十善法語 / 巻第十一・不邪見戒之中
若其傍ニ居ハ。佛菩薩ヲ念セシメ。大乘經諸陀羅尼ヲ讀誦スルヲ要トスルシヤ。近邊ミナ寂靜ナルガヨキト云コトシヤ。夜分ノ燈燭モカスカナルガヨキト云コトシヤ。病人平生ノ功德善根ヲ讚嘆スルガヨキシヤ。假令平日ニ怨アルトモ。其時ハ云マジキシヤ。起居食事。萬端ミナ病人ノ心ニ適フヘキコトシヤ。又別因緣有テ。得道ノ人モ外ニ苦相現シ。又惡人ノ苦相ナキモ有ト云コトシヤ。
新字:若其傍ニ居ハ。仏菩薩ヲ念セシメ。大乗経諸陀羅尼ヲ読誦スルヲ要トスルシヤ。近辺ミナ寂静ナルガヨキト云コトシヤ。夜分ノ灯燭モカスカナルガヨキト云コトシヤ。病人平生ノ功徳善根ヲ讃嘆スルガヨキシヤ。仮令平日ニ怨アルトモ。其時ハ云マジキシヤ。起居食事。万端ミナ病人ノ心ニ適フヘキコトシヤ。又別因縁有テ。得道ノ人モ外ニ苦相現シ。又悪人ノ苦相ナキモ有ト云コトシヤ。
書き下し
若其傍ニ居ハ。仏菩薩ヲ念セシメ。大乗経諸陀羅尼ヲ読誦スルヲ要トスルシヤ。近辺ミナ寂静ナルガヨキト云コトシヤ。夜分ノ灯燭モカスカナルガヨキト云コトシヤ。病人平生ノ功徳善根ヲ讃嘆スルガヨキシヤ。仮令平日ニ怨アルトモ。其時ハ云マジキシヤ。起居食事。万端ミナ病人ノ心ニ適フヘキコトシヤ。又別因縁有テ。得道ノ人モ外ニ苦相現シ。又悪人ノ苦相ナキモ有ト云コトシヤ。
現代語訳
もしそのそばにいるならば、仏菩薩を念じさせ、大乗経や諸々の陀羅尼を読誦することが肝要である。あたりはみな静かなのがよいということである。夜の灯火もかすかなのがよいということである。病人が平生積んだ功徳や善根をほめたたえるのがよい。たとえ平日に怨みがあっても、その時は言ってはならない。起き伏しや食事など、万事みな病人の心にかなうようにすべきことである。また、別の因縁があって、道を得た人でも外に苦しみの相が現れ、また悪人で苦しみの相のない者もあるということである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「三代の天下を得るや、仁を以てし、其の天下を失うや不仁を以てす。國の所廢興存亡する所以の者も、亦た然り。天子不仁なれば、四海を保たず。諸侯不仁なれば、社稷を保たず。卿大夫不仁なれば、宗廟を保たず。士庶人不仁なれば、四體を保たず。今、死亡を惡みて、而も不仁を樂しむは、是れ猶ほ醉うことを惡みて、而も酒を強うるがごとし。」
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「其の為さざる所を為すこと無く、其の欲せざる所を欲すること無し。此の如きのみ。」
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孟子・公孫丑章句上孟子曰く、「人皆人に忍びざるの心有り。先王、人に忍びざるの心有り、斯に人に忍びざるの政有り。人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行わば、天下を治むること、之を掌上に運らす可し。人皆人に忍びざるの心有りと謂う所以の者は、今、人乍(たちまち)ち孺子の將に井に入らんとするを見れば、皆怵惕惻隱の心有り。交わりを孺子の父母に内るる所以に非ざるなり。譽をᰰ黨朋友に要むる所以に非ざるなり。其の聲を惡んで然るに非ざるなり。是に由りて之を觀れば、惻隱の心無きは、人に非ざるなり。羞惡の心無きは、人に非ざるなり。辭讓の心無きは、人に非ざるなり。是非の心無きは、人に非ざるなり。惻隱の心は、仁の端なり。羞惡の心は、義の端なり。辭讓の心は、禮の端なり。是非の心は、智の端なり。人の是の四端有るや、猶ほ其の四體有るがごときなり。是の四端有りて、而して自ら能わざると謂う者は、自ら賊う者なり。其の君能わずと謂う者は、其の君を賊う者なり。凡そ我に四端有る者は、皆擴して之を充たすことを知る。火の始めて然え、泉の始めて達するが若し。苟くも能く之を充たさば、以て四海を保んずるに足る。苟くも之を充たさざれば、以て父母に事うるに足らず。」
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孟子・梁惠王章句上孟子、梁の襄王に見ゆ。出でて人に語げて曰く、「之を望むに人君に似ず。之に就くに畏るる所を見ず。卒然として問うて曰く、『天下惡にか定まらん。』吾對えて曰く、『一に定まらん。』『孰か能く之を一にせん。』對えて曰く、『人を殺すを嗜まざる者、能く之を一にせん。』『孰か能く之に與せん。』對えて曰く、『天下與せざる莫きなり。王、夫の苗を知るか。七八月の間、旱すれば、則ち苗槁(かれる)れん。天、油然として雲を作し、沛然として雨を下さば、則ち苗浡然(ボツ・ゼン)として之に興きん。其れ是の如くなれば、孰か能く之を禦(とどめる)めん。今夫れ天下の人牧、未だ人を殺すことを嗜まざる者有らざるなり。如し人を殺すことを嗜まざる者有らば、則ち天下の民皆な領(くび)を引いて之を望まん。誠に是の如くなれば、民の之に歸すること、由ほ水の下きに就きて沛然たるがごとし。誰か能く之を禦めん。』」
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「佚道を以て民を使えば、勞すと雖も怨みず。生道を以て民を殺せば、死すと雖も殺す者を怨みず。」
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「人皆忍びざる所有り。之を其の忍ぶ所に達するは、仁なり。人皆為さざる所有り。之を其の為す所に達するは、義なり。人能く人を害せんと欲する無きの心を充たさば、仁勝げて用う可からざるなり。人能く穿踰する無きの心を充たさば、義勝げて用う可らざらるなり。人能く爾汝を受くる無きの實を充たさば、往く所として義為らざるは無きなり。士未だ以て言う可からずして言う、是れ言うを以て之を餂るなり。以て言う可くして言わざる、是れ言わざるを以て之を餂るなり。是れ皆穿踰の類なり。」