十善法語 / 巻第三・不邪婬戒
華夷ニ推通シ。古今ニ推通シテ。其國ニ禍アリ福アル。其家ニ禍アリ福アル。多ハ閨門ノ邪正ニ由ル。假令匹夫匹婦ノ其身微ナルモ。此道ニ愼アル者ハ天ノ福ヲ享ル。此道ノ亂ルル者ハ其身ニ災害集ル。若ソノ國王大人ハ。深宮ノ中ニ在テ。誰見コトナク誰聞コトナキモ。閨門正シケレハ。日月五星二十八宿ノ行度モ自ラ違ハス。山川草木人物マテ自ラ怪異ナキシヤ。閨門亂ルレハ必天變ニアラハレテ。日月ノ行度五星二十八宿ノ行度モ違ヒ。地理ニ顯ハレテ山川草木人物ニモ其變異妖怪アル。國家ノ治亂運數爰ニ定ルト云コトシヤ。此ニ由テ男子ニ男子ノ教アルヘク。女子ニ女子ノ教アルヘク。男女合會ニ合會ノ教アルシヤ。一切禮義法度モ此教ヲ本トシテ行ハル。天下國家モ此教ヲ本トシテ自ラ治ル。
新字:華夷ニ推通シ。古今ニ推通シテ。其国ニ禍アリ福アル。其家ニ禍アリ福アル。多ハ閨門ノ邪正ニ由ル。仮令匹夫匹婦ノ其身微ナルモ。此道ニ慎アル者ハ天ノ福ヲ享ル。此道ノ乱ルル者ハ其身ニ災害集ル。若ソノ国王大人ハ。深宮ノ中ニ在テ。誰見コトナク誰聞コトナキモ。閨門正シケレハ。日月五星二十八宿ノ行度モ自ラ違ハス。山川草木人物マテ自ラ怪異ナキシヤ。閨門乱ルレハ必天変ニアラハレテ。日月ノ行度五星二十八宿ノ行度モ違ヒ。地理ニ顕ハレテ山川草木人物ニモ其変異妖怪アル。国家ノ治乱運数爰ニ定ルト云コトシヤ。此ニ由テ男子ニ男子ノ教アルヘク。女子ニ女子ノ教アルヘク。男女合会ニ合会ノ教アルシヤ。一切礼義法度モ此教ヲ本トシテ行ハル。天下国家モ此教ヲ本トシテ自ラ治ル。
書き下し
華夷ニ推通シ。古今ニ推通シテ。其国ニ禍アリ福アル。其家ニ禍アリ福アル。多ハ閨門ノ邪正ニ由ル。仮令匹夫匹婦ノ其身微ナルモ。此道ニ慎アル者ハ天ノ福ヲ享ル。此道ノ乱ルル者ハ其身ニ災害集ル。若ソノ国王大人ハ。深宮ノ中ニ在テ。誰見コトナク誰聞コトナキモ。閨門正シケレハ。日月五星二十八宿ノ行度モ自ラ違ハス。山川草木人物マテ自ラ怪異ナキシヤ。閨門乱ルレハ必天変ニアラハレテ。日月ノ行度五星二十八宿ノ行度モ違ヒ。地理ニ顕ハレテ山川草木人物ニモ其変異妖怪アル。国家ノ治乱運数爰ニ定ルト云コトシヤ。此ニ由テ男子ニ男子ノ教アルヘク。女子ニ女子ノ教アルヘク。男女合会ニ合会ノ教アルシヤ。一切礼義法度モ此教ヲ本トシテ行ハル。天下国家モ此教ヲ本トシテ自ラ治ル。
現代語訳
中華にも夷狄にも推し及ぼし、古今にも推し及ぼして見ると、その国に禍があり福があるのも、その家に禍があり福があるのも、多くは閨門(夫婦の内の事)の邪正による。たとえ身分の低い一介の男女でその身は微かであっても、この道に慎みのある者は天の福を受ける。この道の乱れた者はその身に災いが集まる。もし国王や身分の高い人であれば、奥深い宮殿の中にあって誰も見ず誰も聞くことがなくても、閨門が正しければ、日月・五星・二十八宿の運行もおのずから狂わず、山川草木や人や物に至るまでおのずから怪異がないのである。閨門が乱れれば、必ず天の異変に現れて、日月の運行や五星・二十八宿の運行も狂い、地理に現れて山川草木や人や物にもその異変や妖怪がある。国家の治乱と命運はここで定まる、ということである。これによって、男子には男子の教えがあるべきであり、女子には女子の教えがあるべきであり、男女が結ばれることには結ばれることの教えがあるのである。一切の礼儀や法度もこの教えを本として行われる。天下国家もこの教えを本としておのずから治まる。
解説

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孟子・離婁章句上樂正子、子敖に從いて齊に之く。樂正子、孟子に見ゆ。孟子曰く、「子も亦た來たりて我を見るか。」曰く、「先生何為れぞ此の言を出だすや。」曰く、「子來たること幾日ぞ。」曰く、「昔者なり。」曰く、「昔者ならば、則ち我、此の言を出だすも、亦た宜ならずや。」曰く、「舍館未だ定まらざればなり。」曰く、「子、之を聞けりや。舍館定まりて、然る後に長者に見ゆることを求むるか。」曰く、「克、罪有り。」 <語釈> ○「樂正子」、趙注:魯の人樂正克、孟子の弟子なり、齊の右師子敖に從う、子敖、使いして魯に之く、樂正子、之に随い、來たりて齊に之く。○「昔者」、趙注:「昔者」は往なり、數日の閒を謂う。