十善法語 / 巻第三・不邪婬戒
梁ノ武帝ハ文武兼備ノ才有テ。微官ヨリ起テ皇帝ノ位ニ昇ル程ノ人シヤカ。齊ヲ奪シ時。東昏侯ノ妃吳淑媛ト云ヲ納テ。程ナク豫章王綜ヲ誕生ス。此人成長ノ後。自ラ其父ヲ疑フ。俗說ニ。血筋ノ者ハ枯骨ニ血ヲソソクニツキ。血筋ナラヌ者ハ其血カ骨ニツカヌト云ヲ聞テ。夜ヒソカニ東昏侯ノ塚ヲアハキ。自ラ指ヲ刺シ血ヲソソキ見ルニ。一滴モ殘ラス枯骨ニツク。又其子ヲ教テ試ルニ。此モ同樣ナリ。此ヨリ野心生ス。後魏ノ臨淮王或ト戰フトキ。陰ニ命ヲ魏ニ通シテ降參シタ。此カ梁都ノ滅フル階ト成タト云コトシヤ。武帝ハ世ニ謂ユル佛者ナレトモ。此戒全カラヌ故。終ニ身ノ禍國ノ耻ト成ル。其外臣庶ノ類。大ニモアレ小ニモアレ。其事例古今少カラヌ。擧テ論スルニ暇アラスシヤ。
新字:梁ノ武帝ハ文武兼備ノ才有テ。微官ヨリ起テ皇帝ノ位ニ昇ル程ノ人シヤカ。斉ヲ奪シ時。東昏侯ノ妃呉淑媛ト云ヲ納テ。程ナク予章王綜ヲ誕生ス。此人成長ノ後。自ラ其父ヲ疑フ。俗説ニ。血筋ノ者ハ枯骨ニ血ヲソソクニツキ。血筋ナラヌ者ハ其血カ骨ニツカヌト云ヲ聞テ。夜ヒソカニ東昏侯ノ塚ヲアハキ。自ラ指ヲ刺シ血ヲソソキ見ルニ。一滴モ残ラス枯骨ニツク。又其子ヲ教テ試ルニ。此モ同様ナリ。此ヨリ野心生ス。後魏ノ臨淮王或ト戦フトキ。陰ニ命ヲ魏ニ通シテ降参シタ。此カ梁都ノ滅フル階ト成タト云コトシヤ。武帝ハ世ニ謂ユル仏者ナレトモ。此戒全カラヌ故。終ニ身ノ禍国ノ耻ト成ル。其外臣庶ノ類。大ニモアレ小ニモアレ。其事例古今少カラヌ。挙テ論スルニ暇アラスシヤ。
書き下し
梁ノ武帝ハ文武兼備ノ才有テ。微官ヨリ起テ皇帝ノ位ニ昇ル程ノ人シヤカ。斉ヲ奪シ時。東昏侯ノ妃吳淑媛ト云ヲ納テ。程ナク予章王綜ヲ誕生ス。此人成長ノ後。自ラ其父ヲ疑フ。俗説ニ。血筋ノ者ハ枯骨ニ血ヲソソクニツキ。血筋ナラヌ者ハ其血カ骨ニツカヌト云ヲ聞テ。夜ヒソカニ東昏侯ノ塚ヲアハキ。自ラ指ヲ刺シ血ヲソソキ見ルニ。一滴モ残ラス枯骨ニツク。又其子ヲ教テ試ルニ。此モ同様ナリ。此ヨリ野心生ス。後魏ノ臨淮王或ト戦フトキ。陰ニ命ヲ魏ニ通シテ降参シタ。此カ梁都ノ滅フル階ト成タト云コトシヤ。武帝ハ世ニ謂ユル仏者ナレトモ。此戒全カラヌ故。終ニ身ノ禍国ノ耻ト成ル。其外臣庶ノ類。大ニモアレ小ニモアレ。其事例古今少カラヌ。挙テ論スルニ暇アラスシヤ。
現代語訳
梁の武帝は文武を兼ね備えた才があり、低い官職から身を起こして皇帝の位に昇ったほどの人であるが、斉を奪った時に、東昏侯の妃であった呉淑媛という人を迎え入れて、ほどなく予章王綜が生まれた。この人は成長した後、自ら自分の父を疑った。俗説に、血筋の者は枯れた骨に血を注ぐとつき、血筋でない者はその血が骨につかない、というのを聞いて、夜ひそかに東昏侯の墓を暴き、自ら指を刺して血を注いでみると、一滴も残らず枯れた骨についた。またその子にも教えて試みると、これも同じであった。これから野心が生じた。後に魏の臨淮王と戦った時、ひそかに魏に内通して降参した。