十善法語 / 巻第一・不殺生戒
要ヲ取テ云ハ。色心ハ元來不二シヤ。內外ハ本來不可得シヤ。色心不二ナルニ由テ。心ニ念スル處ニ必ス身口カ有ル。身口ニ造作スル處ニ必スソノ心カ應スル。心無盡ナレハ。業種相續シテ。其果報空カラヌシヤ。内外ハ本來不可得ナルニ由テ。身心ニ造作スル處ニ國土モ隨テ轉變スルシヤ。人間善惡有テ天象上ニ應スル。天命上ニ定テ人事下ニ應スル。運ニ治亂アリ年ニ豐儉アル。治世ニハ上下枕ヲ高シテ餘リアル。亂世ニハ英雄カ奔走シテ足ラヌ。豐年ニハ山野ミナ腹ヲ鼓シテ餘アル。饑歲ニハ糟糠ニモ飽カヌ。悉ク天數先ニ定リテ。改易シ難キシヤ。此業相ハ身心ニ造作セラレテ。自ラ休コトナク。身心ハ業種ニ轉變セラレテ。暫クモ一定セヌ。法性ノ法トシテ如是シヤ。
新字:要ヲ取テ云ハ。色心ハ元来不二シヤ。内外ハ本来不可得シヤ。色心不二ナルニ由テ。心ニ念スル処ニ必ス身口カ有ル。身口ニ造作スル処ニ必スソノ心カ応スル。心無尽ナレハ。業種相続シテ。其果報空カラヌシヤ。内外ハ本来不可得ナルニ由テ。身心ニ造作スル処ニ国土モ随テ転変スルシヤ。人間善悪有テ天象上ニ応スル。天命上ニ定テ人事下ニ応スル。運ニ治乱アリ年ニ豊倹アル。治世ニハ上下枕ヲ高シテ余リアル。乱世ニハ英雄カ奔走シテ足ラヌ。豊年ニハ山野ミナ腹ヲ鼓シテ余アル。饑歳ニハ糟糠ニモ飽カヌ。悉ク天数先ニ定リテ。改易シ難キシヤ。此業相ハ身心ニ造作セラレテ。自ラ休コトナク。身心ハ業種ニ転変セラレテ。暫クモ一定セヌ。法性ノ法トシテ如是シヤ。
書き下し
要ヲ取テ云ハ。色心ハ元来不二シヤ。内外ハ本来不可得シヤ。色心不二ナルニ由テ。心ニ念スル処ニ必ス身口カ有ル。身口ニ造作スル処ニ必スソノ心カ応スル。心無尽ナレハ。業種相続シテ。其果報空カラヌシヤ。内外ハ本来不可得ナルニ由テ。身心ニ造作スル処ニ国土モ随テ転変スルシヤ。人間善悪有テ天象上ニ応スル。天命上ニ定テ人事下ニ応スル。運ニ治乱アリ年ニ豊倹アル。治世ニハ上下枕ヲ高シテ余リアル。乱世ニハ英雄カ奔走シテ足ラヌ。豊年ニハ山野ミナ腹ヲ鼓シテ余アル。饑歳ニハ糟糠ニモ飽カヌ。悉ク天数先ニ定リテ。改易シ難キシヤ。此業相ハ身心ニ造作セラレテ。自ラ休コトナク。身心ハ業種ニ転変セラレテ。暫クモ一定セヌ。法性ノ法トシテ如是シヤ。
現代語訳
要点を取って言えば、身と心はもともと二つではないのである。内と外は本来とらえられないものである。身と心が二つでないから、心に念じる所には必ず身と口の行いがある。身と口に造作する所には、必ずその心が応じる。心は尽きることがないから、業の種が相続して、その果報はむなしくないのである。内と外は本来とらえられないものであるから、身心に造作する所に国土もそれに従って移り変わるのである。人間に善悪があって天の現象が上に応じる。天命が上に定まって人の事が下に応じる。運には治と乱があり、年には豊作と凶作がある。治世には上下が枕を高くして余りがある。乱世には英雄が奔走しても足りない。豊年には山野の民がみな腹鼓を打って余りがある。凶年には酒かすや糠にさえ飽き足りない。ことごとく天の数が先に定まって、改めがたいのである。この業のすがたは身心に造作されて自ら休むことがなく、身心は業の種に移り変えられてしばらくも一定しない。法性の法としてそのようなものである。
解説

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