十善法語 / 巻第十・不邪見戒之上
又此常見ノ中ニ一類ノ正直ナル妄想カ有ル。明ノ代ニ鮑性泉ト云者。天樂鳴空ト云書ヲ著ス。其中ニ記ス。秀州北門ノ李画師。アル炎熱ノ時。庭中ニ出テ視ルニ。大ナル蛭カ石ノ上ニ在テ日光ニ曝サレ。反覆シテ苦シミ死シ。暫ノ間ニ其腹裂テ蜻蜓ニ成リ飛去ル。李畫師カ心ニ。蛭カ日ニ曝サレ死スレハ。必ス蜻蜓ニナルヘキモノト思フ。其後是モ炎天方寸ノ雲ナキトキ。大ナル蛭ヲ見。故ニ箸ヲ以テハサミ取リ。石上ニ置テ日光ニ曝シ看ル。是モ反覆シテ苦シミ死ス。暫ノ間ニ其腹裂テ。此度ハ蜈蚣ニ成テ走リ去ル。
新字:又此常見ノ中ニ一類ノ正直ナル妄想カ有ル。明ノ代ニ鮑性泉ト云者。天楽鳴空ト云書ヲ著ス。其中ニ記ス。秀州北門ノ李画師。アル炎熱ノ時。庭中ニ出テ視ルニ。大ナル蛭カ石ノ上ニ在テ日光ニ曝サレ。反覆シテ苦シミ死シ。暫ノ間ニ其腹裂テ蜻蜓ニ成リ飛去ル。李画師カ心ニ。蛭カ日ニ曝サレ死スレハ。必ス蜻蜓ニナルヘキモノト思フ。其後是モ炎天方寸ノ雲ナキトキ。大ナル蛭ヲ見。故ニ箸ヲ以テハサミ取リ。石上ニ置テ日光ニ曝シ看ル。是モ反覆シテ苦シミ死ス。暫ノ間ニ其腹裂テ。此度ハ蜈蚣ニ成テ走リ去ル。
書き下し
又此常見ノ中ニ一類ノ正直ナル妄想カ有ル。明ノ代ニ鮑性泉ト云者。天楽鳴空ト云書ヲ著ス。其中ニ記ス。秀州北門ノ李画師。アル炎熱ノ時。庭中ニ出テ視ルニ。大ナル蛭カ石ノ上ニ在テ日光ニ曝サレ。反覆シテ苦シミ死シ。暫ノ間ニ其腹裂テ蜻蜓ニ成リ飛去ル。李画師カ心ニ。蛭カ日ニ曝サレ死スレハ。必ス蜻蜓ニナルヘキモノト思フ。其後是モ炎天方寸ノ雲ナキトキ。大ナル蛭ヲ見。故ニ箸ヲ以テハサミ取リ。石上ニ置テ日光ニ曝シ看ル。是モ反覆シテ苦シミ死ス。暫ノ間ニ其腹裂テ。此度ハ蜈蚣ニ成テ走リ去ル。
現代語訳
またこの常見の中に、ある種の正直な妄想がある。明の時代に鮑性泉という者が『天楽鳴空』という書を著した。その中にこう記している。秀州の北門に住む李という画師が、ある炎暑の時に庭に出て見ると、大きな蛭が石の上で日光にさらされ、身をよじって苦しみ死に、しばらくするとその腹が裂けてトンボになって飛び去った。李画師は心の中で、蛭が日にさらされて死ねば必ずトンボになるものだと思った。その後、これも炎天で空に少しの雲もない時、大きな蛭を見つけ、わざと箸で挟み取って石の上に置き、日光にさらして見た。これも身をよじって苦しみ死んだ。しばらくするとその腹が裂けて、今度はムカデになって走り去った。
解説
この章句が説くこと
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