十善法語 / 巻第一・不殺生戒
此ハ審諦ニ思惟スヘキ場處シヤ。經ノ中ニ善心ヲ以テ惡人ヲ殺スハ。惡心ヲ以テ蟻子ヲ殺スヨリモ其罪輕キトアル。又國家ニ害アル者ヲ殺スハ。其罪ハナキトアル。罪ノナキノミナラス。其功德ヲ成ストアル。瑜伽菩薩地ノ戒品。正法念經等ニ開ノアルコトシヤ。又涅槃經ノ中ニ。大衆世尊ニ問奉ル。佛ノ金剛不壞ノ身ハ甚深微妙ナリ。佛ハ過去世ニ在テ。イカナル善根ヲ脩シテ。此金剛不壞ノ身ヲ得タマフト。世尊答フ。我過去世國王タルトキ。正法ヲ護持シ。道アル軍ニ立シ故ニ。此金剛不壞ノ身ヲ得ト。法トシテ如是シヤ。
新字:此ハ審諦ニ思惟スヘキ場処シヤ。経ノ中ニ善心ヲ以テ悪人ヲ殺スハ。悪心ヲ以テ蟻子ヲ殺スヨリモ其罪軽キトアル。又国家ニ害アル者ヲ殺スハ。其罪ハナキトアル。罪ノナキノミナラス。其功徳ヲ成ストアル。瑜伽菩薩地ノ戒品。正法念経等ニ開ノアルコトシヤ。又涅槃経ノ中ニ。大衆世尊ニ問奉ル。仏ノ金剛不壊ノ身ハ甚深微妙ナリ。仏ハ過去世ニ在テ。イカナル善根ヲ脩シテ。此金剛不壊ノ身ヲ得タマフト。世尊答フ。我過去世国王タルトキ。正法ヲ護持シ。道アル軍ニ立シ故ニ。此金剛不壊ノ身ヲ得ト。法トシテ如是シヤ。
書き下し
此ハ審諦ニ思惟スヘキ場処シヤ。経ノ中ニ善心ヲ以テ悪人ヲ殺スハ。悪心ヲ以テ蟻子ヲ殺スヨリモ其罪軽キトアル。又国家ニ害アル者ヲ殺スハ。其罪ハナキトアル。罪ノナキノミナラス。其功徳ヲ成ストアル。瑜伽菩薩地ノ戒品。正法念経等ニ開ノアルコトシヤ。又涅槃経ノ中ニ。大衆世尊ニ問奉ル。仏ノ金剛不壊ノ身ハ甚深微妙ナリ。仏ハ過去世ニ在テ。イカナル善根ヲ脩シテ。此金剛不壊ノ身ヲ得タマフト。世尊答フ。我過去世国王タルトキ。正法ヲ護持シ。道アル軍ニ立シ故ニ。此金剛不壊ノ身ヲ得ト。法トシテ如是シヤ。
現代語訳
これはよくよく思惟すべき所である。経の中に、「善心で悪人を殺すのは、悪心で蟻を殺すよりもその罪が軽い」とある。また「国家に害のある者を殺すのは、その罪はない」とある。罪がないだけでなく、「その功徳を成す」とある。瑜伽論菩薩地の戒品や正法念処経などに、許される場合が説かれているのである。また涅槃経の中に、大衆が世尊にお尋ねした。「仏の金剛のように壊れない身は、甚だ深く微妙です。仏は過去世において、どのような善根を修めて、この金剛不壊の身を得られたのですか」と。世尊は答えられた。「私は過去世に国王であったとき、正法を護持し、道にかなった軍に立ったので、この金剛不壊の身を得たのである」と。法としてそのようなものである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』非攻下則ち夫の攻伐を好むの君、又た其の説を飾りて曰く、我れ金玉子女壤地を以て足らずと為すに非ざるなり。我れ義の名を以て天下に立て、徳を以て諸侯を來さんと欲するなり、と。子墨子曰く、今、若し能く義の名を以て天下に立て、徳を以て諸侯を來す者有らば、天下の服すること立ちどころに待つ可きなり。夫れ天下、攻伐に處ること久し。譬うるに猶お傅子の馬を為るが然り。
-
『墨子』非命下是の故に子墨子曰く、今、天下の君子の文章を為り言談を出だすは、将に其の頰舌を勤勞し、其の唇呡を利せんとするに非ざるなり。中に實に将に其の國家邑里萬民の刑政を為さんと欲する者なり。今や王公大人の早く朝し晏く退き、獄を聴き政を治め、終朝、均しく分かちて敢えて怠倦せざる所以の者は、何ぞや。曰く、彼れ以為えらく强ければ必ず治まり、强からざれば必ず亂れ、强ければ必ず寕く、强からざれば必ず危うしと。故に敢えて怠倦せず。
-
論語・憲問篇微生畝、孔子に謂いて曰く、「丘、何為れぞ是れ栖栖たる者ぞ。乃ち佞を為すこと無からんや。」孔子曰く、「敢えて佞を為すに非ざるなり、固を疾むなり。」
-
『墨子』兼愛下且つ惟だ泰誓のみ然りと為すにあらず、禹誓と雖も即ち亦た猶お是のごときなり。禹曰く、「濟濟たる有衆、咸な朕が言を聴け。惟だ小子のみ敢えて亂を稱するを行うに非ず。蠢たる茲の有苗、天の罰を用う。若し予れ既に爾の羣を率い、羣諸に對して以て有苗を征せん」と。禹の有苗を征するや、富貴を重ね、福禄を干め、耳目を樂しましむるを求むるに非ざるなり。以て天下の利を興し、天下の害を除かんことを求むるなり。即ち此れ禹の兼なり。子墨子の謂う所の兼なる者と雖も、禹に於て求めたり。
-
司馬法・嚴位凡そ人は、愛に死し、怒りに死し、威に死し、義に死し、利に死す。
-
『墨子』耕柱巫馬子、子墨子に謂いて曰く、「子は天下を兼愛するも、未だ利ありと云わず。我れは天下を愛せざるも、未だ賊すと云わず。功、皆な未だ至らざるに、子、何ぞ獨り自ら是として我を非とするや」と。子墨子曰く、「今、此に燎ゆる者有り。一人は水を奉じて将に之に灌がんとし、一人は火を摻りて将に之を益さんとす。功、皆な未だ至らざるも、子、何れをか二人に貴ばん」と。巫馬子曰く、「我れは彼の水を奉ずる者の意を是とし、夫の火を摻る者の意を非とす」と。子曰く、「吾れも亦た吾が意を是とし、子の意を非とするなり」と。