十善法語 / 巻第十二・不邪見戒之下
不邪見戒相ノ。天象ニカクアラハルル。地理ニカクアラハルル。此天象カ人事ニ隨テ時時ニ變生スル。此常度此變異互ニ相依リ相隨フ。トモニ斷常ノ二見ニ相違ス。常度ハ常度ニシテ違ハネトモ。變ヲ具足シテ相離レヌ。變ハ變ニシテ常ニ異レトモ。常度ニ因テ彼アリ此アル。支那ニ政事ノ亂レアレハ支那ニ天變カアル。餘國ニハナシ。朝鮮琉球ニ國カ治マラネハ朝鮮琉球ニ天變カアル。餘國ニハナシ。此等ノ事ヲ思惟シテモ。斷常ノ二見ハ一時ニ超過セネハナラヌシヤ。氣候ノ遷リ。四時ノ代謝スル。草木ノ茂ル。霜雪ノ降ル。目ニ觸レ耳ニ聞トシテ不邪見戒ノ相ナラヌハナキシヤ。正眼ニ看來レハ。神靈有テ存スル。此道有テ存スル。此中ニ樂事ヲ得ル。此樂ハ諸ノ賢聖ノ樂ム處シヤ。一切ノ人事。禮樂刑政モ。冠婚喪祭モ。士農工商ノ作業モ。武事文學モ。悉ク神靈有テ存スル。此道有テ存スル。有道ノ士ハ此事事物物ノ中ニ賢聖ノ樂ヲ得ルシヤ。
新字:不邪見戒相ノ。天象ニカクアラハルル。地理ニカクアラハルル。此天象カ人事ニ随テ時時ニ変生スル。此常度此変異互ニ相依リ相随フ。トモニ断常ノ二見ニ相違ス。常度ハ常度ニシテ違ハネトモ。変ヲ具足シテ相離レヌ。変ハ変ニシテ常ニ異レトモ。常度ニ因テ彼アリ此アル。支那ニ政事ノ乱レアレハ支那ニ天変カアル。余国ニハナシ。朝鮮琉球ニ国カ治マラネハ朝鮮琉球ニ天変カアル。余国ニハナシ。此等ノ事ヲ思惟シテモ。断常ノ二見ハ一時ニ超過セネハナラヌシヤ。気候ノ遷リ。四時ノ代謝スル。草木ノ茂ル。霜雪ノ降ル。目ニ触レ耳ニ聞トシテ不邪見戒ノ相ナラヌハナキシヤ。正眼ニ看来レハ。神霊有テ存スル。此道有テ存スル。此中ニ楽事ヲ得ル。此楽ハ諸ノ賢聖ノ楽ム処シヤ。一切ノ人事。礼楽刑政モ。冠婚喪祭モ。士農工商ノ作業モ。武事文学モ。悉ク神霊有テ存スル。此道有テ存スル。有道ノ士ハ此事事物物ノ中ニ賢聖ノ楽ヲ得ルシヤ。
書き下し
不邪見戒相ノ。天象ニカクアラハルル。地理ニカクアラハルル。此天象カ人事ニ随テ時時ニ変生スル。此常度此変異互ニ相依リ相随フ。トモニ断常ノ二見ニ相違ス。常度ハ常度ニシテ違ハネトモ。変ヲ具足シテ相離レヌ。変ハ変ニシテ常ニ異レトモ。常度ニ因テ彼アリ此アル。支那ニ政事ノ乱レアレハ支那ニ天変カアル。余国ニハナシ。朝鮮琉球ニ国カ治マラネハ朝鮮琉球ニ天変カアル。余国ニハナシ。此等ノ事ヲ思惟シテモ。断常ノ二見ハ一時ニ超過セネハナラヌシヤ。気候ノ遷リ。四時ノ代謝スル。草木ノ茂ル。霜雪ノ降ル。目ニ触レ耳ニ聞トシテ不邪見戒ノ相ナラヌハナキシヤ。正眼ニ看来レハ。神霊有テ存スル。此道有テ存スル。此中ニ楽事ヲ得ル。此楽ハ諸ノ賢聖ノ楽ム処シヤ。一切ノ人事。礼楽刑政モ。冠婚喪祭モ。士農工商ノ作業モ。武事文学モ。悉ク神霊有テ存スル。此道有テ存スル。有道ノ士ハ此事事物物ノ中ニ賢聖ノ楽ヲ得ルシヤ。
現代語訳
不邪見戒のありさまが、天の現象にこのように現れ、地の理にこのように現れる。この天の現象が、人の営みに従って時々に変化を生じる。この常の運行とこの変異とは、互いに依り合い、従い合う。ともに断見と常見の二つの見方に反する。常の運行は常の運行であって違わないけれども、変化を備えていて離れない。変化は変化であって常と異なるけれども、常の運行によって、あれがありこれがある。中国に政治の乱れがあれば中国に天変がある。他の国にはない。朝鮮や琉球で国が治まらなければ、朝鮮や琉球に天変がある。他の国にはない。これらのことを思いめぐらしても、断見と常見の二つの見方は、一時に超えなければならないのである。気候の移り変わり、四季の入れ替わり、草木の茂り、霜や雪の降ること、目に触れ耳に聞くものとして、不邪見戒のありさまでないものはないのである。正しい眼で見てくれば、神霊があって存在し、この道があって存在する。この中に楽しみを得る。この楽しみは諸々の賢聖の楽しむ所である。一切の人の営み、礼楽や刑政も、冠婚葬祭も、士農工商の仕事も、武の事も文の学びも、ことごとく神霊があって存在し、この道があって存在する。道のある士は、この一つ一つの事物の中に賢聖の楽しみを得るのである。
解説

