢聖ノ行慈悲者ノ儀ヒシヤ。一家守レハ其家カ賢聖ノ行慈悲者ノ儀ヒシヤ。一村守レハ其村カ賢聖ノ行慈悲者ノ儀シヤ。一国守レハ其国カ賢聖ノ行慈悲者ノ儀ヒシヤ。万国奉行セハ万国カ賢聖ノ行慈悲者ノ儀ヒシヤ。万国如是ナラハ浄土ト云名モ外ニハ有マシキコトシヤ。
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『十善法語』巻第一・不殺生戒有信ノ者ハ先ツ此人間ノ尊尚ナルコトヲ憶念スルカヨイ。天地ニ参リテ三才ト称ス。仏菩薩モ此人中ニ跡ヲ垂ル。賢者聖人モ此人中ニ出ル。諸ノ神祇モ此人間ヲ守護アル。此等ノ憶念タニ相続スレハ。自ラ初戒ハ全キシヤ。此人趣ヲ尊重スル心アレハ。自ラ恚怒ノ心ヲ離レテ。打罵悪賤ノ事ナク。方便罪ヲ離ル方便罪ヲ離ルレハ。自ラ根本罪ニ至ラヌ。上人徳者ニ尊重ノ心ヲ生スルノミナラス。中人庸流ヲモ尊重スルシヤ。中人庸流ヲ尊重スルノミナラス。下等愚人暴悪ノ者ニモ尊重ノ心ヲ失ハヌシヤ。此仁慈ノ心ヲ一切人間ニ遍シテ自ラ其徳ヲ全クスル。此ヲ不殺人戒ノ相ト名ツクル。
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『十善法語』巻第一・不殺生戒一切衆生ハ我子ナルニ由テ。一切有命ノ者ニ対スレハ不殺生戒ト名クル。此ニ我子ト云ハ。世間ニ親子ノ間ハ睦マシキモノナルニ由テ。コレニ比ヘテ説タ言シヤ。実ハ一切衆生ノ心念思慮ヲ以テ自己ノ心トスルコトシヤ。自心ト一切衆生ト平等平等ニシテ。元来ヘタテナキシヤ。一切有命ノ者カ眼ニ遮ラネハ止子。眼ニサヘキレハ必ス慈悲心生スル。是ヲ菩薩ト云。此菩薩ノ心ヲ戒ト名ツクル。コノ菩薩ノ心ハ。一切衆生ニ本来具足シタモノナレトモ。煩悩業障深厚ナルニ由テ。暫ク現セヌノミシヤ。現セヌト云トモ本来カケメハナイ。今日正法ニ遇テ。一分モ護戒ノ心生スルハ。本来仏性ノ明了ナラントスル前標ト云モノシヤ。
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『十善法語』巻第一・不殺生戒此小殺生マテモ。謹慎ニ護持スル場処ニ。自ラ其徳ヲ成就スルコト。喩ヘハ薬物ノ製法精密ナレハ其功イチシルシキ如ク。刀剣ノ鍛錬ヨロシケレハ。其鋒銳利ナルカ如クシヤ。通シテ戒法ト云ハ。悪ヲ止ルニ名ヲ得ルコトナレトモ。コノ悪ヲ止ル中ニ其徳ヲ成就スルシヤ。爰ニ一ノ疑カ有ヘキコトシヤ。若菩薩カ又ハ出家隠士ナル時ハ。如上ノ徳成就スヘシ。若世間ニ在テ国ノ政ヲ執ランニ。其盗賊徘徊シ。悪人徒党ヲ結フ。此等ノ事モナシト云ヘカラスシヤ。其時若殺セハ仏戒ヲ軽ンスルニ似ル。若宥ムレハ政道立セス。人民ノ害トナル。此二途何レニ従ヘキソ。