十善法語 / 巻第十二・不邪見戒之下
夢ヲ占フテ吉凶ヲ知ル。冠蓋ヲ相シ。刀劒ヲ相シ。笏ヲ相シテ。吉凶ヲ察スル。印度ニ八種占相ノ術アル。其種類多キシヤ。要ヲ取テ云ハハ。心ノ赴ク處ニ理ノアラハレ。力ヲ用フル處ニ術ヲ得ル。事事皆爾リシヤ。增一阿含ノ中ニ。鹿頭梵志カ髑體ヲ打テ。其人ノ命終ノ緣及後世受生ノ處ヲ云シト。此趣ヲ擴充シ思惟セハ。支那ノ卜筮相法ノ術ノ中ニモ。後世受生モ察シ知ルヘキシヤ。一草一木ノ上ニモ。此大道ノ顯レテ隱シ得ヌコトヲ知ルヘキシヤ。此一切吉凶禍福。人事ノ始末。面部ニ顯レテ隱シ得ヌ。手足ニ顯レテ隱シ得ヌ。器物玩具。屋宅城邑ニ顯レテ隱シ得ス。國家ノ治亂。軍事ノ成敗。天象ニ顯レ。地理ニアラハレテ隱シ得ヌ。乃至所作ノ善惡。志性ノ賢不肖。後世受生ノ處マテ。片骨ニ顯レテ隱シ得ヌ。斷見ハ此處ニ解脫スルシヤ。吉凶悔吝。心ニ由テ轉變シテ實體ナク。善ヲ思ヘハ凶事モ吉ト成ル。能ニ誇レハ吉事モ凶事トナル。維レ狂モ克念ヘハ聖トナル。維レ聖モ念ハサレハ狂トナル。常見ハ此處ニ解脫スルシヤ。
新字:夢ヲ占フテ吉凶ヲ知ル。冠蓋ヲ相シ。刀劒ヲ相シ。笏ヲ相シテ。吉凶ヲ察スル。印度ニ八種占相ノ術アル。其種類多キシヤ。要ヲ取テ云ハハ。心ノ赴ク処ニ理ノアラハレ。力ヲ用フル処ニ術ヲ得ル。事事皆爾リシヤ。增一阿含ノ中ニ。鹿頭梵志カ髑体ヲ打テ。其人ノ命終ノ縁及後世受生ノ処ヲ云シト。此趣ヲ擴充シ思惟セハ。支那ノ卜筮相法ノ術ノ中ニモ。後世受生モ察シ知ルヘキシヤ。一草一木ノ上ニモ。此大道ノ顕レテ隠シ得ヌコトヲ知ルヘキシヤ。此一切吉凶禍福。人事ノ始末。面部ニ顕レテ隠シ得ヌ。手足ニ顕レテ隠シ得ヌ。器物玩具。屋宅城邑ニ顕レテ隠シ得ス。国家ノ治乱。軍事ノ成敗。天象ニ顕レ。地理ニアラハレテ隠シ得ヌ。乃至所作ノ善悪。志性ノ賢不肖。後世受生ノ処マテ。片骨ニ顕レテ隠シ得ヌ。断見ハ此処ニ解脱スルシヤ。吉凶悔吝。心ニ由テ転変シテ実体ナク。善ヲ思ヘハ凶事モ吉ト成ル。能ニ誇レハ吉事モ凶事トナル。維レ狂モ克念ヘハ聖トナル。維レ聖モ念ハサレハ狂トナル。常見ハ此処ニ解脱スルシヤ。
書き下し
夢ヲ占フテ吉凶ヲ知ル。冠蓋ヲ相シ。刀劒ヲ相シ。笏ヲ相シテ。吉凶ヲ察スル。印度ニ八種占相ノ術アル。其種類多キシヤ。要ヲ取テ云ハハ。心ノ赴ク処ニ理ノアラハレ。力ヲ用フル処ニ術ヲ得ル。事事皆爾リシヤ。增一阿含ノ中ニ。鹿頭梵志カ髑体ヲ打テ。其人ノ命終ノ縁及後世受生ノ処ヲ云シト。此趣ヲ擴充シ思惟セハ。支那ノ卜筮相法ノ術ノ中ニモ。後世受生モ察シ知ルヘキシヤ。一草一木ノ上ニモ。此大道ノ顕レテ隠シ得ヌコトヲ知ルヘキシヤ。此一切吉凶禍福。人事ノ始末。面部ニ顕レテ隠シ得ヌ。手足ニ顕レテ隠シ得ヌ。器物玩具。屋宅城邑ニ顕レテ隠シ得ス。国家ノ治乱。軍事ノ成敗。天象ニ顕レ。地理ニアラハレテ隠シ得ヌ。乃至所作ノ善悪。志性ノ賢不肖。後世受生ノ処マテ。片骨ニ顕レテ隠シ得ヌ。断見ハ此処ニ解脱スルシヤ。吉凶悔吝。心ニ由テ転変シテ実体ナク。善ヲ思ヘハ凶事モ吉ト成ル。能ニ誇レハ吉事モ凶事トナル。維レ狂モ克念ヘハ聖トナル。維レ聖モ念ハサレハ狂トナル。常見ハ此処ニ解脱スルシヤ。
現代語訳
夢を占って吉凶を知る。冠や車の覆いを見て占い、刀剣を見て占い、笏を見て占って、吉凶を察する。インドには八種の占相の術がある。その種類は多いのである。要点をつかんで言えば、心の向かう所に理が現れ、力を用いる所に術を得る。事ごとにみなそうなのである。増一阿含経の中に、鹿頭梵志が髑髏を叩いて、その人の命が終わった縁と、後世に生まれた所を言ったとある。この趣旨を押し広げて思いめぐらせば、中国の卜筮や人相の術の中にも、後世に生まれる所まで察して知ることができるはずである。一本の草、一本の木の上にも、この大道が現れて隠しきれないことを知るべきである。この一切の吉凶禍福、人の営みの始めと終わりは、顔に現れて隠しきれない。手足に現れて隠しきれない。器物や玩具、家屋や城や村に現れて隠しきれない。国家の治乱や軍事の勝敗は、天の現象に現れ、地の理に現れて隠しきれない。さらには行いの善悪、志や性質の賢愚、後世に生まれる所まで、骨のかけらに現れて隠しきれない。断見はここで解き放たれるのである。吉凶や悔吝は、心によって転じ変わって実体がない。善を思えば凶事も吉となる。才能を誇れば吉事も凶事となる。愚かな者もよく思えば聖人となる。聖人も思わなければ愚かな者となる。常見はここで解き放たれるのである。
解説

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