師導古典を学びたいすべての人に

十善法語 / 巻第一・不殺生戒

經論ノ中ニ。無色界ノ衆生ハ此山林土田ノ中ニ在テ。常ニ虚空シヤトアル。餓鬼趣ノ衆生ハ。此山川池沼ミナ大火聚ヲ見ルトアル。維摩經ニ。身子ノ見ルトコロハ草木瓦礫ニシテ螺髻梵王ノ見ルトコロハ七寶莊嚴トアル。面白キコトシヤ。此業相緣起ノ中ニ。先人間ト云者ハ。其姿ニモ十善ハアラハレテアル。其世界ニモ十善ハ顯ハレテアルシヤ。經ノ中ニ。三惡趣ノ者ハ其身モ麁獷臭穢ナルトアル。其世界ニモ熱鐵煨河黑風熱沙シヤトアル。此中地獄餓鬼ハ。肉眼ニ見エヌコトナレハ且ク置テ。畜生ニ比對シテ此人間ヲ知レ。

新字:経論ノ中ニ。無色界ノ衆生ハ此山林土田ノ中ニ在テ。常ニ虚空シヤトアル。餓鬼趣ノ衆生ハ。此山川池沼ミナ大火聚ヲ見ルトアル。維摩経ニ。身子ノ見ルトコロハ草木瓦礫ニシテ螺髻梵王ノ見ルトコロハ七宝荘厳トアル。面白キコトシヤ。此業相縁起ノ中ニ。先人間ト云者ハ。其姿ニモ十善ハアラハレテアル。其世界ニモ十善ハ顕ハレテアルシヤ。経ノ中ニ。三悪趣ノ者ハ其身モ麁獷臭穢ナルトアル。其世界ニモ熱鉄煨河黒風熱沙シヤトアル。此中地獄餓鬼ハ。肉眼ニ見エヌコトナレハ且ク置テ。畜生ニ比対シテ此人間ヲ知レ。

書き下し

経論ノ中ニ。無色界ノ衆生ハ此山林土田ノ中ニ在テ。常ニ虚空シヤトアル。餓鬼趣ノ衆生ハ。此山川池沼ミナ大火聚ヲ見ルトアル。維摩経ニ。身子ノ見ルトコロハ草木瓦礫ニシテ螺髻梵王ノ見ルトコロハ七宝荘厳トアル。面白キコトシヤ。此業相縁起ノ中ニ。先人間ト云者ハ。其姿ニモ十善ハアラハレテアル。其世界ニモ十善ハ顕ハレテアルシヤ。経ノ中ニ。三悪趣ノ者ハ其身モ麁獷臭穢ナルトアル。其世界ニモ熱鉄煨河黒風熱沙シヤトアル。此中地獄餓鬼ハ。肉眼ニ見エヌコトナレハ且ク置テ。畜生ニ比対シテ此人間ヲ知レ。

現代語訳

経論の中に、「無色界の衆生は、この山林や田畑の中にいて、常に虚空である」とある。「餓鬼趣の衆生は、この山川や池沼をみな大きな火の塊と見る」とある。維摩経に、「舎利弗の見る所は草木や瓦礫であって、螺髻梵王の見る所は七宝の荘厳である」とある。面白いことである。この業のすがたの縁起の中で、まず人間という者は、その姿にも十善が現れている。その世界にも十善が現れているのである。経の中に、「三悪趣の者は、その身も粗く臭く穢れている」とある。「その世界にも、熱い鉄、灰の河、黒い風、熱い砂がある」とある。この中で地獄と餓鬼は、肉眼に見えないことであるから、しばらく置いて、畜生と比べてこの人間を知りなさい。

解説

同じ場所でも、見る者の業によって全く違う世界が現れることを、経論の例で示す。無色界の者には山林も虚空であり、餓鬼には池も火の塊に見える。維摩経仏国品では、舎利弗には瓦礫の地に見える国土が、螺髻梵王には七宝で飾られた浄土に見える。このように業が世界を形づくるなら、人間の姿や世界にも十善が現れているはずだと尊者は言い、以下、畜生と比べて十の戒ごとに示していく。同じ職場を楽園とも地獄とも感じるのは、見る心の違いでもある。

この章句が説くこと

維摩経業相縁起十善見方世界

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる