十善法語 / 巻第九・不瞋恚戒
此時ハヤ龍王頭痛ス。羅漢此念ヲ知テ再三諫ム。汝持戒清淨ナレハ。勤精進セハ現在ニ聖果ニモ到ルベキソ。縱ヒ聖果ニ登ラズトモ。諸天ニ生スベキソ。諸天ノ果報ハ諸龍ノ比類ナラズ。龍宮ハ七寶莊嚴アレトモ。此ハ摩尼珠ノ德ナリ。畜生部類ヲ離ルルコトアタハズ。龍女モ化シ現スル所ハ諸ノ天女ニモマガフヘキナレトモ。其本形ハ惡毒蛇ノ姿ニテ。甚惡ムヘキソ。惡願ヲ止ヨト。沙彌瞋恚增上シテ此教ヲ受ケス。其後經行ノトキ。足ヨリ水生スルヲ見テ。我願滿ズベシト云テ。袈裟ヲ以テ首ヲ覆ヒ入水シ。終ニ大龍ト成テ。此龍宮ヲ奪ヒシトアル。誠ニ一切煩惱ハ其體煩雜ニシテ。衆生ヲ惱亂スルコトシヤ。此沙彌少年出家シ。清淨ニ戒ヲ護持シ。此法ニ遇ヒ。此師ニアフ。勝緣具足スルタモ。少事ノ瞋恚ヲ降伏シ得ヌシヤ。
新字:此時ハヤ竜王頭痛ス。羅漢此念ヲ知テ再三諫ム。汝持戒清浄ナレハ。勤精進セハ現在ニ聖果ニモ到ルベキソ。縦ヒ聖果ニ登ラズトモ。諸天ニ生スベキソ。諸天ノ果報ハ諸竜ノ比類ナラズ。竜宮ハ七宝荘厳アレトモ。此ハ摩尼珠ノ徳ナリ。畜生部類ヲ離ルルコトアタハズ。竜女モ化シ現スル所ハ諸ノ天女ニモマガフヘキナレトモ。其本形ハ悪毒蛇ノ姿ニテ。甚悪ムヘキソ。悪願ヲ止ヨト。沙弥瞋恚增上シテ此教ヲ受ケス。其後経行ノトキ。足ヨリ水生スルヲ見テ。我願満ズベシト云テ。袈裟ヲ以テ首ヲ覆ヒ入水シ。終ニ大竜ト成テ。此竜宮ヲ奪ヒシトアル。誠ニ一切煩悩ハ其体煩雑ニシテ。衆生ヲ悩乱スルコトシヤ。此沙弥少年出家シ。清浄ニ戒ヲ護持シ。此法ニ遇ヒ。此師ニアフ。勝縁具足スルタモ。少事ノ瞋恚ヲ降伏シ得ヌシヤ。
書き下し
此時ハヤ竜王頭痛ス。羅漢此念ヲ知テ再三諫ム。汝持戒清浄ナレハ。勤精進セハ現在ニ聖果ニモ到ルベキソ。縦ヒ聖果ニ登ラズトモ。諸天ニ生スベキソ。諸天ノ果報ハ諸竜ノ比類ナラズ。竜宮ハ七宝荘厳アレトモ。此ハ摩尼珠ノ徳ナリ。畜生部類ヲ離ルルコトアタハズ。竜女モ化シ現スル所ハ諸ノ天女ニモマガフヘキナレトモ。其本形ハ悪毒蛇ノ姿ニテ。甚悪ムヘキソ。悪願ヲ止ヨト。沙弥瞋恚增上シテ此教ヲ受ケス。其後経行ノトキ。足ヨリ水生スルヲ見テ。我願満ズベシト云テ。袈裟ヲ以テ首ヲ覆ヒ入水シ。終ニ大竜ト成テ。此竜宮ヲ奪ヒシトアル。誠ニ一切煩悩ハ其体煩雑ニシテ。衆生ヲ悩乱スルコトシヤ。此沙弥少年出家シ。清浄ニ戒ヲ護持シ。此法ニ遇ヒ。此師ニアフ。勝縁具足スルタモ。少事ノ瞋恚ヲ降伏シ得ヌシヤ。
現代語訳
このときもう龍王は頭痛がした。羅漢はこの念を知って、再三諫めた。「お前は持戒が清浄なのだから、勤め精進すれば、この世で聖果にも到ることができるのだぞ。たとえ聖果に登らなくとも、諸天に生まれるはずだ。諸天の果報は、諸々の龍とは比べものにならない。龍宮は七宝で荘厳されているけれども、これは摩尼珠の徳である。畜生の部類を離れることはできない。龍女も、化して現す姿は諸々の天女にも見まがうほどだけれども、その本来の形は悪しき毒蛇の姿で、甚だ憎むべきものだ。悪い願を止めよ」と。沙弥は瞋恚が増長して、この教えを受けなかった。その後、経行のとき、足から水が生じるのを見て、「私の願は満ちるだろう」と言って、袈裟で頭を覆って水に入り、ついに大龍となって、この龍宮を奪ったとある。まことに、あらゆる煩悩はその本体が煩わしく雑然としていて、衆生を悩み乱すことである。この沙弥は少年で出家し、清浄に戒を護持し、この法に遇い、この師に会った。勝れた縁が具足していてさえ、小さな事の瞋恚を降伏することができなかったのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
葉隠・聞書第一或人(あるひと)覚悟の体(てい)覚書に、主君の身辺(しんぺん)勤むる者は別けて身持(みもち)覚悟慎むべきことなり。御側(おそば)の者の様子を見て、主人のたけを人が積(つも)るものなり。今は御機嫌悪し、序(つい)でになどと思うて居る内に、不図(ふと)御誤(おんあやまり)もあるべきことなり。又諫言(かんげん)は時を移さず申し上ぐべきことなり。仰せ出(いで)済みて後も、其の者に理を附け、少しづつもよき様に云いなせば、帰参(きさん)も早きものなり。又仕合せ(しあわせ)よき人には、無音(ぶいん)しても苦しからず、侍の義理なり。又科人(とがにん)をわろく云うは不義理の事なり。落ちぶれたる者には随分不憫(ふびん)を加え、何とぞ立ち直す様に致すべきこと、侍の義理なりと、これあり候。
