十善法語 / 巻第八・不貪欲戒
俗中ノ教ニ。禹ハ旨酒ヲ惡ンテ儀狄ヲ遠サクトアル。酒誥ニ。天降威我民。用大亂喪德亦罔非酒惟行越小大邦用喪亦罔非酒惟辜トアル。詩ノ小雅ニ。賓之初筵溫溫其恭。其未醉止。威儀抑抑。曰旣醉。威儀泌泌。是曰旣醉。不知其秩トアル又孔子カ惟酒無量不及亂ト。俗中ニモ諸君子ノ心ハ自カラ此戒ノ具ヘルコトシヤ。經論ノ文ニ。酒ニ三十五事。三十六事ノ過失アリトアル。在家ノ人ハ抄出シテ常ニ憶念スヘキコトシヤ。又律中ニ。世尊祇多太子ニ飮酒ヲ開シタマフ。又末利夫人ガ他ノ罪ナラズシテ刑ニ中ル者ヲ救ンタメニ。齋日ナレトモ。此等ノ戒ヲ破ス。此ヲ世尊ニ告ス。世尊言ク。破戒ナラス。善功德ヲ得ルト。此進不コトコトク憶念スヘキコトシヤ。
新字:俗中ノ教ニ。禹ハ旨酒ヲ悪ンテ儀狄ヲ遠サクトアル。酒誥ニ。天降威我民。用大乱喪徳亦罔非酒惟行越小大邦用喪亦罔非酒惟辜トアル。詩ノ小雅ニ。賓之初筵温温其恭。其未酔止。威儀抑抑。曰既酔。威儀泌泌。是曰既酔。不知其秩トアル又孔子カ惟酒無量不及乱ト。俗中ニモ諸君子ノ心ハ自カラ此戒ノ具ヘルコトシヤ。経論ノ文ニ。酒ニ三十五事。三十六事ノ過失アリトアル。在家ノ人ハ抄出シテ常ニ憶念スヘキコトシヤ。又律中ニ。世尊祇多太子ニ飲酒ヲ開シタマフ。又末利夫人ガ他ノ罪ナラズシテ刑ニ中ル者ヲ救ンタメニ。斎日ナレトモ。此等ノ戒ヲ破ス。此ヲ世尊ニ告ス。世尊言ク。破戒ナラス。善功徳ヲ得ルト。此進不コトコトク憶念スヘキコトシヤ。
書き下し
俗中ノ教ニ。禹ハ旨酒ヲ悪ンテ儀狄ヲ遠サクトアル。酒誥ニ。天降威我民。用大乱喪徳亦罔非酒惟行越小大邦用喪亦罔非酒惟辜トアル。詩ノ小雅ニ。賓之初筵温温其恭。其未酔止。威儀抑抑。曰既酔。威儀泌泌。是曰既酔。不知其秩トアル又孔子カ惟酒無量不及乱ト。俗中ニモ諸君子ノ心ハ自カラ此戒ノ具ヘルコトシヤ。経論ノ文ニ。酒ニ三十五事。三十六事ノ過失アリトアル。在家ノ人ハ抄出シテ常ニ憶念スヘキコトシヤ。又律中ニ。世尊祇多太子ニ飲酒ヲ開シタマフ。又末利夫人ガ他ノ罪ナラズシテ刑ニ中ル者ヲ救ンタメニ。斎日ナレトモ。此等ノ戒ヲ破ス。此ヲ世尊ニ告ス。世尊言ク。破戒ナラス。善功徳ヲ得ルト。此進不コトコトク憶念スヘキコトシヤ。
現代語訳
俗世の教えにも、禹王は美酒を嫌って(酒を造った)儀狄を遠ざけた、とある。(書経の)酒誥に、「天が威を下して我が民を罰するとき、民が大いに乱れて徳を失うのは、酒がその行いとなっていないことはない。小国大国が滅びるのも、酒がその罪となっていないことはない」とある。詩経の小雅に、「賓客が初めて宴の席に着くときは、穏やかで恭しい。まだ酔わないうちは、威儀は慎み深い。すでに酔ってしまうと、威儀はだらしなくなる。これをすでに酔ったと言い、その秩序をわきまえない」とある。また孔子は、酒は量を定めなかったが、乱れるには及ばなかった、と。俗世でも諸々の君子の心は、おのずからこの戒を具えているのである。経論の文に、酒には三十五事、三十六事の過失がある、とある。在家の人は書き抜いて、常に心にとどめるべきことである。また律の中に、世尊は祇多太子に飲酒を許された、とある。また末利夫人が、罪がないのに刑に当たる者を救うために、斎日であったけれども、これらの戒を破った。これを世尊に申し上げた。世尊は言われた。破戒ではない、善い功徳を得る、と。こうした許すと禁じるとの別を、ことごとく心にとどめるべきである。
解説
この章句が説くこと
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