十善法語 / 巻第十・不邪見戒之上
善ヲ勉メ惡ヲ恐ルルモ。此ニ準シテ知レ。此中佛アルコトヲ信シ。法アルコトヲ信シ。善惡ノ業空シカラヌコトヲ信シ。神祇アルコトヲ信スレハ。上一人ヨリ下庶人ニ至ルマテ。此戒ハ破セヌ。此德ヲ日夜ニ養ヒ立ハ。人人聖賢ノ位ニモ至ル。近キ處ニ在テ而モ甚深ナル。易キ處ニ在テ而モ廣大ナルコトシヤ。
新字:善ヲ勉メ悪ヲ恐ルルモ。此ニ準シテ知レ。此中仏アルコトヲ信シ。法アルコトヲ信シ。善悪ノ業空シカラヌコトヲ信シ。神祇アルコトヲ信スレハ。上一人ヨリ下庶人ニ至ルマテ。此戒ハ破セヌ。此徳ヲ日夜ニ養ヒ立ハ。人人聖賢ノ位ニモ至ル。近キ処ニ在テ而モ甚深ナル。易キ処ニ在テ而モ広大ナルコトシヤ。
書き下し
善ヲ勉メ悪ヲ恐ルルモ。此ニ準シテ知レ。此中仏アルコトヲ信シ。法アルコトヲ信シ。善悪ノ業空シカラヌコトヲ信シ。神祇アルコトヲ信スレハ。上一人ヨリ下庶人ニ至ルマテ。此戒ハ破セヌ。此徳ヲ日夜ニ養ヒ立ハ。人人聖賢ノ位ニモ至ル。近キ処ニ在テ而モ甚深ナル。易キ処ニ在テ而モ広大ナルコトシヤ。
現代語訳
善に勉め悪を恐れることも、これに準じて知りなさい。この中で、仏がおられることを信じ、法があることを信じ、善悪の業がむなしくないことを信じ、神々がおられることを信じれば、上は天子お一人から下は庶民に至るまで、この戒は破られない。この徳を日夜に養い育てれば、人々は聖賢の位にも至る。近いところにありながら、しかも甚だ深い。易しいところにありながら、しかも広大なことである。
解説
不邪見戒の最初の論をまとめる段である。仏・法・業の報い・神祇の四つを信じれば、天子から庶民まで誰でもこの戒を保てると尊者は言う。特別な修行や学問を条件にせず、信じて日夜に徳を養えば聖賢の位にも至るという。近くて深く、易しくて広大、という結びの句は、十善を身近な道として説き続けた尊者の姿勢をよく表している。高度な理論より、当たり前の信念を毎日育てることが遠くまで届くという考え方は、仕事の基本を大切にする態度にも重なる。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
不邪見信聖賢業神祇徳
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『韓非子』外儲說左下第三十三魯の哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く古者夔一足有りと、其れ果して信に一足有るか。」孔子対へて曰く、「不なり、夔は一足に非ざるなり。夔は忿戾悪心にして、人多く説喜せざるなり。然りと雖も、其の以て人の害を免るるを得る所以の者は、其の信を以てなり。人皆曰く、独り此の一あれば、足れり、と。夔は一足に非ざるなり、一にして足るなり。」哀公曰く、「審かに而り、固より足れり。」一に曰く、哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く夔は一足なりと、信か。」曰く、「夔は、人なり、何の故に一足ならん。彼其れ他に異なること無し、而して独り声に通ず。堯曰く、夔は一にして足れり、と。楽正と為さしむ。故に君子曰く、夔は一有り、足れり、と。一足に非ざるなり。」三。文王崇を伐ち、鳳黄の虚に至る、韈の係解く、因りて自ら結ぶ。太公望曰く、「何為れぞや。」王曰く、「上は、君と処るもの皆其の師なり。中は、皆其の友なり。下は、尽く其の使なり。今皆先君の臣なり、故に使ふべきもの無きなり。」一に曰く、晋の文公楚と戦ひ、黄鳳の陵に至る、履の係解く、因りて自ら之を結ぶ。左右曰く、「以て人を使ふべからざるか。」公曰く、「吾聞く、上は、君の与に居る所、皆其の畏るる所なり。中は、君の与に居る所、皆其の愛する所なり。下は、君の与に居る所、皆其の侮る所なり。寡人不肖なりと雖も、先君の人皆在り、是を以て之を難るなり。」季孫士を好み、終身荘にして、居処衣服常に朝廷の如し。而して季孫適ま懈り、過失有り、而して長く為すこと能はざるなり。故に客以て己を厭易すと為し、相与に之を怨み、遂に季孫を殺す。故に君子は泰を去り甚を去る。一に曰く、南宮敬子顔涿聚に問ひて曰く、「季孫孔子の徒を養ひ、朝服して与に坐する所の者十を以て数ふるに賊に遇ふは、何ぞや。」
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