十善法語 / 巻第十・不邪見戒之上
又譬ヘテイハハ。世間ニ亡國ノ時ハ。讒侫ノ臣左右ニ侍テ。忠良ハ多ク隱遁スル。假令明臣智臣有テモ。ソノ言ヲ用ヒス。其諫ヲ聽ヌモノシヤ。唐ノ玄宗ノ時。安祿山ヨク語ヒ事フ。時ノ宰相張九齡安祿山ニ謀反ノ相アルヲ知テ。彼ニ過有シトキ奏聞ス。嚴科ニ處スヘシト。玄宗此ヲ用ヒス。太子肅宗モ此謀反ノ相ヲ知テ奏聞ス。彼ハ恐ルヘキ者ト。此ヲモ用ヒス。其後果シテ天寶ノ亂起ル。此類亡國ノ兆ト云モノシヤ。ソノ如ク。正法ノ因緣ナキ者ハ正知見ノ人ニ逢ヌモノ。又逢テモ信セヌモノシヤ。
新字:又譬ヘテイハハ。世間ニ亡国ノ時ハ。讒侫ノ臣左右ニ侍テ。忠良ハ多ク隠遁スル。仮令明臣智臣有テモ。ソノ言ヲ用ヒス。其諫ヲ聴ヌモノシヤ。唐ノ玄宗ノ時。安禄山ヨク語ヒ事フ。時ノ宰相張九齢安禄山ニ謀反ノ相アルヲ知テ。彼ニ過有シトキ奏聞ス。厳科ニ処スヘシト。玄宗此ヲ用ヒス。太子粛宗モ此謀反ノ相ヲ知テ奏聞ス。彼ハ恐ルヘキ者ト。此ヲモ用ヒス。其後果シテ天宝ノ乱起ル。此類亡国ノ兆ト云モノシヤ。ソノ如ク。正法ノ因縁ナキ者ハ正知見ノ人ニ逢ヌモノ。又逢テモ信セヌモノシヤ。
書き下し
又譬ヘテイハハ。世間ニ亡国ノ時ハ。讒侫ノ臣左右ニ侍テ。忠良ハ多ク隠遁スル。仮令明臣智臣有テモ。ソノ言ヲ用ヒス。其諫ヲ聴ヌモノシヤ。唐ノ玄宗ノ時。安禄山ヨク語ヒ事フ。時ノ宰相張九齢安禄山ニ謀反ノ相アルヲ知テ。彼ニ過有シトキ奏聞ス。厳科ニ処スヘシト。玄宗此ヲ用ヒス。太子粛宗モ此謀反ノ相ヲ知テ奏聞ス。彼ハ恐ルヘキ者ト。此ヲモ用ヒス。其後果シテ天宝ノ乱起ル。此類亡国ノ兆ト云モノシヤ。ソノ如ク。正法ノ因縁ナキ者ハ正知見ノ人ニ逢ヌモノ。又逢テモ信セヌモノシヤ。
現代語訳
またたとえて言えば、世の中で国が滅びる時には、讒言やへつらいの臣が左右に仕え、忠義で善良な者は多く身を隠す。たとえ明哲な臣や知恵ある臣がいても、その言葉を用いず、その諫めを聞かないものである。唐の玄宗の時、安禄山は巧みに取り入って仕えた。時の宰相張九齢は、安禄山に謀反の相があるのを見抜き、彼に過ちがあった時に上奏して、厳しい刑に処すべきだと申し上げた。玄宗はこれを用いなかった。太子の粛宗もこの謀反の相を見抜いて上奏し、彼は恐るべき者ですと申し上げたが、これも用いなかった。その後、果たして天宝の乱が起こった。この類を亡国の兆しと言うのである。それと同じように、正法の因縁のない者は正しい知見の人に会わないもので、また会っても信じないものである。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』昭公二十七年 知者は讒を除きて自ら安んず仁者は人を殺して以って謗りを掩ふすら、猶ほ為さざるなり。今吾子人を殺して以って謗りを興して、圖らず、亦た異ならずや。夫れ無極は楚の讒人なり。民知らざる莫し。朝吳を去り、蔡侯朱を出だし、太子建を喪ひ、連尹奢を殺し、王の耳目を屏(おほ)ひて、聰明ならざらしむ。然らずんば、平王の溫惠共儉、成・莊に過ぐる有りて、及ばざる無し。諸侯を獲ざりし所以は、邇(ちか)づくるに無極を以ってすればなり。今又三不辜を殺して、以って大謗を興し、幾ど子に及ばんとす。子にして圖らずんば、將た焉んぞ之を用ゐん。夫れ鄢將師、子の命を矯りて、以って三族を滅ぼす。國の良なり、而して位に愆(あやま)たず。吳新たに君有り、疆埸(きゃうえき)日に駭く。楚國若し大事有らば、子其れ危ふからん。知者は讒を除きて以って自ら安んず。今子は讒を愛して以って自ら危ふくす。甚だしいかな其の惑へるや」と。子常曰く、「是れ瓦の罪なり。敢へて良く圖らざらんや」と。
