十善法語 / 巻第二・不偸盜戒
ナセニ施シテ盡ヌソ。山海ノ利ノ愈出テ愈盡ヌ如クシヤ。ナセニ乞貸シテタラヌソ。火ニ薪ヲ加ル如クシヤ。ナセニ親戚モ棄去ソ。瘠土ノ草木ヲ生セヌ如クシヤ。ナセニ楚越モ兄弟ノ如クナルソ。芳花ノ蝶蜂ヲ招ク如クシヤ。此中法性ニ安住スル者ハ。愈出テ愈盡ヌコトヲ知ル故ニ。道有テ他ニ施ス時ハ。藏ヲカタムケテ厭ハヌ。法性莊嚴元來カケメカナキシヤ。火ニ薪ヲ加ル如クナルコトヲ知故。自ラ事ニ安ンシ。心ニ足テ妄ニ乞貸セヌ。法性莊嚴元來缺メカナキシヤ。瘠土ノ草木ヲ生セヌ如クナルコトヲ知故。孤影相トフラフテ憂ヘヌ。法性莊嚴元來缺メカナキシヤ。芳花ノ蝶蜂ヲ招ク如クナルコトヲ知故。眷屬圍繞シテ傲ラヌシヤ。法性莊嚴元來カケメカナキシヤ。
新字:ナセニ施シテ尽ヌソ。山海ノ利ノ愈出テ愈尽ヌ如クシヤ。ナセニ乞貸シテタラヌソ。火ニ薪ヲ加ル如クシヤ。ナセニ親戚モ棄去ソ。瘠土ノ草木ヲ生セヌ如クシヤ。ナセニ楚越モ兄弟ノ如クナルソ。芳花ノ蝶蜂ヲ招ク如クシヤ。此中法性ニ安住スル者ハ。愈出テ愈尽ヌコトヲ知ル故ニ。道有テ他ニ施ス時ハ。蔵ヲカタムケテ厭ハヌ。法性荘厳元来カケメカナキシヤ。火ニ薪ヲ加ル如クナルコトヲ知故。自ラ事ニ安ンシ。心ニ足テ妄ニ乞貸セヌ。法性荘厳元来欠メカナキシヤ。瘠土ノ草木ヲ生セヌ如クナルコトヲ知故。孤影相トフラフテ憂ヘヌ。法性荘厳元来欠メカナキシヤ。芳花ノ蝶蜂ヲ招ク如クナルコトヲ知故。眷属囲繞シテ傲ラヌシヤ。法性荘厳元来カケメカナキシヤ。
書き下し
ナセニ施シテ尽ヌソ。山海ノ利ノ愈出テ愈尽ヌ如クシヤ。ナセニ乞貸シテタラヌソ。火ニ薪ヲ加ル如クシヤ。ナセニ親戚モ棄去ソ。瘠土ノ草木ヲ生セヌ如クシヤ。ナセニ楚越モ兄弟ノ如クナルソ。芳花ノ蝶蜂ヲ招ク如クシヤ。此中法性ニ安住スル者ハ。愈出テ愈尽ヌコトヲ知ル故ニ。道有テ他ニ施ス時ハ。蔵ヲカタムケテ厭ハヌ。法性荘厳元来カケメカナキシヤ。火ニ薪ヲ加ル如クナルコトヲ知故。自ラ事ニ安ンシ。心ニ足テ妄ニ乞貸セヌ。法性荘厳元来欠メカナキシヤ。瘠土ノ草木ヲ生セヌ如クナルコトヲ知故。孤影相トフラフテ憂ヘヌ。法性荘厳元来欠メカナキシヤ。芳花ノ蝶蜂ヲ招ク如クナルコトヲ知故。眷属囲繞シテ傲ラヌシヤ。法性荘厳元来カケメカナキシヤ。
現代語訳
なぜ施して尽きないのか。山海の利がいよいよ出ていよいよ尽きないようなものである。なぜ物乞いや借金をして足りないのか。火に薪を加えるようなものである。なぜ親戚も見捨て去るのか。痩せた土地が草木を生じないようなものである。なぜ楚や越の者も兄弟のようになるのか。芳しい花が蝶や蜂を招くようなものである。この中で法性に安住する者は、いよいよ出ていよいよ尽きないことを知るので、道にかなって他に施す時は、蔵を傾けても厭わない。法性の荘厳はもともと欠け目がないのである。火に薪を加えるようなものであることを知るので、自ら事に安んじ、心に足りてみだりに物乞いや借金をしない。法性の荘厳はもともと欠け目がないのである。痩せた土地が草木を生じないようなものであることを知るので、孤独な影が互いに慰め合う境遇でも憂えない。法性の荘厳はもともと欠け目がないのである。芳しい花が蝶や蜂を招くようなものであることを知るので、眷属に取り囲まれても驕らないのである。法性の荘厳はもともと欠け目がないのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
