十善法語 / 巻第四・不妄語戒
上ノ五字ハ梵文□□□□□ノ五字テ。此カ卽文珠菩薩ノ眞言。諸佛應身ノ德有ト云コトシヤ。又五佛ニモ配スルト云コトシヤ。此等ハ密教ノ阿闍梨ニ尋子受ヘキコトシヤ。此ヲ以テ看ヨ。眞正ニ不妄語戒ヲ護持スル人ハ。吾邦ナラハ。イロハ四十八字モ法門トナリ來ル。支那國ナラハ。上大人モ法門トナリ來シヤ。イロハノ如ク。上大人ノ如ク。詩書六經諸子百家。本邦諸記雜書。和歌ノ諸集モ皆此法門トナルシヤ。語業カ如是シヤ。身口意業徧虛空ト有モ。外ヨリ來ルコトハナイ。此不妄語戒ノ中ニ自ラ具足スルコトシヤ。眞實ニ持テハ。自ラ其身ニ福德智慧ノ備ルコトヲ知ル。世ニ在者ハ。此言教ヲ以テ人民ヲ撫育ス。僧中ニ在テハ。此法門ヲ以テヨク大衆ヲ攝ス。乃至三世ノ諸佛ノ眞實語ニ達ス。此ヲ不妄語戒ヲ持ツト云。
新字:上ノ五字ハ梵文□□□□□ノ五字テ。此カ即文珠菩薩ノ真言。諸仏応身ノ徳有ト云コトシヤ。又五仏ニモ配スルト云コトシヤ。此等ハ密教ノ阿闍梨ニ尋子受ヘキコトシヤ。此ヲ以テ看ヨ。真正ニ不妄語戒ヲ護持スル人ハ。吾邦ナラハ。イロハ四十八字モ法門トナリ来ル。支那国ナラハ。上大人モ法門トナリ来シヤ。イロハノ如ク。上大人ノ如ク。詩書六経諸子百家。本邦諸記雑書。和歌ノ諸集モ皆此法門トナルシヤ。語業カ如是シヤ。身口意業遍虚空ト有モ。外ヨリ来ルコトハナイ。此不妄語戒ノ中ニ自ラ具足スルコトシヤ。真実ニ持テハ。自ラ其身ニ福徳智慧ノ備ルコトヲ知ル。世ニ在者ハ。此言教ヲ以テ人民ヲ撫育ス。僧中ニ在テハ。此法門ヲ以テヨク大衆ヲ摂ス。乃至三世ノ諸仏ノ真実語ニ達ス。此ヲ不妄語戒ヲ持ツト云。
書き下し
上ノ五字ハ梵文□□□□□ノ五字テ。此カ即文珠菩薩ノ真言。諸仏応身ノ徳有ト云コトシヤ。又五仏ニモ配スルト云コトシヤ。此等ハ密教ノ阿闍梨ニ尋子受ヘキコトシヤ。此ヲ以テ看ヨ。真正ニ不妄語戒ヲ護持スル人ハ。吾邦ナラハ。イロハ四十八字モ法門トナリ来ル。支那国ナラハ。上大人モ法門トナリ来シヤ。イロハノ如ク。上大人ノ如ク。詩書六経諸子百家。本邦諸記雑書。和歌ノ諸集モ皆此法門トナルシヤ。語業カ如是シヤ。身口意業遍虚空ト有モ。外ヨリ来ルコトハナイ。此不妄語戒ノ中ニ自ラ具足スルコトシヤ。真実ニ持テハ。自ラ其身ニ福徳智慧ノ備ルコトヲ知ル。世ニ在者ハ。此言教ヲ以テ人民ヲ撫育ス。僧中ニ在テハ。此法門ヲ以テヨク大衆ヲ摂ス。乃至三世ノ諸仏ノ真実語ニ達ス。此ヲ不妄語戒ヲ持ツト云。
現代語訳
上の五字は梵文の□□□□□(阿・羅・波・者・那)の五字であって、これがすなわち文殊菩薩の真言であり、諸仏の応身の徳がある、ということである。また五仏にも配するということである。これらは密教の阿闍梨に尋ねて受けるべきことである。これによって見なさい。真正に不妄語戒を護持する人は、我が国であればいろは四十八字も法門となって現れてくる。中国であれば上大人も法門となって現れてくるのである。いろはのように、上大人のように、詩経・書経などの六経、諸子百家、我が国の諸々の記録や雑書、和歌の諸集もみなこの法門となるのである。言葉の業はこのようである。身口意の業は虚空に遍く満ちる、とあるのも、外から来ることではない。この不妄語戒の中におのずから具わっていることである。真実に持てば、おのずからその身に福徳と智慧の備わることを知る。世間にある者は、この言葉の教えによって人民を慈しみ育てる。僧の中にあっては、この法門によってよく大衆を収める。さらには三世の諸仏の真実の言葉に達する。これを不妄語戒を持つと言う。
解説
この章句が説くこと
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