これが梁の都が滅びるきっかけとなったということである。武帝は世にいう仏教者であったが、この戒が完全でなかったために、ついに身の禍、国の恥となった。そのほか臣下や庶民の類でも、大きなことにせよ小さなことにせよ、その事例は古今に少なくない。挙げて論じる暇がないほどである。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『幽夢影』巻下・以て難しと爲すべきも法と爲すべからず九世同居は誠に盛事爲り、然れども止だ當に割股・廬墓の者と一例と作して看るべし。以て難しと爲すべきも、以て法と爲すべからざるなり。
-
『酔古堂剣掃』集法・新怨を以て舊恩を忘るる勿かれ小嫌を似て至戚を疏んずる毋かれ、新怨を以て舊恩を忘るる勿かれ。
-
『家道訓』巻之三・総論下一子孫弟姪のともがら、生れつきて愚不肖なれば、いかに教へいましめても、其の不徳改らず、いさめをふせぎてうけ用ひず。いさむればかへつて心にさからひ、うらみそむき、不和にいたる。時々いさめて聴かずんば、いはずして和を失はざるにしかず。かくあしく生れつきたるは、聖賢といへどもいかんともすべからず。堯舜の子の不肖なるを以て知るべし。聖人、頑なるを怒り憎むことなかれと宣ふ。赤子の井におち入るが如し。あはれむべし、憎むべからず。
-
言志四録・言志晩録 第二百三十一条 李英公、姉の為に粥を煮る兄弟友愛する者は之れ有り。姉妹に於ては則ち或いは否ず。傲侮して以て順ならざること勿れ。李英公の姉の為に粥を煮る、学ぶべし。
-
『酔古堂剣掃』集靈・骨肉の變に處しては從容たるべし父兄骨肉の變に處しては、宜しく從容たるべく、宜しく激烈なるべからず。 朋友交游の失に遇ひては、宜しく剴切なるべく、宜しく優游なるべからず。
-
『春秋左氏伝』昭公二十一年 華多僚の讒言宋の華費遂、華貙・華多僚・華登を生む。貙は少司馬為り。多僚は御士為り。貙と相惡む。乃ち諸を公に譖して曰く、「貙將に亡人を納れんとす」と。亟(しばしば)之を言ふ。公曰く、「司馬吾が故を以って、其の良子を亡へり。死亡は命有り。吾以って再び之を亡ふ可からず」と。對へて曰く、「君若し司馬を愛せば、則ち如(しか)ず亡げんには。死如し逃る可くんば、何の遠きことか之れ有らん」と。公懼れ、侍人をして司馬の侍人宜僚を召さしめ、之に酒を飲ましめて、司馬に告げしむ。司馬歎じて曰く、「必ず多僚ならん。吾讒子有りて、殺すこと能はず。吾又死せず。抑君命有り、若何す可き」と。乃ち公と謀りて、華貙を逐はんとし、將に孟諸に田せしめて之を遣らんとす。公之に酒を飲ましめ、厚く之に酬い、賜從者に及ぶ。司馬も亦た之の如くす。張匄之を尤(あや)しみて曰く、「必ず故有らん」と。子皮をして宜僚に承(むか)ふるに劍を以ってして之を訊はしむ。宜僚盡く以って告ぐ。張匄多僚を殺さんと欲す。子皮曰く、「司馬老いたり。登の謂(ため)に甚だし。吾又之を重ねば、亡ぐるに如かざるなり」と。