十善法語 / 巻第五・不綺語戒
假令十善ノ世ニシテモ。馬子日傭ニ默然トシテ馬挽ケト云デハナイ。寂靜ニ地ツキセヨト云テナイ。馬子ガ馬子歌アル。彼カ分ニハ違犯ナラヌシヤ。日傭ノ者ノ音頭輕口。彼等ガ分ニハ違犯ナラヌシヤ。農人カ田ウヱ。草カリ。臼ヒキ。麥カチナト。ソレ相應ノ謠ヒモノアルベシ。此モ綺語ニハナラヌシヤ。若王侯此ヲ好メハ其違犯アルヘシ。木コリ漁リ舟子ナドノ歌。皆違犯ナラヌ。此等ノ中ニモ善惡ハ簡ブベシ。若婬蕩ニ隨順スルコトアラハ。此ヲ禁ズベキシヤ。楚辭ノ漁父ノ辭ナドハ。假設ケタルニモアルヘキガ。滄浪ノ水清バノ歌ハ。道ヲ寓セシ言ト見ユルシヤ。近代ノ僧徒カ世途ニワタリ。人情ヲ雜ヘ色色ノ謠ヒモノヲ作リ出シテ。相似ノ佛法ヲ寓スル。是等ハ全ク綺語ト云ヘシ。君子端人ハ目ニモ見ヌカヨイ。手ニモ取ヌカヨイ。此等ヲ玩ベバ。人民カ輕薄ニ落ル。ワロクコザカシクナル。大ニ風化ヲ損スルシヤ。マシテ眞正法ニハ遠シテ遠キシヤ。
新字:仮令十善ノ世ニシテモ。馬子日傭ニ黙然トシテ馬挽ケト云デハナイ。寂静ニ地ツキセヨト云テナイ。馬子ガ馬子歌アル。彼カ分ニハ違犯ナラヌシヤ。日傭ノ者ノ音頭軽口。彼等ガ分ニハ違犯ナラヌシヤ。農人カ田ウヱ。草カリ。臼ヒキ。麦カチナト。ソレ相応ノ謡ヒモノアルベシ。此モ綺語ニハナラヌシヤ。若王侯此ヲ好メハ其違犯アルヘシ。木コリ漁リ舟子ナドノ歌。皆違犯ナラヌ。此等ノ中ニモ善悪ハ簡ブベシ。若婬蕩ニ随順スルコトアラハ。此ヲ禁ズベキシヤ。楚辞ノ漁父ノ辞ナドハ。仮設ケタルニモアルヘキガ。滄浪ノ水清バノ歌ハ。道ヲ寓セシ言ト見ユルシヤ。近代ノ僧徒カ世途ニワタリ。人情ヲ雑ヘ色色ノ謡ヒモノヲ作リ出シテ。相似ノ仏法ヲ寓スル。是等ハ全ク綺語ト云ヘシ。君子端人ハ目ニモ見ヌカヨイ。手ニモ取ヌカヨイ。此等ヲ玩ベバ。人民カ軽薄ニ落ル。ワロクコザカシクナル。大ニ風化ヲ損スルシヤ。マシテ真正法ニハ遠シテ遠キシヤ。
書き下し
仮令十善ノ世ニシテモ。馬子日傭ニ黙然トシテ馬挽ケト云デハナイ。寂静ニ地ツキセヨト云テナイ。馬子ガ馬子歌アル。彼カ分ニハ違犯ナラヌシヤ。日傭ノ者ノ音頭軽口。彼等ガ分ニハ違犯ナラヌシヤ。農人カ田ウヱ。草カリ。臼ヒキ。麦カチナト。ソレ相応ノ謡ヒモノアルベシ。此モ綺語ニハナラヌシヤ。若王侯此ヲ好メハ其違犯アルヘシ。木コリ漁リ舟子ナドノ歌。皆違犯ナラヌ。此等ノ中ニモ善悪ハ簡ブベシ。若婬蕩ニ随順スルコトアラハ。此ヲ禁ズベキシヤ。楚辞ノ漁父ノ辞ナドハ。仮設ケタルニモアルヘキガ。滄浪ノ水清バノ歌ハ。道ヲ寓セシ言ト見ユルシヤ。近代ノ僧徒カ世途ニワタリ。人情ヲ雑ヘ色色ノ謡ヒモノヲ作リ出シテ。相似ノ仏法ヲ寓スル。是等ハ全ク綺語ト云ヘシ。君子端人ハ目ニモ見ヌカヨイ。手ニモ取ヌカヨイ。此等ヲ玩ベバ。人民カ軽薄ニ落ル。ワロクコザカシクナル。大ニ風化ヲ損スルシヤ。マシテ真正法ニハ遠シテ遠キシヤ。
現代語訳
たとえ十善の世であっても、馬子や日雇いに、黙然として馬を引け、と言うのではない。静まり返って地固めをせよ、と言うのではない。馬子には馬子歌がある。彼の分には違反にならないのである。日雇いの者の音頭や軽口も、彼らの分には違反にならないのである。農民が田植え、草刈り、臼ひき、麦打ちなどに、それ相応の歌い物があるはずである。これも綺語にはならないのである。もし王侯がこれを好めば、その違反があるはずである。木こり、漁師、船頭などの歌は、みな違反にならない。これらの中にも善し悪しは選ぶべきである。もし淫らなことに従うことがあれば、これを禁ずべきである。楚辞の漁父の辞などは、仮に設けたものでもあろうが、滄浪の水清めばの歌は、道を託した言葉と見えるのである。近代の僧徒が世渡りに通じ、人情を交えていろいろな歌い物を作り出して、仏法らしきものを託している。これらはまったく綺語と言うべきである。君子や端正な人は目にも見ないのがよい。手にも取らないのがよい。これらを玩べば、人々が軽薄に落ちる。悪く小賢しくなる。大いに風俗の教化を損なうのである。まして真正の法には遠く、また遠いのである。
解説
この章句が説くこと
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