十善法語 / 巻第一・不殺生戒
今日人間世界ニ現ニ見ル所ノ短命ノ者多病ノ者ハ。過去世ニ作リナセシ所ノ殺生ノ餘業カ等同流類シ來テカクノ如クト云コトシヤ。此業相ノ影ハ不可思議ナル者ニテ。一度ソノ果報定レハ改易セラレヌシヤ。看ヨ現今多病ナル者カ種種ノ藥術ヲ以テ救療スルモ。多クハ其驗ヲ得ヌ。身心ヲ歸投シテ神祇ニ祈ルモ。多ハ其德ヲ得ヌ。藥術功ナシトハ云レヌ。神祇德ナシトハ云レス。唯業力カ强キモノニテ。改易カナラヌシヤ。初業因ノ時愼マネハ。果報ヲ得ル時ニ至テハ。免ルルコトカナラヌシヤ。又論藏ノ中ニ異熟果等流果增上果ノ三ヲ明シテ。コノ殺生ノ業果ヲ說ク。初ニ異熟果次ニ等流果ハ。華嚴ノ文ニ相違ナキシヤ。
新字:今日人間世界ニ現ニ見ル所ノ短命ノ者多病ノ者ハ。過去世ニ作リナセシ所ノ殺生ノ余業カ等同流類シ来テカクノ如クト云コトシヤ。此業相ノ影ハ不可思議ナル者ニテ。一度ソノ果報定レハ改易セラレヌシヤ。看ヨ現今多病ナル者カ種種ノ薬術ヲ以テ救療スルモ。多クハ其験ヲ得ヌ。身心ヲ帰投シテ神祇ニ祈ルモ。多ハ其徳ヲ得ヌ。薬術功ナシトハ云レヌ。神祇徳ナシトハ云レス。唯業力カ強キモノニテ。改易カナラヌシヤ。初業因ノ時慎マネハ。果報ヲ得ル時ニ至テハ。免ルルコトカナラヌシヤ。又論蔵ノ中ニ異熟果等流果增上果ノ三ヲ明シテ。コノ殺生ノ業果ヲ説ク。初ニ異熟果次ニ等流果ハ。華厳ノ文ニ相違ナキシヤ。
書き下し
今日人間世界ニ現ニ見ル所ノ短命ノ者多病ノ者ハ。過去世ニ作リナセシ所ノ殺生ノ余業カ等同流類シ来テカクノ如クト云コトシヤ。此業相ノ影ハ不可思議ナル者ニテ。一度ソノ果報定レハ改易セラレヌシヤ。看ヨ現今多病ナル者カ種種ノ薬術ヲ以テ救療スルモ。多クハ其験ヲ得ヌ。身心ヲ帰投シテ神祇ニ祈ルモ。多ハ其徳ヲ得ヌ。薬術功ナシトハ云レヌ。神祇徳ナシトハ云レス。唯業力カ强キモノニテ。改易カナラヌシヤ。初業因ノ時慎マネハ。果報ヲ得ル時ニ至テハ。免ルルコトカナラヌシヤ。又論蔵ノ中ニ異熟果等流果增上果ノ三ヲ明シテ。コノ殺生ノ業果ヲ説ク。初ニ異熟果次ニ等流果ハ。華厳ノ文ニ相違ナキシヤ。
現代語訳
今日、人間世界に現に見る短命の者や多病の者は、過去世に作りなした殺生の残りの業が、同じ流れの類として現れて来て、このようであるということである。この業のすがたの影は不可思議なものであって、一度その果報が定まれば改められないのである。見なさい。現在多病である者が、さまざまな薬や医術で治療しても、多くはその効き目を得ない。身心を投げ出して神々に祈っても、多くはその徳を得ない。薬や医術に効き目がないとは言えない。神々に徳がないとは言えない。ただ業の力が強いものであって、改められないのである。初めに業の因を作る時に慎まなければ、果報を得る時に至っては、免れることができないのである。また論蔵の中に、異熟果・等流果・増上果の三つを明らかにして、この殺生の業の果を説く。初めの異熟果と次の等流果は、華厳経の文と違いがないのである。
解説

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