十善法語 / 巻第五・不綺語戒
正ク云ハハ。出家人ニモセヨ。在家人ニモセヨ。大人タル者ハ。渾然トシテ璞ノ未タ磨セサル如ク。淵ノ浪ダタサル如ク。此處道ノ存スル所シヤ。伎藝ノ德ヲ損スルヲ看ル。文釆ノ性ヲ傷フヲ看ル。詩ハ古詩ヲ誦シテ可ナリ。時アツテ志ヲ述ル。工拙ハ所論デナイ。歌ハ古歌ヲ詠シテ可ナリ。時アツテ懷ヲ寄ル。工拙ハ所論デナイ。善言善行ハ古ノ聖賢ヲ稱シテ可ナリ。我言ヲ立ベキナラズ。我行ヲ飾ルベキナラズ。事ニ觸テ唯過少ナカランコトヲ思フベキシヤ。典籍ヲ讀ハ。略其義ニ通シテ可ナリ。其隱タルヲ索ムベカラス。書ハ姓名ヲ記シ得ハ可ナリ。其巧拙ハ所論デナイ。才能藝術ハ其人ヲ用テ可ナリ。籩豆ノ事ハ有司存スルシヤ。大抵不綺語戒ハ此ニ在テ全キコトシヤ。
新字:正ク云ハハ。出家人ニモセヨ。在家人ニモセヨ。大人タル者ハ。渾然トシテ璞ノ未タ磨セサル如ク。淵ノ浪ダタサル如ク。此処道ノ存スル所シヤ。伎芸ノ徳ヲ損スルヲ看ル。文釆ノ性ヲ傷フヲ看ル。詩ハ古詩ヲ誦シテ可ナリ。時アツテ志ヲ述ル。工拙ハ所論デナイ。歌ハ古歌ヲ詠シテ可ナリ。時アツテ懐ヲ寄ル。工拙ハ所論デナイ。善言善行ハ古ノ聖賢ヲ称シテ可ナリ。我言ヲ立ベキナラズ。我行ヲ飾ルベキナラズ。事ニ触テ唯過少ナカランコトヲ思フベキシヤ。典籍ヲ読ハ。略其義ニ通シテ可ナリ。其隠タルヲ索ムベカラス。書ハ姓名ヲ記シ得ハ可ナリ。其巧拙ハ所論デナイ。才能芸術ハ其人ヲ用テ可ナリ。籩豆ノ事ハ有司存スルシヤ。大抵不綺語戒ハ此ニ在テ全キコトシヤ。
書き下し
正ク云ハハ。出家人ニモセヨ。在家人ニモセヨ。大人タル者ハ。渾然トシテ璞ノ未タ磨セサル如ク。淵ノ浪ダタサル如ク。此処道ノ存スル所シヤ。伎芸ノ徳ヲ損スルヲ看ル。文釆ノ性ヲ傷フヲ看ル。詩ハ古詩ヲ誦シテ可ナリ。時アツテ志ヲ述ル。工拙ハ所論デナイ。歌ハ古歌ヲ詠シテ可ナリ。時アツテ懐ヲ寄ル。工拙ハ所論デナイ。善言善行ハ古ノ聖賢ヲ称シテ可ナリ。我言ヲ立ベキナラズ。我行ヲ飾ルベキナラズ。事ニ触テ唯過少ナカランコトヲ思フベキシヤ。典籍ヲ読ハ。略其義ニ通シテ可ナリ。其隠タルヲ索ムベカラス。書ハ姓名ヲ記シ得ハ可ナリ。其巧拙ハ所論デナイ。才能芸術ハ其人ヲ用テ可ナリ。籩豆ノ事ハ有司存スルシヤ。大抵不綺語戒ハ此ニ在テ全キコトシヤ。
現代語訳
正しく言えば、出家の人であれ、在家の人であれ、大人である者は、渾然として、まだ磨かれていない原石のように、波立たない淵のようである。ここが道の存するところである。技芸が徳を損なうことを見る。文飾が本性を傷つけることを見る。詩は古の詩を誦すればよい。時に志を述べる。上手下手は論ずるところではない。歌は古の歌を詠ずればよい。時に思いを寄せる。上手下手は論ずるところではない。善い言葉や善い行いは、古の聖賢を称えればよい。自分の言葉を立てるべきではない。自分の行いを飾るべきではない。事に触れて、ただ過ちが少なくあろうと思うべきである。典籍を読むには、おおよそその意味に通じればよい。その隠れたところを探し求めるべきではない。書は姓名を記すことができればよい。その上手下手は論ずるところではない。才能や芸術はその人を用いればよい。祭器の事は係の役人がいるのである。おおよそ不綺語戒はここにあって全うされるのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・反質孔子卦を占いて賁を得たり、喟然として仰ぎて歎息し、意平らかならず。子張進みて、手を舉げて問いて曰く、「師聞く、賁は吉卦なりと、而るに之を歎ずるか?」孔子曰く、「賁は正色に非ざるなり、是を以て之を歎ず。吾夫の質素を思う、白は當に正白たるべく、黑は當に正黑たるべし。夫れ質とは又何ぞや?吾亦之を聞く、丹漆は文らず、白玉は彫らず、寶珠は飾らず、何ぞや?質餘り有る者は、飾を受けざるなり。」と。
