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十善法語 / 巻第十・不邪見戒之上

修行道地經ニ。常見ノ者ハ惡趣ニ入ルコト希ナレトモ。解脫ヲ得ルコト晩キト。常見有相執着ハ眞ニ憐ムヘキコトシヤ。支那宋元已來。我邦中古已來。見處ヲ書アラハセル書ハ多ク此類シヤ。總シテ肉眼ヲ以テ見。妄想ヲ以テ推量ル間ハ聖智見ハ得ラレヌ。此天樂鳴空ハ續藏ノ中ニ入テアルカ。此類ノ淺ハカナル書ヲ聖教ノ部類ニ從ヘ置ハ悲ムヘキコトソ。此外修行力ナキ禪者ノ語錄。トリ違ヘタル教者ノ注疏ナトヲ。藏經ノ中ニ入レオク。誠ニ末世シヤ。法寶ハ此通リニ成リ。佛像ハ十ニ七八ハ造リ謬リ。僧儀ハ一向ニ違フ。聖教ヲ棄テテ僞經ヲ讀誦シ受持スル者モ多イ。誠ニ悲ムヘキコトソ。

新字:修行道地経ニ。常見ノ者ハ悪趣ニ入ルコト希ナレトモ。解脱ヲ得ルコト晩キト。常見有相執着ハ真ニ憐ムヘキコトシヤ。支那宋元已来。我邦中古已来。見処ヲ書アラハセル書ハ多ク此類シヤ。総シテ肉眼ヲ以テ見。妄想ヲ以テ推量ル間ハ聖智見ハ得ラレヌ。此天楽鳴空ハ続蔵ノ中ニ入テアルカ。此類ノ浅ハカナル書ヲ聖教ノ部類ニ従ヘ置ハ悲ムヘキコトソ。此外修行力ナキ禅者ノ語録。トリ違ヘタル教者ノ注疏ナトヲ。蔵経ノ中ニ入レオク。誠ニ末世シヤ。法宝ハ此通リニ成リ。仏像ハ十ニ七八ハ造リ謬リ。僧儀ハ一向ニ違フ。聖教ヲ棄テテ偽経ヲ読誦シ受持スル者モ多イ。誠ニ悲ムヘキコトソ。

書き下し

修行道地経ニ。常見ノ者ハ悪趣ニ入ルコト希ナレトモ。解脱ヲ得ルコト晩キト。常見有相執着ハ真ニ憐ムヘキコトシヤ。支那宋元已来。我邦中古已来。見処ヲ書アラハセル書ハ多ク此類シヤ。総シテ肉眼ヲ以テ見。妄想ヲ以テ推量ル間ハ聖智見ハ得ラレヌ。此天楽鳴空ハ続蔵ノ中ニ入テアルカ。此類ノ浅ハカナル書ヲ聖教ノ部類ニ従ヘ置ハ悲ムヘキコトソ。此外修行力ナキ禅者ノ語録。トリ違ヘタル教者ノ注疏ナトヲ。蔵経ノ中ニ入レオク。誠ニ末世シヤ。法宝ハ此通リニ成リ。仏像ハ十ニ七八ハ造リ謬リ。僧儀ハ一向ニ違フ。聖教ヲ棄テテ偽経ヲ読誦シ受持スル者モ多イ。誠ニ悲ムヘキコトソ。

現代語訳

修行道地経に、常見の者は悪趣に入ることはまれであるが、解脱を得るのが遅い、とある。常見の、姿形にとらわれた執着は、まことに憐れむべきことである。中国では宋・元以来、わが国では中古以来、自分の見解を書き表した書物は多くこの類である。総じて肉眼で見、妄想で推し量っている間は、聖者の智慧の見方は得られない。この『天楽鳴空』は続蔵の中に入っているが、このような浅はかな書を聖教の部類に加えておくのは悲しむべきことである。このほか、修行の力のない禅者の語録や、教えを取り違えた学僧の注釈書などを大蔵経の中に入れておく。まことに末世である。法宝はこのようになり、仏像は十のうち七、八は造り誤り、僧の威儀はすっかり違ってしまっている。聖教を捨てて偽経を読誦し受持する者も多い。まことに悲しむべきことである。

解説

修行道地経の、常見の者は悪趣には落ちにくいが解脱は遅いという一節を引き、形あるものにとらわれる見方の弊を述べる段である。続蔵は大蔵経の続きとして編まれた典籍の集成で、尊者は『天楽鳴空』のような浅い書までが聖典と並べられていることを嘆く。さらに修行の力のない禅僧の語録、誤った注釈、仏像の造り誤り、僧の威儀の乱れ、偽経の流行を末世の姿として挙げる。釈迦の時代の仏法に帰ろうとした尊者の立場がよく表れている。権威ある集成に入っているからといって中身が確かとは限らない、という点は今日の情報にも通じる。

この章句が説くこと

常見解脱末世偽経修行道地経続蔵

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