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十善法語 / 巻第二・不偸盜戒

如是世尊モ大衆モ馬麥ヲ食シ。泰然トシテ夏ヲ滿ス。此因緣ニ由テ。毗蘭若婆羅門モ夏竟ニ過ヲ悔イ。信心增長スト。カウシヤ。是ヲ正シク末世無福ノ弟子ノ爲ノ正軌則ト名ツク。具ニ思惟シテ看ヨ。甚深ナルコトシヤ。富貴榮耀ナレハ。富貴榮耀ノ中ニ其法現スル。貧賤困窮ナレハ。貧賤困窮ノ中ニ其法現スル。世間ニハ富貴ト貧賤トノ別アレトモ。自己心中ハ唯一法ノミシヤ。外典ニ。孔子ノ陳蔡ノ間ニ厄セシトキ。門弟子ト共ニ琴ヲ鼓シテ。兕ニ非ス虎ニ非ス。彼曠野ニシタカフ。我道非ナルカト。此モ俗中君子ノ艱難ニ處スル規則ト云ヘキシヤ。

新字:如是世尊モ大衆モ馬麦ヲ食シ。泰然トシテ夏ヲ満ス。此因縁ニ由テ。毗蘭若婆羅門モ夏竟ニ過ヲ悔イ。信心增長スト。カウシヤ。是ヲ正シク末世無福ノ弟子ノ為ノ正軌則ト名ツク。具ニ思惟シテ看ヨ。甚深ナルコトシヤ。富貴栄耀ナレハ。富貴栄耀ノ中ニ其法現スル。貧賤困窮ナレハ。貧賤困窮ノ中ニ其法現スル。世間ニハ富貴ト貧賤トノ別アレトモ。自己心中ハ唯一法ノミシヤ。外典ニ。孔子ノ陳蔡ノ間ニ厄セシトキ。門弟子ト共ニ琴ヲ鼓シテ。兕ニ非ス虎ニ非ス。彼曠野ニシタカフ。我道非ナルカト。此モ俗中君子ノ艱難ニ処スル規則ト云ヘキシヤ。

書き下し

如是世尊モ大衆モ馬麦ヲ食シ。泰然トシテ夏ヲ満ス。此因縁ニ由テ。毗蘭若婆羅門モ夏竟ニ過ヲ悔イ。信心增長スト。カウシヤ。是ヲ正シク末世無福ノ弟子ノ為ノ正軌則ト名ツク。具ニ思惟シテ看ヨ。甚深ナルコトシヤ。富貴栄耀ナレハ。富貴栄耀ノ中ニ其法現スル。貧賤困窮ナレハ。貧賤困窮ノ中ニ其法現スル。世間ニハ富貴ト貧賤トノ別アレトモ。自己心中ハ唯一法ノミシヤ。外典ニ。孔子ノ陳蔡ノ間ニ厄セシトキ。門弟子ト共ニ琴ヲ鼓シテ。兕ニ非ス虎ニ非ス。彼曠野ニシタカフ。我道非ナルカト。此モ俗中君子ノ艱難ニ処スル規則ト云ヘキシヤ。

現代語訳

このように世尊も大衆も馬麦を食し、泰然として夏を満了された。この因縁によって、毘蘭若婆羅門も夏の終わりに過ちを悔い、信心が増長したという。こうである。これを正しく、末世の福のない弟子のための正しい規則と名づける。詳しく思惟して見よ。甚だ深いことである。富貴栄耀であれば、富貴栄耀の中にその法が現れる。貧賤困窮であれば、貧賤困窮の中にその法が現れる。世間には富貴と貧賤との別があるけれども、自己の心の中はただ一つの法だけなのである。外典に、孔子が陳と蔡の間で災厄に遭った時、門弟子とともに琴を弾いて、「兕でもなく虎でもないのに、あの曠野をさまよう。わが道が間違っているのか」と言った。これも俗世の君子が艱難に処する規則と言うべきである。

解説

釈尊は特別な手段を使わず、馬麦を食べて泰然と夏を過ごした。やがて約束を忘れた婆羅門も過ちを悔いて信を深めた。尊者はこれを、福に恵まれない末世の弟子のための手本と呼ぶ。富貴なら富貴の中に、困窮なら困窮の中に同じ法が現れ、心の中は一つだという。孔子が陳蔡の間で食に窮したときも弟子と琴を弾き、詩経の「兕に匪ず虎に匪ず、彼の曠野に率う」を引いて道を問い直した。苦境でこそ、その人の軸が試される。

この章句が説くこと

艱難泰然孔子陳蔡富貴貧賤

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