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『童子問』卷上問ふ、易知易行・万世不易の理の、実に至極為ることは、既に命を聞くことを得たり。然れども心中猶ほ未だ釈然たること能はず。願はくは易く暁りやすきの語を以て、申ねて諭を垂れよと。曰く、人の外に道無く、道の外に人無し。人を以て人の道を行ふ、何の難知難行か之れ有らん。夫れ人の霊を以てすと雖も、然れども羽ある者の翔り、鱗ある者の潜るが若くなること能はざる者は、其の性異なればなり。堯の服を服し、堯の行ひを行ひ、堯の言を誦するに於ては、則ち復た甚だ難き者無し。其の道同じければなり。故に孟子曰く、夫れ道は一のみと。若し夫れ人倫を外にして道を求むる者は、猶ほ風を捕へ影を捉ふるがごとく、必ず得べからざるなり。故に道を知る者は、必ず之を邇きに求む。其の道を以て高しと為し、遠しと為し、企て及ぶべからずと為す者は、皆道の本然に非ず、自ら惑ふの致す所なり。
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『弁名』理氣人欲包犠氏網罟を為る、蓋し諸を離に取る、神農氏耒耜を為る、蓋し諸を益に取るが如し。易は本と象を取りて器を作るの義有り。故に爾か云ふ。形而上は、器未だ形を成さざる以前、唯だ易の道有るのみを謂ふ。其の形を成すの後に至りて、始めて其の器有り。皆器を制するを主として之を言ふ。下文遂に曰く、「化して之を裁する、之を変と謂ふ。推して之を行ふ、之を通と謂ふ。挙げて之を天下の民に措く、之を事業と謂ふ」と。是れ皆易を賛するの言なり。道器変通事業は、皆易を以て之を言ふのみ。上章に「戸を闔づる之を坤と謂ひ、戸を闢く之を乾と謂ふ。一たび闔ぢ一たび闢く之を変と謂ひ、往来窮まらざる之を通と謂ふ。見はるる乃ち之を象と謂ひ、形はるる乃ち之を器と謂ふ。制して之を用ふる之を法と謂ひ、利用出入して民咸之を用ふる之を神と謂ふ」と曰ふが如きも、是れ又た道器を以て対言せず。其の義以て見るべきのみ。豈に大謬に非ずや。
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『慎思録』巻之四術者の陋なり。陰陽を指して道と為すは、猶ほ天地を指して道と為し、聖人を指して道と為すがごとし。此れ道の在る所を以て言ふ。其の実、天地陰陽は即ち是れ道の存する所にして、還た是れ道中に在る所の物なり。蓋し道を以て主と為して之を言へば、則ち天地万物は皆是れ道中の物なり。天地万物を以て主と為して之を言へば、則ち道は天地万物の中に在りて、之が主為る者なり。陰陽の如きは、則ち又天地万物の比に非ず。同異離合を以て之を言ふべからず。故に易に陰陽を以て道を言ふは、此を以てなり。
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『弁名』理氣人欲仁斎先生曰く、「道は行ふ所を以て言ふ、活字なり。理は存する所を以て言ふ、死字なり。聖人は道を見ること実なり、故に其の理を説くや活なり。老氏は道を見ること虚なり、故に其の理を説くや死なり」と。又た曰く、「道は本と活字、其の生生化化の妙を形容する所以なり。理の字の若きは本と死字、玉に従ひ里に従ふ、玉石の文理を謂ふ。以て事物の条理を形容すべくして、以て天地生生化化の妙を形容するに足らず」と。此等の議論、皆痴人の夢を説くが如し。
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『弁名』道小人の道長ずと曰ひ、戎狄の道と曰ふ者有り。皆其の由る所を以て俗を成し、自ら一道有るに似たり。故に之を言ふ。善人の道と曰ひ、父の道を改むること無しと曰ふ者有り。亦た其の由る所を言ふのみ。必ずしも先王の道ならず。凡そ其の意此を以て道と為して之に由る者なり。是の道や何ぞ以て臧しとするに足らんと曰ふ者有り。詩書礼楽は、皆先王の道なり。故に一言半句と雖も亦た称して道と為すのみ。
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『慎思録』巻之三聖人の道は、本自ら分明なり。故に夫婦の愚も、以て与り知るべし。本自ら簡易なり。故に夫婦の不肖も、以て能く行ふべし。然れども世に之を知り之を行ふ者鮮きは、何ぞや。蓋し教無く習無きに因るなり。