十善法語 / 巻第二・不偸盜戒
近世ノ道俗ヲ誘ヒ導ク者ハ。易キヨリ易キニ就テ。我宗門ノ中ニハ。過ヲ改メ惡ヲ止ルニハ及ヌト云。持戒禪定モ廢スヘシト云。識別有ン者ハ推察シ看ヨ。佛世賢聖在世ハ。諸天八部人非人道俗男女ミナ善ヨリ善ニ遷タコトシヤ。倶ニ分ニ隨テ持戒修禪モ有タシヤ。人ニ良心アレハ善根ノ勤ラレヌト云コトハ有マシキソ。中古已來伶利ノ士カ世ニ隨ヒ俗ニ應シテ人ヲ教化ス。其次ニ出ル者ハ。又世俗ニ順シ人情ニ就。ソノ次ニ出ル者更ニ世俗ニ順シ人情ニ就テ。遂ニ賢聖ノ正規則ヲ取失フ樣ニナリ下リ。惡ヲ作シテ差ヌ樣ニナリ下タコトシヤ。近古明惠上人ノ言ニ。今ノ諸宗ノ者ノ云通リカ佛法ナラハ。諸道ノ中ニ佛法ヨリワロキコトハナキト。此等ハ見タ處アル趣シヤ。
新字:近世ノ道俗ヲ誘ヒ導ク者ハ。易キヨリ易キニ就テ。我宗門ノ中ニハ。過ヲ改メ悪ヲ止ルニハ及ヌト云。持戒禅定モ廃スヘシト云。識別有ン者ハ推察シ看ヨ。仏世賢聖在世ハ。諸天八部人非人道俗男女ミナ善ヨリ善ニ遷タコトシヤ。倶ニ分ニ随テ持戒修禅モ有タシヤ。人ニ良心アレハ善根ノ勤ラレヌト云コトハ有マシキソ。中古已来伶利ノ士カ世ニ随ヒ俗ニ応シテ人ヲ教化ス。其次ニ出ル者ハ。又世俗ニ順シ人情ニ就。ソノ次ニ出ル者更ニ世俗ニ順シ人情ニ就テ。遂ニ賢聖ノ正規則ヲ取失フ様ニナリ下リ。悪ヲ作シテ差ヌ様ニナリ下タコトシヤ。近古明恵上人ノ言ニ。今ノ諸宗ノ者ノ云通リカ仏法ナラハ。諸道ノ中ニ仏法ヨリワロキコトハナキト。此等ハ見タ処アル趣シヤ。
書き下し
近世ノ道俗ヲ誘ヒ導ク者ハ。易キヨリ易キニ就テ。我宗門ノ中ニハ。過ヲ改メ悪ヲ止ルニハ及ヌト云。持戒禅定モ廃スヘシト云。識別有ン者ハ推察シ看ヨ。仏世賢聖在世ハ。諸天八部人非人道俗男女ミナ善ヨリ善ニ遷タコトシヤ。倶ニ分ニ随テ持戒修禅モ有タシヤ。人ニ良心アレハ善根ノ勤ラレヌト云コトハ有マシキソ。中古已来伶利ノ士カ世ニ随ヒ俗ニ応シテ人ヲ教化ス。其次ニ出ル者ハ。又世俗ニ順シ人情ニ就。ソノ次ニ出ル者更ニ世俗ニ順シ人情ニ就テ。遂ニ賢聖ノ正規則ヲ取失フ様ニナリ下リ。悪ヲ作シテ差ヌ様ニナリ下タコトシヤ。近古明恵上人ノ言ニ。今ノ諸宗ノ者ノ云通リカ仏法ナラハ。諸道ノ中ニ仏法ヨリワロキコトハナキト。此等ハ見タ処アル趣シヤ。
現代語訳
近世の出家や在家を誘い導く者は、易いことからさらに易いことについて、「わが宗門の中では、過ちを改め悪を止めるには及ばない」と言う。「持戒も禅定も廃すべきだ」と言う。識別ある者は推察して見よ。仏在世、賢聖在世には、諸天・八部衆・人・非人・出家在家の男女がみな善から善へと移ったことである。ともに分に従って持戒や修禅もあったのである。人に良心があれば、善根が勤められないということはあるはずがないぞ。中古以来、利発な士が世に従い俗に応じて人を教化する。その次に出る者は、また世俗に順い人情に就く。その次に出る者は、さらに世俗に順い人情に就いて、ついに賢聖の正しい規則を取り失うようになり下がり、悪をなしても差し支えないようになり下がったことである。近古の明恵上人の言葉に、「今の諸宗の者の言うとおりが仏法であるならば、諸々の道の中で仏法より悪いものはない」と。これらは見る所のある趣である。
解説

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