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十善法語 / 巻第十二・不邪見戒之下

先カウ憶念セヨ。現今我五尺ノ形骸ハ。肉血ノオシマロカレタ物シヤ。生シ出ル時ヨリ死シ去ル後ノ後マテ。膿血不淨臭穢ノ日夜ニ流レ出ル物シヤ。此ニ極タコトシヤ。タトヒ張儀蘇秦カ辨ヲ以テサナキト云ヒ回シテモ。言ヒ消レヌシヤ。マツ此ヲ決徹シテ疑ハネハ。聖智見ヲ得ル基トナル。斷常二見ノ深坑ヲ超過スル。一切ノ名利ハ此處ニ脫却スル。一切ノ我慢勝他ハ此處ニ脫却スル。一切ノ五欲執着ハ此處ニ解脫スルシヤ。此名利五欲我相ヲ脫スルトキ。雲霧霽テ朗月ヲ見ル如ク。人道モ斯ニ明ニ天命モ斯ニ明ナリ。實智慧ノ光明沙界ヲ照スシヤ。高遠ナラスシテ而モ誠ニ高遠ナルコトシヤ。

新字:先カウ憶念セヨ。現今我五尺ノ形骸ハ。肉血ノオシマロカレタ物シヤ。生シ出ル時ヨリ死シ去ル後ノ後マテ。膿血不浄臭穢ノ日夜ニ流レ出ル物シヤ。此ニ極タコトシヤ。タトヒ張儀蘇秦カ弁ヲ以テサナキト云ヒ回シテモ。言ヒ消レヌシヤ。マツ此ヲ決徹シテ疑ハネハ。聖智見ヲ得ル基トナル。断常二見ノ深坑ヲ超過スル。一切ノ名利ハ此処ニ脱却スル。一切ノ我慢勝他ハ此処ニ脱却スル。一切ノ五欲執着ハ此処ニ解脱スルシヤ。此名利五欲我相ヲ脱スルトキ。雲霧霽テ朗月ヲ見ル如ク。人道モ斯ニ明ニ天命モ斯ニ明ナリ。実智慧ノ光明沙界ヲ照スシヤ。高遠ナラスシテ而モ誠ニ高遠ナルコトシヤ。

書き下し

先カウ憶念セヨ。現今我五尺ノ形骸ハ。肉血ノオシマロカレタ物シヤ。生シ出ル時ヨリ死シ去ル後ノ後マテ。膿血不浄臭穢ノ日夜ニ流レ出ル物シヤ。此ニ極タコトシヤ。タトヒ張儀蘇秦カ弁ヲ以テサナキト云ヒ回シテモ。言ヒ消レヌシヤ。マツ此ヲ決徹シテ疑ハネハ。聖智見ヲ得ル基トナル。断常二見ノ深坑ヲ超過スル。一切ノ名利ハ此処ニ脱却スル。一切ノ我慢勝他ハ此処ニ脱却スル。一切ノ五欲執着ハ此処ニ解脱スルシヤ。此名利五欲我相ヲ脱スルトキ。雲霧霽テ朗月ヲ見ル如ク。人道モ斯ニ明ニ天命モ斯ニ明ナリ。実智慧ノ光明沙界ヲ照スシヤ。高遠ナラスシテ而モ誠ニ高遠ナルコトシヤ。

現代語訳

まずこう思いめぐらしなさい。今の自分の五尺の体は、肉と血を押し丸めた物である。生まれ出る時から、死んで去った後のさらに後まで、膿や血や不浄で臭く汚れたものが日夜に流れ出る物である。これは決まりきったことである。たとえ張儀や蘇秦の弁舌でそうではないと言い回しても、言い消すことはできない。まずこれをとことん見極めて疑わなければ、聖なる智見を得る基となる。断見と常見の二つの見方の深い穴を超える。一切の名誉と利益はここで脱け落ちる。一切の我慢(自分を高くする心)や人に勝とうとする心はここで脱け落ちる。一切の五欲への執着はここで解き放たれるのである。この名利・五欲・我という思いを脱する時、雲や霧が晴れて明るい月を見るように、人の道もここに明らかになり、天命もここに明らかになる。真実の智慧の光明が、ガンジス河の砂の数ほどの世界を照らすのである。高遠ではなくて、しかも誠に高遠なことである。

解説

高遠な理ではなく足元から、と言った尊者が最初に示すのは、自分の体を見つめる観法である。仏教では身体を不浄と観じる修行を不浄観と呼び、執着を離れる入口とする。張儀と蘇秦は戦国時代の弁舌の士で、どんな言い回しでも事実は消せないという喩えに使われる。断常二見とは、死ねば無になるという断見と、変わらぬ実体が続くという常見である。名誉や勝ち負けへのこだわりは、自分の身の実際を直視するところから緩む。見栄に疲れた時の視点の切り替えとして読める。

この章句が説くこと

不浄観名利我慢五欲断常邪見

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