十善法語 / 巻第五・不綺語戒
若不幸ニシテ惡人愚者ノ奴僕ト爲テ。忠直ヲ盡シテ反テ罵辱ニアフモ。智人ハ其福德空シカラヌコトヲ知ル。或ハ主人タルモノノ國ノ法度ニ背ク。此等ハ事ノ變ト云ヘシ。其時ハ智者明師ニ遇テ變ニ處スル道ヲ知ヘキシヤ。變ナレハ變ニ處シテ誠ノ樂ヲ失フマシキシヤ。女人ハ順ヲ以テ道トスト云コトシヤ。支那ノ教ニ婦ノ四德ト云ヒ。三從ト云。其要ハ唯順ノミシヤ。玉耶經ノ中ニ。七輩ノ婦五善三惡アル。其要ハ唯順ノミシヤ。十惡八十四垢アレトモ。順ナレハ過少キシヤ。此順ヲ守ル中ニ樂ハアルヘキシヤ。此位アル其夫ノ位シヤ。此祿アル其夫ノ祿シヤ。夫ノ使令作業。聲韻顏色。婦人ノ天トスル處ト云ベシ。夫ノ許サヌコトハ禮佛誦經モナスマシキソ。此禮拜モセヌ處カ佛ノ心ニカナフ。此誦經セヌ處ニ經意ヲ得ル。此モ賢者智者ニ事テ。親愛ノ中ニ敬ヲ失ハヌハ。天ヨリ分付スル所ノ誠ノ樂ト云ヘシ。不幸ニシテ婬夫傭夫ニアフ。時ノ變。業報因緣ノナス所シヤ。爰ニモ其道有ヘキシヤ。
新字:若不幸ニシテ悪人愚者ノ奴僕ト為テ。忠直ヲ尽シテ反テ罵辱ニアフモ。智人ハ其福徳空シカラヌコトヲ知ル。或ハ主人タルモノノ国ノ法度ニ背ク。此等ハ事ノ変ト云ヘシ。其時ハ智者明師ニ遇テ変ニ処スル道ヲ知ヘキシヤ。変ナレハ変ニ処シテ誠ノ楽ヲ失フマシキシヤ。女人ハ順ヲ以テ道トスト云コトシヤ。支那ノ教ニ婦ノ四徳ト云ヒ。三従ト云。其要ハ唯順ノミシヤ。玉耶経ノ中ニ。七輩ノ婦五善三悪アル。其要ハ唯順ノミシヤ。十悪八十四垢アレトモ。順ナレハ過少キシヤ。此順ヲ守ル中ニ楽ハアルヘキシヤ。此位アル其夫ノ位シヤ。此禄アル其夫ノ禄シヤ。夫ノ使令作業。声韻顔色。婦人ノ天トスル処ト云ベシ。夫ノ許サヌコトハ礼仏誦経モナスマシキソ。此礼拝モセヌ処カ仏ノ心ニカナフ。此誦経セヌ処ニ経意ヲ得ル。此モ賢者智者ニ事テ。親愛ノ中ニ敬ヲ失ハヌハ。天ヨリ分付スル所ノ誠ノ楽ト云ヘシ。不幸ニシテ婬夫傭夫ニアフ。時ノ変。業報因縁ノナス所シヤ。爰ニモ其道有ヘキシヤ。
書き下し
若不幸ニシテ悪人愚者ノ奴僕ト為テ。忠直ヲ尽シテ反テ罵辱ニアフモ。智人ハ其福徳空シカラヌコトヲ知ル。或ハ主人タルモノノ国ノ法度ニ背ク。此等ハ事ノ変ト云ヘシ。其時ハ智者明師ニ遇テ変ニ処スル道ヲ知ヘキシヤ。変ナレハ変ニ処シテ誠ノ楽ヲ失フマシキシヤ。女人ハ順ヲ以テ道トスト云コトシヤ。支那ノ教ニ婦ノ四徳ト云ヒ。三従ト云。其要ハ唯順ノミシヤ。玉耶経ノ中ニ。七輩ノ婦五善三悪アル。其要ハ唯順ノミシヤ。十悪八十四垢アレトモ。順ナレハ過少キシヤ。此順ヲ守ル中ニ楽ハアルヘキシヤ。此位アル其夫ノ位シヤ。此禄アル其夫ノ禄シヤ。夫ノ使令作業。声韻顔色。婦人ノ天トスル処ト云ベシ。夫ノ許サヌコトハ礼仏誦経モナスマシキソ。此礼拝モセヌ処カ仏ノ心ニカナフ。此誦経セヌ処ニ経意ヲ得ル。此モ賢者智者ニ事テ。親愛ノ中ニ敬ヲ失ハヌハ。天ヨリ分付スル所ノ誠ノ楽ト云ヘシ。不幸ニシテ婬夫傭夫ニアフ。時ノ変。業報因縁ノナス所シヤ。爰ニモ其道有ヘキシヤ。
現代語訳
もし不幸にして悪人や愚か者の召使いとなって、忠実と正直を尽くしてかえって罵られ辱められても、智ある人はその福徳が空しくならないことを知る。あるいは主人である者が国の法度に背く。これらは事の変と言うべきである。その時は智者や明師に会って、変に身を処する道を知るべきである。変であれば変に処して、まことの楽しみを失ってはならないのである。女性は順うことをもって道とする、ということである。中国の教えに、婦の四徳と言い、三従と言う。その要はただ順うことだけである。玉耶経の中に、七種の婦、五つの善と三つの悪がある。その要はただ順うことだけである。十悪や八十四の垢があっても、順であれば過ちは少ないのである。この順を守る中に楽しみはあるはずである。この位があるのは、その夫の位である。この禄があるのは、その夫の禄である。夫の言いつけや仕事、声や顔色は、婦人の天とするところと言うべきである。夫の許さないことは、仏を礼し経を誦することもしてはならない。この礼拝もしないところが仏の心にかなう。この誦経しないところに経の意を得る。これも賢者や智者に仕えて、親しみ愛する中に敬いを失わないのは、天から分け与えられたまことの楽しみと言うべきである。不幸にして淫らな夫や愚かな夫に出会うのは、時の変であり、業報因縁のなすところである。ここにもその道があるはずである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『韓非子』初見秦第一然り而して兵甲頓れ、士民病み、蓄積索き、田疇荒れ、囷倉虚しく、四隣の諸侯服せず、霸王の名成らず。此れ異なる故無し、其の謀臣皆な其の忠を尽くさざればなり。
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