十善法語 / 巻第一・不殺生戒
第七ニ多ハ親愛ノ聲シヤ。タマサカニ恚怒ノ聲ヲ出スハ音聲ノ變シヤ。賢人君子ニハ一生恚怒ノ聲ヲ出サヌ者モ有ル。又多ハ歡樂ノ音聲シヤ。タマサカニ悲哀ノ聲ヲ出スハ。音聲ノ變ト云モノシヤ。又德人長者ニハ。一生悲哀ノ聲ナキ者モアル。不兩舌戒ノ影ハ先カウシタモノシヤ。畜生ハ多ク恚害ノ聲。悲哀ノ聲シヤ。兩舌業道ソノ影カクノ如クシヤ。經中ニ水鳥和雅ノ音ヲ出シ。又念佛念法念僧ノ音ヲ出ストアルハ。別途ノコトシヤ。
新字:第七ニ多ハ親愛ノ声シヤ。タマサカニ恚怒ノ声ヲ出スハ音声ノ変シヤ。賢人君子ニハ一生恚怒ノ声ヲ出サヌ者モ有ル。又多ハ歓楽ノ音声シヤ。タマサカニ悲哀ノ声ヲ出スハ。音声ノ変ト云モノシヤ。又徳人長者ニハ。一生悲哀ノ声ナキ者モアル。不両舌戒ノ影ハ先カウシタモノシヤ。畜生ハ多ク恚害ノ声。悲哀ノ声シヤ。両舌業道ソノ影カクノ如クシヤ。経中ニ水鳥和雅ノ音ヲ出シ。又念仏念法念僧ノ音ヲ出ストアルハ。別途ノコトシヤ。
書き下し
第七ニ多ハ親愛ノ声シヤ。タマサカニ恚怒ノ声ヲ出スハ音声ノ変シヤ。賢人君子ニハ一生恚怒ノ声ヲ出サヌ者モ有ル。又多ハ歓楽ノ音声シヤ。タマサカニ悲哀ノ声ヲ出スハ。音声ノ変ト云モノシヤ。又徳人長者ニハ。一生悲哀ノ声ナキ者モアル。不両舌戒ノ影ハ先カウシタモノシヤ。畜生ハ多ク恚害ノ声。悲哀ノ声シヤ。両舌業道ソノ影カクノ如クシヤ。経中ニ水鳥和雅ノ音ヲ出シ。又念仏念法念僧ノ音ヲ出ストアルハ。別途ノコトシヤ。
現代語訳
第七に、人の声は多くは親しみ愛する声である。たまに怒りの声を出すのは、音声の変わり目である。賢人君子には、一生怒りの声を出さない者もいる。また多くは歓び楽しむ声である。たまに悲しみの声を出すのは、音声の変わり目というものである。また徳のある人や長者には、一生悲しみの声のない者もいる。不両舌戒の影は、まずこうしたものである。畜生は多く怒り害する声、悲しみの声である。両舌の業道の影はこのようなのである。経の中に、水鳥が和やかで雅な音を出し、また念仏・念法・念僧の音を出すとあるのは、別のことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・顔淵篇司馬牛、君子を問う。子曰く、「君子は憂えず懼れず。」曰く、「憂えず懼れざれば、斯れ之を君子と謂うか。」子曰く、「内に省みて疚しからずんば、夫れ何をか憂え何をか懼れん。」
-
論語・憲問篇子曰く、君子にして不仁なる者有るかな。未だ小人にして仁なる者有らざるなり。
-
論語・学而篇子曰く、「君子は食らうに飽くことを求めず、居るに安きを求めず、事に敏にして言に慎み、有道に就いて正す。学を好むと謂う可きのみ。」
-
論語・為政篇子曰く、「君子は器ならず。」
-
論語・学而篇子曰く、「君子重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ、過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。」
-
荀子・哀公篇哀公曰く、善し。敢えて問う、何如なれば斯ち之を君子と謂うべきか、と。孔子対えて曰く、所謂る君子なる者は、言は忠信にして心に徳とせず、仁義身に在りて色に伐(ほこ)らず、思慮明通にして辞は争わず。故に猶然として将に及ぶべきが如き者は、君子なり、と。