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十善法語 / 巻第二・不偸盜戒

後ノ不邪見戒ヲ智ニ配スル。是モ的當テナイ。智ト云ハ愚ニ對スル名シヤ。德義ノ標目ニテ。庸流ニハ通セヌコトシヤ。世ニ文盲ナル者多ク。學者少ク。識別アル者少ク。暗昧ナル者ハ多ケレハ。推通シテ行ハルル道テナキシヤ。又智ニハ紛レ事カ有。外典ニ臧武仲カ智ト云ナトハ。取ニ足ラヌコトシヤ。殷紂王カ。智足以拒諫ト云ハ。ヨクモナキコトシヤ。若此戒ニ依テ善ヲナセハ善ノ報アル。惡ヲナセハ惡ノ報有ル。現世ニ報イサレハ未來世ニ報ユ。聖人賢人ト云者モ世ニ有ル。オロソカニスルナ。佛菩薩モ世ニ有ル。オロソカニ思フナ。神祇モ世ニ有ル。オロソカニスルナト云ヘハ。上ハ王公大人ヨリ下ハ庸夫愚婦樵漁奴婢ニ至ルマテ。教ヘ導カルル。身ニ行セラルル。心ニ得サセラルルシヤ。

新字:後ノ不邪見戒ヲ智ニ配スル。是モ的当テナイ。智ト云ハ愚ニ対スル名シヤ。徳義ノ標目ニテ。庸流ニハ通セヌコトシヤ。世ニ文盲ナル者多ク。学者少ク。識別アル者少ク。暗昧ナル者ハ多ケレハ。推通シテ行ハルル道テナキシヤ。又智ニハ紛レ事カ有。外典ニ臧武仲カ智ト云ナトハ。取ニ足ラヌコトシヤ。殷紂王カ。智足以拒諫ト云ハ。ヨクモナキコトシヤ。若此戒ニ依テ善ヲナセハ善ノ報アル。悪ヲナセハ悪ノ報有ル。現世ニ報イサレハ未来世ニ報ユ。聖人賢人ト云者モ世ニ有ル。オロソカニスルナ。仏菩薩モ世ニ有ル。オロソカニ思フナ。神祇モ世ニ有ル。オロソカニスルナト云ヘハ。上ハ王公大人ヨリ下ハ庸夫愚婦樵漁奴婢ニ至ルマテ。教ヘ導カルル。身ニ行セラルル。心ニ得サセラルルシヤ。

書き下し

後ノ不邪見戒ヲ智ニ配スル。是モ的当テナイ。智ト云ハ愚ニ対スル名シヤ。徳義ノ標目ニテ。庸流ニハ通セヌコトシヤ。世ニ文盲ナル者多ク。学者少ク。識別アル者少ク。暗昧ナル者ハ多ケレハ。推通シテ行ハルル道テナキシヤ。又智ニハ紛レ事カ有。外典ニ臧武仲カ智ト云ナトハ。取ニ足ラヌコトシヤ。殷紂王カ。智足以拒諫ト云ハ。ヨクモナキコトシヤ。若此戒ニ依テ善ヲナセハ善ノ報アル。悪ヲナセハ悪ノ報有ル。現世ニ報イサレハ未来世ニ報ユ。聖人賢人ト云者モ世ニ有ル。オロソカニスルナ。仏菩薩モ世ニ有ル。オロソカニ思フナ。神祇モ世ニ有ル。オロソカニスルナト云ヘハ。上ハ王公大人ヨリ下ハ庸夫愚婦樵漁奴婢ニ至ルマテ。教ヘ導カルル。身ニ行セラルル。心ニ得サセラルルシヤ。

現代語訳

後の不邪見戒を智に配する。これも的を射てはいない。智というのは愚に対する名である。徳義の標目であって、凡庸な人々には通じないことである。世に文字を知らない者は多く、学者は少なく、識別ある者は少なく、暗く愚かな者は多いので、通じて行われる道ではないのである。また智には紛らわしいことがある。外典に臧武仲の智と言うなどは、取るに足らないことである。殷の紂王が「智は諫めを拒むに足る」と言われるのは、よくもないことである。もしこの戒によって、「善をなせば善の報いがある。悪をなせば悪の報いがある。現世に報いなければ未来世に報いる。聖人賢人という者も世にいる。おろそかにするな。仏菩薩も世にいる。おろそかに思うな。神々も世にいる。おろそかにするな」と言えば、上は王公大人から下は凡夫・愚かな者・木こり漁師・召使いに至るまで、教え導くことができる。身に行わせることができる。心に得させることができるのである。

解説

不邪見を智に配することにも尊者は異を唱える。智は愚に対する言葉で、学のある一部の者の徳目にすぎず、しかも紛らわしい。論語で孔子に批判された臧武仲の智や、史記に紂王の智は諫めを拒むに足ったとあるように、智は悪用もされる。それに対し不邪見戒は「善には善の報い、悪には悪の報いがある。聖賢も仏菩薩も神々もおろそかにするな」と言えば、誰にでも伝わる。賢さは自分を正当化する道具にもなる。敬う心を伴わない賢さの危うさを示している。

この章句が説くこと

不邪見因果敬い紂王臧武仲

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