-
『晏子春秋』外篇上・景公問治國之患晏子,對以佞人讒夫在君側景公晏子に問うて曰く、「国を治むるの患い、亦常有るか」と。対えて曰く、「佞人讒夫の君が側に在る者、良臣を好悪して、行いを小人に与う。此れ国を治むるの常の患いなり」と。公曰く、「讒佞の人は、則ち誠に不善なり。然りと雖も、則ち奚ぞ曾ち国の常の患いと為さんや」と。晏子曰く、「君以て耳目と為して好んで事を謀らば、則ち是れ君の耳目繆れるなり。夫れ上は君の耳目を乱し、下は群臣をして皆其の職を失わしむ。豈に誠に患うるに足らざらんや」と。公曰く、「是くの如きか。寡人将に之を去らんとす」と。晏子曰く、「公は去ること能わざるなり」と。公忿然として色を作して説ばず、曰く、「夫子何ぞ寡人を少んずることの甚だしき」と。対えて曰く、「臣何ぞ敢えて撟らんや。夫れ能く自ら君に周き者は、才能皆常に非ず。夫れ大不誠を中に蔵する者は、必ず小誠を外に謹み、以て其の大不誠を成す。入りては則ち君の嗜欲を求めて能く之に順い、君良臣を怨めば、則ち其の往失を具えて之を益す。出でては則ち威を行いて以て富を取る。夫れ何ぞ密近にして、大利に変ぜられず、務めて君と義を至くする者は、此れ見難く且つ知り難きなり」と。公曰く、「然らば則ち先聖は奈何せん」と。
-
『晏子春秋』諫上・景公信用讒佞賞罰失中晏子諫景公讒佞を信用し、功無きを賞し、辜無きを罰す。晏子諫めて曰く、「臣聞く、明君は聖人を望みて其の教えを信じ、讒佞を聴きて以て誅賞するを聞かず、と。今、左右と相い説び頌えて曰く、『死者に比べて勉めて楽しみを為さんか、吾安んぞ能く仁を為して愈いよ民を黥するのみ』と。故に内に寵せらるる妾は、国に迫り奪い、外に寵せらるる臣は、鄙に矯り奪い、法を執る吏は、並びに百姓に荷う。民は愁苦約病して、奸は驅り尤いよ佚え、情を隠し悪を奄い、其の上を蔽い諂う、故に至聖大賢有りと雖も、豈に能く若き讒に勝たんや。是を以て忠臣の常に災傷有るなり。臣聞く、古の士は、与に之を得可く、与に之を失う可からず、与に之を進む可く、与に之を退く可からず、と。臣請う之を逃れん」と。遂に馬に鞭ちて出ず。公韓子休をして追わしめて曰く、「孤不仁にして、教えに順う能わず、以て此の極みに至る。夫子休国は焉くにか往かん。寡人将に従いて後あらんとす」と。晏子遂に馬に鞭ちて返る。其の僕曰く、「向の去ること何ぞ速かなる。今の返ること又何ぞ速かなる」と。晏子曰く、「子の知る所に非ず、公の言至れり」と。
-
史記 李斯列伝丞相の長男李由は三川の守為り。楚の盗陳勝等は皆丞相の傍県の子なり。故を以て楚の盗公行し、三川を過ぐるも、城守りて撃つを肯ぜず。高聞く、其の文書相往来すと。未だ其の審らかなるを得ず。故に未だ敢て以て聞せず。且つ丞相は外に居りて、権は陛下より重し」と。二世以て然りと為す。丞相を案ぜんと欲するも、其の審らかならざるを恐れ、乃ち人をして三川の守の盗と通ずる状を案験せしむ。李斯之を聞く。是の時二世甘泉に在り、方に觳抵優俳の観を作す。李斯見ゆるを得ず、因りて書を上りて趙高の短を言ひて曰く、「臣之を聞く、臣其の君を疑へば、国を危ふくせざる無し。妾其の夫を疑へば、家を危ふくせざる無しと。今大臣有りて陛下に於て利を擅にし害を擅にし、陛下と異なる無し。此れ甚だ便ならず。昔者司城子罕宋に相たり、身づから刑罰を行ひ、威を以て之を行ふ。朞年にして遂に其の君を劫かす。