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十善法語 / 巻第四・不妄語戒

ソレナレハ業力カ本ノ生カト思ヘハ。業ハ元來煩惱ヨリ造タモノシヤ。此煩惱カ斷セネハ。決定シテ業ヲ造作スルニ極タモノシヤ。ソレナラハ煩惱ガ生ノ初カト思ヘハ。此煩惱ハ自心ニ自心ヲトルヨリ細麁展轉シ。妄想分別シテ生シタモノシヤ。此妄想カアレハ。決定シテ煩惱ハ生セネハナラヌ。煩惱ハ他ニ生セラレタモノデ。餘程後ノコトシヤ。ソレナラハ妄想カ生ノ初カト思ヘハ。妄想ハ境ニ對シテ生ス。境ハ心ニ對シテ生ス。境ヨク境ノ緣トナリ。念マタ念ヲ引起シテ。互ニ其初ハ不可得ナルモノシヤ。具ニ思惟シテ看ヨ。元來一切法ハ不生シヤ。不生ナレハ不滅シヤ。

新字:ソレナレハ業力カ本ノ生カト思ヘハ。業ハ元来煩悩ヨリ造タモノシヤ。此煩悩カ断セネハ。決定シテ業ヲ造作スルニ極タモノシヤ。ソレナラハ煩悩ガ生ノ初カト思ヘハ。此煩悩ハ自心ニ自心ヲトルヨリ細麁展転シ。妄想分別シテ生シタモノシヤ。此妄想カアレハ。決定シテ煩悩ハ生セネハナラヌ。煩悩ハ他ニ生セラレタモノデ。余程後ノコトシヤ。ソレナラハ妄想カ生ノ初カト思ヘハ。妄想ハ境ニ対シテ生ス。境ハ心ニ対シテ生ス。境ヨク境ノ縁トナリ。念マタ念ヲ引起シテ。互ニ其初ハ不可得ナルモノシヤ。具ニ思惟シテ看ヨ。元来一切法ハ不生シヤ。不生ナレハ不滅シヤ。

書き下し

ソレナレハ業力カ本ノ生カト思ヘハ。業ハ元来煩悩ヨリ造タモノシヤ。此煩悩カ断セネハ。決定シテ業ヲ造作スルニ極タモノシヤ。ソレナラハ煩悩ガ生ノ初カト思ヘハ。此煩悩ハ自心ニ自心ヲトルヨリ細麁展転シ。妄想分別シテ生シタモノシヤ。此妄想カアレハ。決定シテ煩悩ハ生セネハナラヌ。煩悩ハ他ニ生セラレタモノデ。余程後ノコトシヤ。ソレナラハ妄想カ生ノ初カト思ヘハ。妄想ハ境ニ対シテ生ス。境ハ心ニ対シテ生ス。境ヨク境ノ縁トナリ。念マタ念ヲ引起シテ。互ニ其初ハ不可得ナルモノシヤ。具ニ思惟シテ看ヨ。元来一切法ハ不生シヤ。不生ナレハ不滅シヤ。

現代語訳

それなら業の力が本当の生かと思えば、業はもともと煩悩から造ったものである。この煩悩が断たれなければ、必ず業を造るに決まったものである。それなら煩悩が生の初めかと思えば、この煩悩は自分の心が自分の心をつかむところから、細かいものから粗いものへと移り変わり、妄想分別して生じたものである。この妄想があれば、必ず煩悩は生じないわけにはいかない。煩悩は他によって生じさせられたもので、よほど後のことである。それなら妄想が生の初めかと思えば、妄想は対象に向かって生じる。対象は心に向かって生じる。対象がよく対象の縁となり、念がまた念を引き起こして、互いにその初めは得られないものである。詳しく思惟して見なさい。もともと一切の法は生じないのである。生じないのならば滅しないのである。

解説

生の始まりを業から煩悩へ、煩悩から妄想へとさかのぼり、ついにその初めは得られないと結ぶ段である。業は煩悩から生まれ、煩悩は自分の心が自分の心をつかむ妄想から生まれ、妄想は対象と心が互いに縁となって起こるので、どこにも最初の一点は見つからない。だから一切の法は本来生じたものではなく、生じないものは滅することもないと慈雲は言う。問題の真の原因を一つに求めて行き詰まるとき、互いに縁となって絡み合う関係として見直す、という視点の転換を促す。

この章句が説くこと

煩悩妄想不生不滅縁起

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