-
葉隠・聞書第一御縁組(ごえんぐみ)の時、何某(なにがし)一分(いちぶん)を申し達し候。この事、若き衆(しゅう)よく心得(こころえ)置くべき事なり。その身(み)気味(きみ)よく思うて、云(い)ふべき事を云うて腹切(はらき)りても本望(ほんもう)と思ふべし。よくよく了簡(りょうけん)候へ、何の益(えき)にも立たぬ事なり。我(われ)かやうの事を云うて腹切りても本望と思ふは、なるほど聞(きこ)えたり。曲者(くせもの)などと思ふは以(もっ)ての外(ほか)なる取違(とりちが)ひなり。まづ申し出でたる事その詮(せん)なく、我が身は引き取り、御養育(ごよういく)も仕(つかまつ)らず、追付(おっつ)け御死去(ごしきょ)なされ候に、御看病(ごかんびょう)も仕らず、残念千万(ざんねんせんばん)なり。気過(きす)ぎなる人は多分(たぶん)誤(あやま)る所なり。総(そう)じてその位(くらい)に至らずして諫言(かんげん)するは却(かえ)つて不忠(ふちゅう)なり。誠(まこと)の者ならば、我が存(ぞん)じ寄りたる事を似合(にあ)ひたる人に潜(ひそ)かに内談(ないだん)して、その人の思ひ寄りにさせて云へば、その事調(ととの)はるなり。これ忠節(ちゅうせつ)なり。もし、内談にてその人請(う)け合はずば、また外(ほか)の人にも内談し、とかく色々心遣(こころづか)ひをして、その事さへ調はるる様にすれば、大忠節(だいちゅうせつ)も知れぬ様にして居るものなり。幾人(いくにん)に内談しても、埒(らち)明かざる時は力に及ばず、その分(ぶん)にて打ち過ぎ、または起こし立て起こし立てすれば、多分叶(かな)ふものなり。我こそ曲者と云はるる名聞(みょうもん)ばかりにて、我が手柄(てがら)にするゆゑ調はざるなり。申し出でたる事益には立たず、人に難(なん)ぜられ、我が身を崩(くず)したる人数多(あまた)これあるなり。畢竟(ひっきょう)真(しん)の志(こころざし)なきゆゑなり。我が身を一向(いっこう)に捨て捨てて、主君の上(うえ)どうなりとも好き様にとさへ思へば、紛(まぎ)るる事はこれなく候なり。
-
葉隠・聞書第一主人に諫言(かんげん)をするに色々あるべし。志(こころざし)の諫言は、脇(わき)に知れぬ様にするなり。御気(おんき)にさからわぬ様にして御癖(おんくせ)を直し申すものなり。細川頼之(ほそかわよりゆき)が忠義などなり。昔、御道中にて、御年寄(おとしより)何某(なにがし)承り、「某(それがし)、一命を捨てて申し上ぐべく候。段々御延引(ごえんいん)の上に脇寄(わきよ)りなど遊ばされ候節(せつ)、以ての外(ほか)然(しか)るべからず候。」と、諸人(しょにん)に向かい、「御暇乞(おいとまごい)仕り候。」と詞(ことば)を渡し、行水(ぎょうずい)、白帷子(しろかたびら)下着(したぎ)にて御前(ごぜん)へ罷出(まかりい)でられ、追付(おっつけ)退出、また諸人に向かい、「拙者(せっしゃ)申し上げ候儀、聞召(きこしめ)し分けられ本望至極(ほんもうしごく)、皆様へ一度御目に懸(かか)り候儀、不思議の仕合(しあわ)せ。」など広言(こうげん)申され候。これ皆、主人の非を顕(あらわ)し、我が忠を揚げ、威勢(いせい)を立つる仕事なり。多分、他国者(たこくもの)にこれあるなり。
-
葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
-
荀子・大略篇人の臣下たる者は、諫むること有るも訕ること無く、亡ること有るも疾むこと無く、怨むこと有るも怒ること無し。
-
尚書・皐陶謨予(われ)違(たが)わば、汝(なんじ)弼(たす)けよ。汝、面従(めんじゅう)することなく、退(しりぞ)きて後言(こうげん)あることなかれ。