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孔子家語・好生孔子常に自ら其の卦を筮うるに、賁を得たり、愀然として不平の状有り。子張進みて曰わく、「師聞く、卜する者賁卦を得れば、吉なりと。而るに夫子の色不平有るは、何ぞや。」孔子対えて曰わく、「其の離なるを以てか。周易に在りて、山下に火有る、之を賁と謂う、正色の卦に非ざるなり。夫れ質や黒白宜しく正しかるべし、今賁を得たるは、吾が兆に非ざるなり。吾聞く、丹漆は文らず、白玉は雕らずと、何ぞや。質余り有れば飾を受けざる故なり。」
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老子・第4章道は沖にして、之を用うるも或いは盈たず。淵たり、万物の宗に似たり。其の鋭を挫き、其の紛を解き、其の光を和らげ、其の塵に同じくす。湛たり、或いは存するに似たり。吾れ誰の子なるかを知らず、帝の先に象たり。
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孔子家語・弟子行強禦を畏れず、矜寡を侮らず。其の言は性に循い、其の都は富を以てす。材は戎を治むるに任う、是れ仲由の行なり。孔子之を和するに文を以てし、之を說くに詩を以て曰わく、『小拱大拱を受け、下國の駿龐と為り、天子の龍を荷う。戁ず悚じず、其の勇を敷奏す。強きかな武なるかな、文其の質に勝たず。』と。
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孔子家語・郊問公曰わく:「其れ郊と言うは、何ぞや。」孔子曰わく:「丘を南に兆すは、陽位に就く所以なり。郊に於てす、故に之を郊と謂う。」曰わく:「其の牲器は何如。」孔子曰わく:「上帝の牛は角璽栗にして、必ず滌に在ること三月。后稷の牛は唯だ具うるのみ、天神と人鬼とに事うるを別つ所以なり。牲は骍を用う、赤を尚べばなり。犢を用うるは、誠を貴べばなり。地を掃いて祭るは其の質なり。器は陶匏を用う、天地の性に象る以てなり。萬物之に稱う可き者無し、故に其の自然の體に因るなり。」
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『十善法語』巻第五・不綺語戒凡ソ大人タル者ハ。言語少キ習ヒシヤ。マシテカサリタル言。アヤアル辞。義理ニカナハヌ詞。ミナ其人品ニ相違ス。モシ言ヘハ大人ノ道ニ違フテ。此不綺語戒ヲ破スルシヤ。支那国ニ謂ユル滑稽隠語ノ類。我邦ニ謂ユルカル口誹諧狂言ナト。一切時ナラヌ言。処不相応ナル詞。皆此ニ摂ス。此中情詞艶曲ノ類。筆ヲ弄シテ紙上ニ書シ。両片皮ヲ鼓シテ言出ス。常人ノ軽軽ニ看過スル処ナレドモ。有志ノ者ハ恐懼スル処シヤ。近クハ世間ニ在テ其害カ兆ス。遠クハ法性ニ背キテ。悪業種ヲ成スルシヤ。