十善法語 / 巻第九・不瞋恚戒
此モ小根劣機ナル者ハ。得信スマジキコトシヤ。ナセゾ。肉眼ノ所見テナク。思慮ノ及フトコロテナキシヤ。肉眼ノ當リマヘ。人中思慮ノ當リマヘヲ以テ云ハ。此世界成壞ノ法ハ。虛妄ト云モ可ナリシヤ。若夏ノ蟲蜉蝣ナトヲ集テ。此人中四時ノ規則ヲ說ハ。得信スマシキコトシヤ。ナセゾ。蜉蝣カ當リマヘヲ以テ云ハハ。此四時二十四氣七十二候ノ規則。人間萬般ノ事業ハ。虛妄ト云モ可ナリシヤ。此人間ノ。天地ノ間ニ起滅スル。彼蜉蝣ニ異ナラサレハ。コノ世界成壞ノ規則ハ。人間ノ知ルヘキトコロナラズ。タトヒ强テ解シ得モ。人事ニ益ナシ。但宿福深厚ノ人ノミアリテ。佛說ニ信ヲ生シ。此ヲ以テ自ノ心地ヲ照ス。麁細融攝シ。古今該羅シテ。優ニ聖域ニ入シヤ。
新字:此モ小根劣機ナル者ハ。得信スマジキコトシヤ。ナセゾ。肉眼ノ所見テナク。思慮ノ及フトコロテナキシヤ。肉眼ノ当リマヘ。人中思慮ノ当リマヘヲ以テ云ハ。此世界成壊ノ法ハ。虚妄ト云モ可ナリシヤ。若夏ノ虫蜉蝣ナトヲ集テ。此人中四時ノ規則ヲ説ハ。得信スマシキコトシヤ。ナセゾ。蜉蝣カ当リマヘヲ以テ云ハハ。此四時二十四気七十二候ノ規則。人間万般ノ事業ハ。虚妄ト云モ可ナリシヤ。此人間ノ。天地ノ間ニ起滅スル。彼蜉蝣ニ異ナラサレハ。コノ世界成壊ノ規則ハ。人間ノ知ルヘキトコロナラズ。タトヒ強テ解シ得モ。人事ニ益ナシ。但宿福深厚ノ人ノミアリテ。仏説ニ信ヲ生シ。此ヲ以テ自ノ心地ヲ照ス。麁細融摂シ。古今該羅シテ。優ニ聖域ニ入シヤ。
書き下し
此モ小根劣機ナル者ハ。得信スマジキコトシヤ。ナセゾ。肉眼ノ所見テナク。思慮ノ及フトコロテナキシヤ。肉眼ノ当リマヘ。人中思慮ノ当リマヘヲ以テ云ハ。此世界成壊ノ法ハ。虚妄ト云モ可ナリシヤ。若夏ノ虫蜉蝣ナトヲ集テ。此人中四時ノ規則ヲ説ハ。得信スマシキコトシヤ。ナセゾ。蜉蝣カ当リマヘヲ以テ云ハハ。此四時二十四気七十二候ノ規則。人間万般ノ事業ハ。虚妄ト云モ可ナリシヤ。此人間ノ。天地ノ間ニ起滅スル。彼蜉蝣ニ異ナラサレハ。コノ世界成壊ノ規則ハ。人間ノ知ルヘキトコロナラズ。タトヒ强テ解シ得モ。人事ニ益ナシ。但宿福深厚ノ人ノミアリテ。仏説ニ信ヲ生シ。此ヲ以テ自ノ心地ヲ照ス。麁細融摂シ。古今該羅シテ。優ニ聖域ニ入シヤ。
現代語訳
これも、小さな根機や劣った機根の者は、信じることができないことである。なぜか。肉眼で見える所ではなく、思慮の及ぶ所ではないからである。肉眼の当たり前、人の中の思慮の当たり前で言えば、この世界の成壊の法は、虚妄と言ってもよいのである。もし夏の虫の蜉蝣などを集めて、この人の世の四季の規則を説いても、信じることはできないだろう。なぜか。蜉蝣の当たり前で言えば、この四季・二十四気・七十二候の規則や、人間の万般の事業は、虚妄と言ってもよいのである。この人間が天地の間に起こり滅することは、あの蜉蝣と異ならないのだから、この世界成壊の規則は、人間の知るべき所ではない。たとえ強いて解し得ても、人の事に益はない。ただ宿福の深く厚い人だけがあって、仏説に信を生じ、これによって自分の心の地を照らす。粗細を融け合わせ摂め、古今を包み網羅して、ゆうゆうと聖域に入るのである。
解説

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