田常は簡公の臣と為り、爵列国に敵無く、私家の富は公家と均し。恵を布き徳を施し、下は百姓を得、上は群臣を得、陰かに斉国を取り、宰予を庭に殺し、即ち簡公を朝に弑し、遂に斉国を有つ。此れ天下の明らかに知る所なり。今高は邪佚の志、危反の行ひ有ること、子罕の宋に相たるが如きなり。私家の富は、田氏の斉に於けるが若きなり。田常・子罕の逆道を兼ね行ひて陛下の威信を劫かす。其の志は韓玘の韓安の相と為るが若きなり。陛下図らずんば、臣其の変を為さんことを恐る」と。二世曰く、「何ぞや。夫れ高は、故の宦人なり。然れども安きを為して志を肆にせず、危ふきを以て心を易へず、行ひを潔くし善を修め、自ら此に至らしむ。忠を以て進むを得、信を以て位を守る。朕実に之を賢とす。而るに君之を疑ふは、何ぞや。且つ朕少くして先人を失ひ、識知する所無く、民を治むるに習はず。而して君又老い、恐らくは天下と絶えん。朕趙君に属せずんば、当に誰にか任ずべき。
-
史記 滑稽列伝左右の群臣の事に習ひ経術に通ずる者に問ふも、能く知る莫し。詔して東方朔をして之を視しむ。朔曰く、「臣之を知る。願はくは美酒粱飯を賜ひて大いに臣に飱せしめよ。臣乃ち言はん」と。詔して曰く、「可なり」と。已にして又曰く、「某所に公田・魚池・蒲葦数頃有り。陛下以て臣に賜はば、臣朔乃ち言はん」と。詔して曰く、「可なり」と。是に於いて朔乃ち肯へて言ひて曰く、「所謂騶牙なる者なり。遠方当に来たりて義に帰すべくして、騶牙先づ見る。其の歯は前後一の若く、斉等にして牙無し。故に之を騶牙と謂ふ」と。其の後一歳所にして、匈奴の混邪王果たして十万の衆を将ゐて来たりて漢に降る。乃ち復た東方生に銭財を賜ふこと甚だ多し。老に至り、朔且に死せんとする時、諫めて曰く、「詩に云ふ、『営営たる青蠅、蕃に止まる。愷悌の君子、讒言を信ずる無かれ。讒言極まり罔く、交々四国を乱す』と。願はくは陛下巧佞を遠ざけ、讒言を退けよ」と。帝曰く、「今顧みるに東方朔多く善言するか」と。之を怪しむ。居ること幾何も無く、朔果たして病みて死す。伝に曰く、「鳥の将に死なんとするや、其の鳴くや哀し。人の将に死なんとするや、其の言ふや善し」と。此の謂ひなり。武帝の時、大将軍衛青なる者は衛后の兄なり。封ぜられて長平侯と為る。軍に従ひて匈奴を撃ち、余吾水の上に至りて還る。斬首捕虜し、功有りて来たり帰る。詔して金千斤を賜ふ。将軍宮門を出づるに、斉人東郭先生、方士を以て公車に待詔し、道に当たりて衛将軍の車を遮り、拝謁して曰く、「願はくは事を白さん」と。将軍車を前に止む。東郭先生、車に旁(そ)ひて言ひて曰く、「王夫人新たに上に幸を得たるも、家貧し。今将軍金千斤を得たり。誠に其の半ばを以て王夫人の親に賜はば、人主之を聞きて必ず喜ばん。此れ所謂奇策便計なり」と。衛将軍之に謝して曰く、「先生幸ひに之に告ぐるに便計を以てす。請ふ、教へを奉ぜん」と。是に於いて衛将軍乃ち五百金を以て王夫人の親の寿と為す。王夫人以て武帝に聞す。帝曰く、「大将軍は此を為すを知らず」と。
-
『甲陽軍鑑』品第十三爰に長尾いげん入道とて上杉家の功者にて、北条家のこと則政公へ度々諫を申し、則政公合点ありて又崇敬有る、すがの·上原に相尋ね給へば、上原兵庫·すがの大膳両人申上るいげん入道さすがの者にて候へ共、老耄仕り功者も跡になる分別にて候、子細は北条小敵にて候へば誅罰せんこと何時にも罷成べし、夫は余り安きことな親しまれり、さるに付てはたゞ御手前の大身衆によくしみられ給ふやう成を我々は肝要に分別仕り候、