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十善法語 / 巻第七・不兩舌戒

此房舍寺院ヲ僧坊ト云。必十方僧ニ屬シテ私ノ住處トセヌ。律中ニ。世尊成道シ已テ。頻婆遮羅王ヲ度シ。因ニ有事福業無事福業ヲ說ク。無事福業トハ禪定作善等ノ但心地ニ修スル福業シヤ。有事福業トハ。此僧坊等ノ如キ。一タヒ成立シ已テ。敗壞セザル已前ハ。其施主無作ノ福業有テ。日夜ニ增長ストアル。タトヒ其施主餘ノ善惡無記ノ業アルモ。此福業ヲ障礙スルコトナキト云コトシヤ。其中衆僧ノ布薩。自恣受戒。諸餘顯密ノ法用アルニ隨テ。ソノ福緣廣布ストアル。初後夜ノ坐禪。晨昏ノ念誦。若ハ比丘若ハ沙彌ノ持衣用鉢ノ事ニ至マテ。ミナ施主ソノ福分有ト云コトシヤ。此福分現前ノ邊ニ增上スルノミナラス。不現前僧ノ邊ニモ增上スルト云コトシヤ。

新字:此房舎寺院ヲ僧坊ト云。必十方僧ニ属シテ私ノ住処トセヌ。律中ニ。世尊成道シ已テ。頻婆遮羅王ヲ度シ。因ニ有事福業無事福業ヲ説ク。無事福業トハ禅定作善等ノ但心地ニ修スル福業シヤ。有事福業トハ。此僧坊等ノ如キ。一タヒ成立シ已テ。敗壊セザル已前ハ。其施主無作ノ福業有テ。日夜ニ增長ストアル。タトヒ其施主余ノ善悪無記ノ業アルモ。此福業ヲ障礙スルコトナキト云コトシヤ。其中衆僧ノ布薩。自恣受戒。諸余顕密ノ法用アルニ随テ。ソノ福縁広布ストアル。初後夜ノ坐禅。晨昏ノ念誦。若ハ比丘若ハ沙弥ノ持衣用鉢ノ事ニ至マテ。ミナ施主ソノ福分有ト云コトシヤ。此福分現前ノ辺ニ增上スルノミナラス。不現前僧ノ辺ニモ增上スルト云コトシヤ。

書き下し

此房舎寺院ヲ僧坊ト云。必十方僧ニ属シテ私ノ住処トセヌ。律中ニ。世尊成道シ已テ。頻婆遮羅王ヲ度シ。因ニ有事福業無事福業ヲ説ク。無事福業トハ禅定作善等ノ但心地ニ修スル福業シヤ。有事福業トハ。此僧坊等ノ如キ。一タヒ成立シ已テ。敗壊セザル已前ハ。其施主無作ノ福業有テ。日夜ニ增長ストアル。タトヒ其施主余ノ善悪無記ノ業アルモ。此福業ヲ障礙スルコトナキト云コトシヤ。其中衆僧ノ布薩。自恣受戒。諸余顕密ノ法用アルニ随テ。ソノ福縁広布ストアル。初後夜ノ坐禅。晨昏ノ念誦。若ハ比丘若ハ沙弥ノ持衣用鉢ノ事ニ至マテ。ミナ施主ソノ福分有ト云コトシヤ。此福分現前ノ辺ニ增上スルノミナラス。不現前僧ノ辺ニモ增上スルト云コトシヤ。

現代語訳

この房舎や寺院を僧坊という。必ず十方の僧に属して、私の住処とはしない。律の中に、世尊が成道し終わって、頻婆娑羅王を済度し、その折に有事福業と無事福業とを説かれた。無事福業とは、禅定や善を作すことなど、ただ心の上で修める福業である。有事福業とは、この僧坊などのように、一度成り立ってからは、壊れるより前は、その施主に無作の福業があって、日夜に増していく、とある。たとえその施主にほかの善悪無記の業があっても、この福業を妨げることはないということだ。その中での衆僧の布薩、自恣、受戒、その他の顕密の法の営みがあるにつれて、その福の縁が広く行き渡る、とある。初夜と後夜の坐禅、朝夕の念誦、比丘や沙弥が衣を持ち鉢を用いることに至るまで、みな施主にその福の分け前があるということだ。この福の分け前は、現前僧の側で増すだけでなく、不現前僧の側でも増すということだ。

解説

寺は必ず十方の僧に属し、私有しない。そのうえで尊者は、律に説かれる二種の福業を紹介する。心の中で修める無事福業に対し、寺を建てるような有事福業は、建物が壊れるまで施主の福が日夜増し続けるという。そこで行われる坐禅や読経、僧が衣や鉢を使う一つ一つにまで、施主の福が及ぶ。頻婆娑羅王はマガダ国の王で、仏に竹林精舎を寄進した人物である。自分が整えた場で人が学び続ける限り、その功が続くという見方は、場づくりや寄付の意味を考えさせる。

この章句が説くこと

福業僧坊施主布薩頻婆娑羅王利和敬

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