十善法語 / 巻第一・不殺生戒
後ニ增上果ト云ハ。此殺生ノ業外ノ資具等マテニ推通シテ。光澤スクナシトアル。初心ナル者ハ。業報因緣ノ外ノ器界資生ノ具ニ推亘ルコトハ。信解カ生シ難カラウカ。外典ニモ大亂ノ後ハ必饑饉有ト云。歷史ニモ其例カアルコトシヤ。此大亂ノ後飢饉アル道理ヲ以テ。增上果有コトヲ知カヨイ。一國ノ主カ殺生ノ餘業アレハ。一國ニ五穀味薄ク。花果マテモ光澤少キシヤ。平人カ殺生ノ餘業アレハ。或ハ五穀ヲ植ルモ實ノリ少ク。家宅ヲ造立スルモ心ニ適ハス。仕官ヲ求ルモ昇進ヲ得ヌシヤ。商人ノ利ヲ得ヌ。醫師ノ藥驗ノナキナト。萬事ミナ增上果ト云。上下貴賤ノ別ハアレトモ。其趣ハ同シキシヤ。
新字:後ニ增上果ト云ハ。此殺生ノ業外ノ資具等マテニ推通シテ。光沢スクナシトアル。初心ナル者ハ。業報因縁ノ外ノ器界資生ノ具ニ推亘ルコトハ。信解カ生シ難カラウカ。外典ニモ大乱ノ後ハ必饑饉有ト云。歴史ニモ其例カアルコトシヤ。此大乱ノ後飢饉アル道理ヲ以テ。增上果有コトヲ知カヨイ。一国ノ主カ殺生ノ余業アレハ。一国ニ五穀味薄ク。花果マテモ光沢少キシヤ。平人カ殺生ノ余業アレハ。或ハ五穀ヲ植ルモ実ノリ少ク。家宅ヲ造立スルモ心ニ適ハス。仕官ヲ求ルモ昇進ヲ得ヌシヤ。商人ノ利ヲ得ヌ。医師ノ薬験ノナキナト。万事ミナ增上果ト云。上下貴賤ノ別ハアレトモ。其趣ハ同シキシヤ。
書き下し
後ニ增上果ト云ハ。此殺生ノ業外ノ資具等マテニ推通シテ。光沢スクナシトアル。初心ナル者ハ。業報因縁ノ外ノ器界資生ノ具ニ推亘ルコトハ。信解カ生シ難カラウカ。外典ニモ大乱ノ後ハ必饑饉有ト云。歴史ニモ其例カアルコトシヤ。此大乱ノ後飢饉アル道理ヲ以テ。增上果有コトヲ知カヨイ。一国ノ主カ殺生ノ余業アレハ。一国ニ五穀味薄ク。花果マテモ光沢少キシヤ。平人カ殺生ノ余業アレハ。或ハ五穀ヲ植ルモ実ノリ少ク。家宅ヲ造立スルモ心ニ適ハス。仕官ヲ求ルモ昇進ヲ得ヌシヤ。商人ノ利ヲ得ヌ。医師ノ薬験ノナキナト。万事ミナ增上果ト云。上下貴賤ノ別ハアレトモ。其趣ハ同シキシヤ。
現代語訳
後の増上果というのは、この殺生の業が外の生活の道具などにまで推し及んで、「光沢が少ない」とある。初心の者は、業報の因縁が外の器世間や生活の道具にまで及ぶということには、信じて理解する心が生じにくいだろうか。外典にも、大乱の後には必ず飢饉があると言う。歴史にもその例があることである。この大乱の後に飢饉がある道理によって、増上果があることを知るのがよい。一国の主に殺生の余業があれば、一国の五穀の味が薄く、花や果実までも光沢が少ないのである。普通の人に殺生の余業があれば、あるいは五穀を植えても実りが少なく、家を建てても心にかなわず、仕官を求めても昇進を得ないのである。商人が利を得ない、医師の薬が効かないなど、万事みな増上果と言う。上下貴賤の別はあるけれども、その趣は同じなのである。
解説

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