老子・第20章学を絶てば憂い無し。唯と阿と、相去ること幾何ぞ。善と悪と、相去ること若何。人の畏るる所は、畏れざるべからず。荒としてそれ未だ央きざるかな。衆人は熙熙として、太牢を享くるが如く、春に台に登るが如し。我れ独り泊としてそれ未だ兆さず、嬰児の未だ孩わざるが如し。儽儽として帰する所無きが若し。衆人は皆な余り有るに、我れ独り遺れたるが若し。我れは愚人の心なるかな、沌沌たり。俗人は昭昭たるに、我れ独り昏昏たり。俗人は察察たるに、我れ独り悶悶たり。澹としてそれ海の若く、飂として止まる所無きが若し。衆人は皆な以うる有るに、我れ独り頑にして鄙に似たり。我れ独り人に異なりて、母に食わるるを貴ぶ。
-
『韓非子』和氏第十三人主、能く大臣の議に倍き、民萌の誹を越え、獨り道言に周するに非ずんば、則ち法術の士、死亡に至ると雖も、道必ず論ぜられざらん。
-
『呻吟語』内篇・修身・沉靜は最も美質なり沉靜は最も是れ美質なり。蓋し心存して放たざる者なり。今人獨居無事なるに、已に自ら岑寂堪へ難し。才かに事に應じ人に接すれば、便ち口に任せ情を恣にす。即ち是れ清狂なるも、亦た德を蓄ふるの器に非ず。
-
徒然草・第12段同じ心ならむ人と、しめやかに物語して、をかしき事も世のはかなき事も、うらなくいひ慰まむこそ嬉しかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違はざらむと向ひ居たらむは、ひとりある心地やせむ。互にいはむほどのことをば、げにと聞くかひあるものから、いさゝか違ふ所もあらむ人こそ、「我は然やは思ふ。」など争ひにくみ、「さるからさぞ。」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには少しかこつかたも、我とひとしからざらむ人は、大かたのよしなしごといはむ程こそあらめ、まめやかの心の友には遙かにへだたる所のありぬべきぞわびしきや。
-
徒然草・第75段つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。紛るゝ方なく、唯一人あるのみこそよけれ。世に従へば、心外の塵にうばはれて惑ひ易く、人に交はれば、言葉よそのききに随ひて、さながら心にあらず。人に戯れ、物に争ひ、一度はうらみ、一度はよろこぶ。そのこと定れることなし。分別妄りに起りて、得失やむ時なし。まどひの上に酔へり、酔の中に夢をなす。走りていそがはしく、ほれて忘れたること、人皆かくのごとし。いまだ誠の道を知らずとも、縁を離れて身を閑にし、事に与らずして心を安くせむこそ、暫く楽しぶともいひつべけれ。「生活、人事、技能、学問等の諸縁をやめよ。」とこそ、摩訶止観にもはべれ。
-
『驢鞍橋』卷上一日去る僧来り、此比行脚の時、友に別れて俄に懶く成りたりと云ふ。師聞て曰く、仮に別れたるにさへ如是、況んや死して一人空く黄泉の旅に赴き、先も知らぬ闇路を行かん時さぞさぞ苦かるへし。兼て思知るへき事也。又曰く、其様に心変ずる物なる間、少々に気を養はずんは叶ふへからす。强く守り固く修め、何たる事にも苦まず、何ともなき様にすべし。兎角一大事起らで叶はす、大事さへ有らば大事を以て一切を使ふ也。