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十善法語 / 巻第四・不妄語戒

次ニ那字ヲ唱ル時般若波羅蜜門ニ入ル。得無依無上ト名ツクルト。那字ハ名字ノ義シヤ。世間ノ者ハ皆名字ニタマサレテ。若ハ瞋リ若ハ喜フ。出世間ノ中ニハ此名字ヲ以テ性相ヲ分別スルシヤ。阿字門ニ入レハ名字性相不可得ノ義シヤ。名字不可得ニシテ性相雙亡スルヲ無所依ト云シヤ。能詮所詮モ兼ネ亡シ去ヲ無上ト云シヤ。此ヲ得無所依無上ト名ツクト云。元來名字ノ相カ不可得ナレハ迷フコトモイラヌ悟ルコトモイラヌ。迷悟ノ無キ場處ニ至テ能九界ノ迷情ヲ用フル。能佛界ノ覺悟ヲ說ク。凡夫ニモ居ラヌ。聖者ニモ居ラヌ。凡聖ノ假名ヲ絕シテ能一切凡夫境界ニ入ル。能一切聖者ノ境界ニ處ル。盡未來際。凡夫ノ中生死ノ中ニ處テ。常ニ大涅槃ニ相違セヌ。盡未來際。寂滅性ニ安住シテ男トナリ女トナリ。貴トナリ賤トナリ。智トナリ愚トナル。ナセソ。一切法所依ナキニ由テ何レノ處ニモ繫縛セラレヌシヤ。

新字:次ニ那字ヲ唱ル時般若波羅蜜門ニ入ル。得無依無上ト名ツクルト。那字ハ名字ノ義シヤ。世間ノ者ハ皆名字ニタマサレテ。若ハ瞋リ若ハ喜フ。出世間ノ中ニハ此名字ヲ以テ性相ヲ分別スルシヤ。阿字門ニ入レハ名字性相不可得ノ義シヤ。名字不可得ニシテ性相双亡スルヲ無所依ト云シヤ。能詮所詮モ兼ネ亡シ去ヲ無上ト云シヤ。此ヲ得無所依無上ト名ツクト云。元来名字ノ相カ不可得ナレハ迷フコトモイラヌ悟ルコトモイラヌ。迷悟ノ無キ場処ニ至テ能九界ノ迷情ヲ用フル。能仏界ノ覚悟ヲ説ク。凡夫ニモ居ラヌ。聖者ニモ居ラヌ。凡聖ノ仮名ヲ絶シテ能一切凡夫境界ニ入ル。能一切聖者ノ境界ニ処ル。尽未来際。凡夫ノ中生死ノ中ニ処テ。常ニ大涅槃ニ相違セヌ。尽未来際。寂滅性ニ安住シテ男トナリ女トナリ。貴トナリ賤トナリ。智トナリ愚トナル。ナセソ。一切法所依ナキニ由テ何レノ処ニモ繋縛セラレヌシヤ。

書き下し

次ニ那字ヲ唱ル時般若波羅蜜門ニ入ル。得無依無上ト名ツクルト。那字ハ名字ノ義シヤ。世間ノ者ハ皆名字ニタマサレテ。若ハ瞋リ若ハ喜フ。出世間ノ中ニハ此名字ヲ以テ性相ヲ分別スルシヤ。阿字門ニ入レハ名字性相不可得ノ義シヤ。名字不可得ニシテ性相双亡スルヲ無所依ト云シヤ。能詮所詮モ兼ネ亡シ去ヲ無上ト云シヤ。此ヲ得無所依無上ト名ツクト云。元来名字ノ相カ不可得ナレハ迷フコトモイラヌ悟ルコトモイラヌ。迷悟ノ無キ場処ニ至テ能九界ノ迷情ヲ用フル。能仏界ノ覚悟ヲ説ク。凡夫ニモ居ラヌ。聖者ニモ居ラヌ。凡聖ノ仮名ヲ絶シテ能一切凡夫境界ニ入ル。能一切聖者ノ境界ニ処ル。尽未来際。凡夫ノ中生死ノ中ニ処テ。常ニ大涅槃ニ相違セヌ。尽未来際。寂滅性ニ安住シテ男トナリ女トナリ。貴トナリ賤トナリ。智トナリ愚トナル。ナセソ。一切法所依ナキニ由テ何レノ処ニモ繋縛セラレヌシヤ。

現代語訳

次に那の字を唱える時、般若波羅蜜の門に入る。得無依無上と名づける、と。那の字は名字(名前)の意味である。世間の者はみな名字にだまされて、あるいは怒り、あるいは喜ぶ。出世間の中では、この名字によって本性と姿を分別するのである。阿字の門に入れば、名字も本性も姿も得られないという意味である。名字が得られず、本性と姿がともに忘れ去られることを無所依と言うのである。言い表すものと言い表されるものもともに忘れ去ることを無上と言うのである。これを得無所依無上と名づけるという。もともと名字の相が得られないのであれば、迷うこともいらず、悟ることもいらない。迷いと悟りのない場所に至って、よく九界の迷いの情を用い、よく仏界の覚りを説く。凡夫にもとどまらない。聖者にもとどまらない。凡夫と聖者という仮の名を絶って、よく一切の凡夫の境界に入り、よく一切の聖者の境界にとどまる。未来の果てが尽きるまで、凡夫の中、生死の中にあって、常に大涅槃に違わない。未来の果てが尽きるまで、寂滅の本性に安住して、男となり女となり、貴となり賤となり、智となり愚となる。なぜか。一切の法は依りどころがないので、どこにも縛られないのである。

解説

那の字は名前を表す。世間の人は名前に惑わされて怒ったり喜んだりし、仏教の学問でも名前によって物事を分類するが、阿字の門から見れば名前も本性も姿もつかめないという。名前にとらわれない者は、迷いと悟りの区別さえ離れ、凡夫の中にも聖者の中にも自在に入り、男にも女にも、貴にも賤にも、智にも愚にもなって人々を導く。どこにも依りかからないからどこにも縛られない、という境地である。肩書きや呼び名に振り回される心を離れれば、どんな立場にも身を置いて働けるという示唆がある。

この章句が説くこと

那字名字無所依自在凡聖

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