師導古典を学びたいすべての人に

十善法語 / 巻第十・不邪見戒之上

前ニ云所ノ邪教トハ。天竺ノ數論師カ二十五諦ノ法。勝論師カ六句義。十句義ノ法。路迦耶カ撥無因果ノ教等。總シテ十六ノ異論。九十六種ノ外道ノ類。支那國ニテ云ヘハ。累代ノ五嶽ノ道士。宋朝已來ノ儒生。老子孔子ノ道ヲトリ謬ル者ノ教ナトシヤ。前ニ云所ノ邪思惟トハ。天竺支那ヨリ此邦ニ至ルマテ。世智辨聰ノ者ノ思惟分別ヲ。皆此中ニ攝スル。コノ邪思惟ハ愚癡ノ煩惱ナレトモ。菽麥ヲ辨セヌ樣ナル者ニハ反テナイ。一類思想多キ者ニ在ル。若ハ緣事ニフレテ忽然トシテ解了生スル。若ハ細思審察シテ其解了生スル宿世ノ緣ニ隨テ初一步ニ正道カ邪道カノ徑路分レル。世ニ宿福深厚ノ者ハ少ク。業障深重ノ者ハ多キ習ヒ多少ノ人ガ若ハ斷見若ハ常見。此二途カ落着場處シヤ。此斷常ノ見ニ墮レハ此不邪見戒ヲ破スル。

新字:前ニ云所ノ邪教トハ。天竺ノ数論師カ二十五諦ノ法。勝論師カ六句義。十句義ノ法。路迦耶カ撥無因果ノ教等。総シテ十六ノ異論。九十六種ノ外道ノ類。支那国ニテ云ヘハ。累代ノ五嶽ノ道士。宋朝已来ノ儒生。老子孔子ノ道ヲトリ謬ル者ノ教ナトシヤ。前ニ云所ノ邪思惟トハ。天竺支那ヨリ此邦ニ至ルマテ。世智弁聰ノ者ノ思惟分別ヲ。皆此中ニ摂スル。コノ邪思惟ハ愚痴ノ煩悩ナレトモ。菽麦ヲ弁セヌ様ナル者ニハ反テナイ。一類思想多キ者ニ在ル。若ハ縁事ニフレテ忽然トシテ解了生スル。若ハ細思審察シテ其解了生スル宿世ノ縁ニ随テ初一歩ニ正道カ邪道カノ径路分レル。世ニ宿福深厚ノ者ハ少ク。業障深重ノ者ハ多キ習ヒ多少ノ人ガ若ハ断見若ハ常見。此二途カ落着場処シヤ。此断常ノ見ニ堕レハ此不邪見戒ヲ破スル。

書き下し

前ニ云所ノ邪教トハ。天竺ノ数論師カ二十五諦ノ法。勝論師カ六句義。十句義ノ法。路迦耶カ撥無因果ノ教等。総シテ十六ノ異論。九十六種ノ外道ノ類。支那国ニテ云ヘハ。累代ノ五嶽ノ道士。宋朝已来ノ儒生。老子孔子ノ道ヲトリ謬ル者ノ教ナトシヤ。前ニ云所ノ邪思惟トハ。天竺支那ヨリ此邦ニ至ルマテ。世智弁聰ノ者ノ思惟分別ヲ。皆此中ニ摂スル。コノ邪思惟ハ愚痴ノ煩悩ナレトモ。菽麦ヲ弁セヌ様ナル者ニハ反テナイ。一類思想多キ者ニ在ル。若ハ縁事ニフレテ忽然トシテ解了生スル。若ハ細思審察シテ其解了生スル宿世ノ縁ニ随テ初一歩ニ正道カ邪道カノ径路分レル。世ニ宿福深厚ノ者ハ少ク。業障深重ノ者ハ多キ習ヒ多少ノ人ガ若ハ断見若ハ常見。此二途カ落着場処シヤ。此断常ノ見ニ堕レハ此不邪見戒ヲ破スル。

現代語訳

前に言った邪な教えというのは、インドの数論師(サーンキヤ学派)の二十五諦の法、勝論師(ヴァイシェーシカ学派)の六句義・十句義の法、路迦耶(順世派)の因果を否定する教えなど、総じて十六の異論、九十六種の外道の類である。中国で言えば、代々の五岳の道士や、宋代以来の儒生で、老子や孔子の道を取り違えた者の教えなどである。前に言った邪な思惟というのは、インド・中国からこの国に至るまで、世俗の知恵に長け弁の立つ者の思惟分別を、みなこの中に含める。この邪な思惟は愚癡の煩悩ではあるが、豆と麦の区別もつかないような者にはかえってない。ある種の思慮の多い者にある。あるいは物事に触れて忽然と理解が生じ、あるいは細かく思い巡らし詳しく考えてその理解が生じ、前世の縁に従って、最初の一歩で正道か邪道かの道筋が分かれる。世の中には宿福の深く厚い者は少なく、業障の深く重い者は多いのが習いで、多くの人が断見か常見か、この二つの道に落ち着くのである。この断見・常見に堕ちれば、この不邪見戒を破る。

解説

前に触れた邪教と邪思惟の中身を説明する段である。邪教の例として、インドの数論・勝論・順世派などの諸派と、中国の道士や宋代以降の儒者で老孔の道を取り違えた者を挙げる。注目すべきは、邪思惟は豆と麦の区別もつかない者にはなく、かえって思慮の多い者に生じると言う点である。ひらめきや熟考によって得た理解が、最初の一歩で正道と邪道を分ける。考える力のある人ほど、自分の考えにとらわれる危うさを抱えている。賢い人ほど、最初の見立てを疑う習慣が要る。

この章句が説くこと

邪教邪思惟外道断見常見世智弁聡

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる