十善法語 / 巻第四・不妄語戒
總テ世間ニモ出世間ニモ。名號ト云モノハ容易ナラヌコトシヤ。左傳ニカウシタコトカアル。晉ノ穆侯カ嫡子ヲ仇ト名ツケ。其弟ヲ成師トナヅク。大夫師服云ク。夫名以制義。義以出禮。禮以體政。政以正民。今君命大子曰仇。弟曰成師。始兆亂ト。其後晉國ニ亂有タト云コトシヤ。出世間ノ中ハ。佛菩薩ノ稱號ミナ其德ヲ表ス。法性ヨリ等流シ來テ衆生ノ福緣トナル。此名有テ。衆庶ソノ耻ヲ知ル。此名有テ庸人モ其行ヲ勤ル。理ヲ推シテ看ヨ。法爾加持ノ眞言陀羅尼ニ其德ノ有ヘク。萬德圓滿ノ佛名。一乘微妙ノ經目ニ其德ノ有ヘク。音聲言句ニ其德ノ備ルヘキコトシヤ。
新字:総テ世間ニモ出世間ニモ。名号ト云モノハ容易ナラヌコトシヤ。左伝ニカウシタコトカアル。晋ノ穆侯カ嫡子ヲ仇ト名ツケ。其弟ヲ成師トナヅク。大夫師服云ク。夫名以制義。義以出礼。礼以体政。政以正民。今君命大子曰仇。弟曰成師。始兆乱ト。其後晋国ニ乱有タト云コトシヤ。出世間ノ中ハ。仏菩薩ノ称号ミナ其徳ヲ表ス。法性ヨリ等流シ来テ衆生ノ福縁トナル。此名有テ。衆庶ソノ耻ヲ知ル。此名有テ庸人モ其行ヲ勤ル。理ヲ推シテ看ヨ。法爾加持ノ真言陀羅尼ニ其徳ノ有ヘク。万徳円満ノ仏名。一乗微妙ノ経目ニ其徳ノ有ヘク。音声言句ニ其徳ノ備ルヘキコトシヤ。
書き下し
総テ世間ニモ出世間ニモ。名号ト云モノハ容易ナラヌコトシヤ。左伝ニカウシタコトカアル。晋ノ穆侯カ嫡子ヲ仇ト名ツケ。其弟ヲ成師トナヅク。大夫師服云ク。夫名以制義。義以出礼。礼以体政。政以正民。今君命大子曰仇。弟曰成師。始兆乱ト。其後晋国ニ乱有タト云コトシヤ。出世間ノ中ハ。仏菩薩ノ称号ミナ其徳ヲ表ス。法性ヨリ等流シ来テ衆生ノ福縁トナル。此名有テ。衆庶ソノ耻ヲ知ル。此名有テ庸人モ其行ヲ勤ル。理ヲ推シテ看ヨ。法爾加持ノ真言陀羅尼ニ其徳ノ有ヘク。万徳円満ノ仏名。一乗微妙ノ経目ニ其徳ノ有ヘク。音声言句ニ其徳ノ備ルヘキコトシヤ。
現代語訳
総じて世間でも出世間でも、名というものは容易ならぬものである。左伝にこういうことがある。晋の穆侯が嫡子を仇と名づけ、その弟を成師と名づけた。大夫の師服が言った。そもそも名はそれによって義を定め、義はそれによって礼を生み、礼はそれによって政治を体現し、政治はそれによって民を正す。今、君は太子を仇と名づけ、弟を成師と名づけた。乱の兆しが始まった、と。その後、晋の国に乱があったということである。出世間の中では、仏菩薩の称号はみなその徳を表す。法性から等しく流れ出てきて衆生の福の縁となる。この名があって、人々はその恥を知る。この名があって、凡庸な人もその行いに励む。理を推して見なさい。法爾(本来ありのまま)の加持である真言陀羅尼にはその徳があるはずであり、万徳円満の仏の名、一乗微妙の経の題目にはその徳があるはずであり、音声や言葉にはその徳が具わるはずのことである。
解説

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『翁問答』下卷之末偸盗戒を義なりといへるは可なりしかれ共義は天徳の利にして、人間果断の神理天下の故に感通して天下の務をなす本なれば不盗の粗迹一いろをもて高明広大の義なりと云はみかみ山を富士山なりと云にことならず、邪婬戒を礼なりと云に似たり、しかれども礼は天徳の亨にして、人間恭敬樽節の神理天下の故に通じて、上宗廟朝廷より下民間に至まで、人倫の交、冠婚喪祭飲食軍陳等、万事の天理儀則を履をこなふ主宰なれば、不邪婬一色を礼なりと云は、一勺の水を大海なりと云が如し、
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『慎思録』巻之五生を好み死を悪むは、人心の同じく然る所なり。君上礼有りて以て臣下を率ゐれば、則ち能く欲する所生よりも甚だしき者有り、悪む所死よりも甚だしき者有らしむ。故に人皆義を守りて死するを慕ひ、不義にして生くるを恥づ。礼運に所謂、礼達して分定まる。故に人皆其の死を愛して、其の生を患ふ、といふは、此の謂なり。